成層圏発見の日


 ~ 六月八日(水) 成層圏発見の日 ~

 ※牛刀割鶏ぎゅうとうかっけい

  小さなことを処理するのに、

  大げさな方法で行うこと




 昨日の生パスタを見て。

 こいつになら料理を任せてもいいと考える者が、はたして存在するだろうか。


 シェフになりたいとも言い出したけど。

 俺は、その夢を応援する気も練習台になる気も。


 あるいは、毒見役になる気もない。


 ここは断固拒否しよう。

 傷つけないように、きっぱりと。

 さじ加減が大切だ。


 昼休み開始と共に、落ち着くために深呼吸。


 でも、その数秒の内に。

 機先を制された。


「立哉君の昔の記憶も、一緒に探そうと思ってね? 恥ずかしかったけど、お母さまに立哉君が好きだったものを聞いてみたの」

「ごくん」


 喉元まで出かかった。

 お断りの言葉。


 一旦飲み込んで天を仰ぐ。


「むむむ……」


 秋乃の気持ちは。

 ものすごくうれしいんだ。


 俺のために。

 できる事は何だってしようという思いがひしひしと伝わって来る。


 その一端が、苦手な料理だというのなら。

 誰が無下に断ることができようか。


 ……でも。


 反撃の糸口が一つ残されているでは。

 攻め込むしかあるまいて。


「あのな? お袋に聞いても、参考にならんのだ」

「なんで?」

「たまにだったからな、お袋が料理したの。俺の嗜好を把握してるとは思えん」

「そうかな?」


 首をひねる秋乃だったが。

 言われてみればその通り。


 料理を作らないからと言って。

 好きなものを知らないことになるわけもない。


「で、でも……。小さな頃から作ってたんだね、ご飯」

「まあな。昔は、俺が週三日。親父が三日」

「残った一日がお母様?」

「そう。残った一日はコンビニかデリバリーか外食」

「あれ? お母様の当番は?」

「だから。コンビニかデリバリーか外食だってば」

「え????? ん?????」


 長打期待のあわよくば。

 打率二割の控え選手。


「一応、料理は作るんだよ」

「うん」

「買い物して、野菜を切って、フライパン振って」

「うん」

「そして出来上がりが食卓に並ぶと」

「うん」

「コンビニかデリバリーか外食」

「あちゃあ」


 まあ、さすがに誇張が過ぎるが。

 おおむね間違った話じゃない。


 そもそも、疲労とか休日出勤とか。

 はなから料理できない日も沢山あったから。


「ほんとに数えることができるほどしか作った事ねえと思うぞ?」

「で、でも……。これ、お母様が作ったって……」


 そう言いながら。

 秋乃がタッパーを机に並べ。


 ふたを開けると。

 中から顔を出したのは。


「シフォン?」

「そう……。小さなころ、立哉君が食べて。作り方教えて欲しいって頼んできたほどだって」

「……俺が?」

「うん」

「お袋に?」

「覚えてないの?」

「まったく」


 ほんとに全然記憶にない。

 そもそもシフォンなんか作ったことあったっけ。


 でも、跳んで喜ぶ姿を期待していたのか。

 俺の反応に、秋乃はがっくり肩を落とす。


 きっと、一生懸命作ってくれたんだろう。

 直径十センチくらいのミニサイズ。

 円筒のままのシフォンケーキ。


 専用の型が無かったんだろうな。

 その特徴である真ん中の穴もない。


 でも。


 俺の記憶がよみがえるかもしれないという期待でふっくら膨らんだ。

 愛情たっぷりの一品だ。


 秋乃が照れて身をよじるほど褒めてやろう。

 そんな思いで一口かじると。


「…………うん」

「お、美味しくなかった?」

「いや。文句なしの美味さに驚いて、言葉を失ってた」

「立哉君、お世辞が下手……」


 秋乃は少し膨れているが。

 お世辞でも何でもねえ。


「ほんとだって。味も風味もばっちりだし」

「そ、そう? さすがお母様のレシピ……」

「それとなにより、シフォンは食感が命だと思っているんだが、口の中で溶けていくこの感覚は本物だ」

「おお……。やった……」

「実にいいね。表面の空気量、ばっちり。内側の空気量、完璧。そして芯の部分は……」



 がりっ



「……成層圏」

「うん。そこから先は空気が無いの」

「歯、いたあ……」


 ゆっくり食ってよかった。

 どうして金属が入ってるの?


「……なにこれ」

「すごく大変だった、作るの。朝、四時に起きて準備して」

「待て。今は俺が怒鳴るターンのはずだ」

「買っておいたシフォンの型をテーブルに並べて。一つ一つに美味しく焼いて下さいってお願いして」

「おのれは幼稚園児か」

「生地を混ぜながら、おいしくなあれの歌を歌って」

「せいぜいよく言って小学生」

「焼きあがったら、型をオーブンから取り出して」

「小学生に何させるんだ、火傷したらどうする」

「そしてバーナーで側面と背面を切断」

「なんで最後の工程だけCERO-Cなのよ」


 どうして型を破壊して取り出しちゃったの?

 その発想が異次元過ぎて意味分からん。


「型をケーキから外しただけ……」

「普通はケーキを型から外すのよ」

「そうなの?」

「でも、底を切ったら真ん中に穴が開くだろうが」

「金属が残っちゃってるから、見えないように後乗せしてみました」

「そんなとこに気を使ってどうする。教わった通りになぜ作れん」

「教わった通りにしたんだけど……」


 5.金属をバーナーで焼き切ります。


 教わった通りだとしたら、そんなレシピ本は捨ててしまえ。


「でも……、好物なんでしょ?」


 さあどうなんだろう。

 やっぱり、まるで覚えてない。


 でも、朝四時から作った気持ち。

 俺がクルミパン作り始めたのと同じ時間だから。


 美味しいって言って欲しい。

 そんな思いはよく分かる。


「……ほんとに、美味しかった」

「ほ、ほんとに?」

「でも、好物かどうかってのと、記憶についてはさっぱりだ」

「そうなんだ……。わざわざ作り方を聞いてきたほどだって言ってたのに……」


 それほど気に入ってたんなら。

 何度か作ったはずだろうけど。

 まったく記憶にない。


 そもそも、作りたいものがあったら。

 料理下手なお袋なんかに聞くわけない。


 親父からパソコン借りて。

 自分で調理方法を調べてなんでも作ってたからな。


「……ホントにお袋は言ってたんだな?」

「うん」

「そうか。それは大きな謎が現れ…………? また増えたっ!?」

「な、なんか、ごめんなさい……」



 減るどころか。

 また一つ増えた大きな問題。


 はたして、こんな謎にかまけている暇なんてあるのだろうか。


 俺は、推理好きという名の邪念を振り払うように頭を振ると。


「でも、気になる……、ね?」


 天使のような笑顔で。

 悪魔がささやくのであった。


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