生パスタの日
人が人を好きになるメカニズム。
それは、誰かが。
自分のことを好きになってくれたことが起点になっている。
自分が好かれると。
その相手への好きが溜まる仕組みになっているようで。
そのうち自分の好きが。
相手の好きを上回るほど溜まると。
今度は逆に、相手の心に。
好きが溜まり始めるのだ。
……俺と秋乃。
そんなメカニズムの処理途中。
足踏みをしているわけなんだけど。
それにはこんな理由がある。
秋乃は、俺のことが好きなのかどうか。
彼氏と呼んでくれるようになって。
半年が経とうとしているのに。
なんだか自信が無くなったから。
そのせいで、俺から秋乃へのベクトルも。
長くなったり短くなったり。
好きなのか嫌いなのか。
分からなくなり始めてきているし。
もう、夏になって。
恋人として過ごすことができる期間も少ないから。
今更下手なことをして。
危ない橋を渡るのもどうなんだろう。
……そんな言い訳を並び立てて。
今日も俺は、現状維持を選択する。
だって、今の状況で。
それなり満足だし。
今はそれより。
急がなきゃならないことがあるからな。
秋乃は立哉を笑わせたい 第26笑
=恋人(予定)の子と、
過去の記憶を探しに行こう!=
~ 六月七日(火) 生パスタの日 ~
※
贅沢な食事
受験まで、あと半年。
こんな大切な時期に。
重要な課題が積みあがる。
俺の将来の夢探し。
秋乃の将来の夢絞りこみ。
そして、俺の過去の記憶。
そんなものを探し始めたせいで。
「いや、最後のはウソだけど」
かれこれ一ヶ月前だからな。
試験受けたの。
過去の記憶探しは関係ない。
……先月受けた全国模試。
結果の通知を見て愕然とする。
普通、こんなに下がるもんじゃないからね、偏差値って。
その原因なんか明白で。
進路のことと、秋乃との進展のこと。
そんなことで頭が一杯だったから。
「まったく勉強に集中できてなかったんだよな……」
これはいくらなんでもまずい。
ひとまず勉強時間をしっかり決めてペースを作って行かないと。
進路のことは継続して考えるとしても。
過去の記憶だとか。
色恋にかまけてる場合じゃない。
……と決めた直後に。
決意が揺れる好感度稼ぎ。
「た、立哉くんが心配しないように。昨日、将来の夢を決めました」
元々は自分の荷物。
それを自分で背負ったに過ぎないが。
でも、俺のことを心配して。
負担を減らしてくれたこいつは。
「助かる。よくぞ決心してくれた。秋乃株が俺の中でうなぎ上り。ぐんぐん激流を上ってく」
「……そうしなさいって、春姫に言われたから」
「ああうなぎ!」
なにが彼らにおきたのか。
きびすを返して海へと帰還。
代わりに悠々と川を上るのは。
春姫ちゃんの株価を表す鮭だろうか。
でも、うなぎたちは。
再び川上へと視線を向ける。
「あと、立哉君の負担を減らすため、お昼ご飯はあたしが作る……」
おお。
なんと有難い提案。
でもまだ分からない。
さあうなぎたちよ。
行くのか?
上るのか?
俺は黙って。
秋乃の言葉を、じっと待っていると。
「……と、春姫に言われました」
「だよな」
もう期待するのも面倒だから。
お前の株はここで捕まえてかば焼きにしてしまおう。
俺は、底値を叩き出した紙切れ同然の秋乃株を握りしめつつ。
大人しく、秋乃が調理する時間を。
参考書と共に過ごそうとしたんだが。
「ちなみに、今日のメニューは?」
「べ、勉強してて欲しい……」
「そうは言っても。気になってしょうがない」
俺が見てなくてもお前が作れる料理って。
コンビニ弁当くらいじゃない。
「は、春姫がね? レシピ集を作ってくれてね?」
「春姫ちゃんの株はもうエベレストの山頂に到達したから。もうこれ以上行かなくていいから」
「その中から、あたしが食べたことないものにしようかなって」
「そしてまだ下げますかお前の株価を。異国の土俵で勝負すんな」
「お、おしゃべりしてないで勉強を……」
ええい、できるかそんなもん。
とは言っても、厚意は素直に受け取るべきか?
俺は参考書と秋乃の手元との間を。
視線で三往復したところで。
……結局。
口を挟むことに決めた。
「ちゃんと勉強しながらしゃべるから。質問に答えなさい」
「器用……」
「なに作るんだよ」
「生パスタ」
「ほう?」
料理初心者の定番。
パスタをチョイスしたのならひと安心。
よっぽどのことが無ければ失敗しないだろうけど。
それにしても生パスタとは。
「うどんになっても構わんから。太さはなるべくそろえてくれよ?」
「なにの?」
「麺に決まってるだろ」
「か、買ってきたから太さはそろってる……」
「え? ああ、そうなんだ」
良く手に入ったね、生パスタなんて。
売ってる場所、後で聞いておこう。
「で? ソースは?」
「たらこ」
「ほうほう。調味料はどんな感じ?」
「いるの?」
「……………………ん?」
「ん?」
俺と秋乃。
どちらが聞き間違えたのか。
お互いに首を傾げたまま。
再度トライしてみよう。
「調味料は?」
「いるの?」
「やっぱ間違ってなかったか! いるに決まってんだろ!」
「あ、そうなんだ……」
「レシピに書いてあるんだろ!?」
「目次みて、食べたこと無いし簡単に作れるって思ったから……」
「作り方見ないで作ってるんかい!」
「うん。生パスタ・たらこソース」
「しょうがねえな、俺が作るから代われ!」
「もうできたよ?」
「はあ!?」
そう言いながら、秋乃が出してきた皿には。
乾麺のスパゲッティが束のまま横たわり。
その横に乗せられたたらこにかかる。
濃厚そうなとんかつソース。
「食えるか!」
「あ、あたしの作った料理は食べれないって言うのね……」
「そういう意味じゃないからハンカチの端を噛むな! たらこソースはともかく、茹でてないパスタが無理!」
「でも、料理名通り……」
「え!? どこがだよ」
「料理名通り……」
「……生パスタうはははははははははははは!!!」
生魚、生野菜、生パスタ。
そうだよな、乾麺のスパゲッティのことを。
パスタと教えたのは確かに俺だ。
でも。
お前、料理はダメだ。
知識だけじゃなくて、才能も適正も無い。
「俺がちゃんとしたの作るから。秋乃は仕事でも決めてろ」
「も、もう決まった……」
「ああ、そう言ってたっけ。で? 何になる気?」
「シェフ」
手にしたパスタを床に落とす。
衝撃的なことを耳にしたまま、俺は身じろぎひとつ取ることが出来なかった。
……俺が抱えるいくつもの問題を。
楽にするために降臨した天使がくれたもの。
それは。
「もう一個課題増やしてどうする気なんだ……」
「え? 減ったでしょ?」
俺は、餅屋がウナギのかば焼きを作りたいと言うのを。
止めるべきか否か、一晩中悩むことになったのだった。
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