第五話 『赤い海は罪科に堕ちる』 その142
「そろそろ、眠るとしよう」
「う、うむ。三人で、眠るぞ」
「はーい。じゃあ、定位置っすね」
カミラがベッドに寝転がる。
「えっへへー。ソルジェさま、こっちすよー」
「おう!」
「声を弾ませるな。スケベな気合いを感じるぞ」
「それは、しょうがない」
カミラに誘われたなら、どうしたってワクワクする。ベッドに寝転がるよ。カミラのとなりにな。
アメジスト色の瞳がね、じっと見つめてくれる。甘えたくなってしまうが……リエルに左耳を引っ張られてしまったな。
「スケベをしようとするなと言っておろう」
「ああ、そうだな」
「えへへ。とはいえ、コミュニケーションも取りたいっすよね。夫婦ですもん!」
「そ、それは、そうではあるが……っ。こ、これだけ、くっついていれば十分ではないか?心臓の音も、体温も、感じられるのだから……あ、あははは!お、おい、ソルジェ、く、くすぐるなあっ!?」
「可愛い言葉を使われたからな。つい、くすぐってみたくなったんだよ」
「くう。辱められた。反撃だ!」
リエルの指に襲われる。体中をくすぐられるが……心地よいばかりだった。
「ぬ、ぬう。やるな、ソルジェ!耐えるとは!?」
「自分も楽しむっすよう。ソルジェさまーっ!」
指ではなく、腕で抱きつかれたな。そのまま体を押し付けられる。人懐っこい犬みたいに、オレの胸に頭を寄せるのさ。心音でも聞くみたいに。
「……えへへ。抱き着いたまま、じっとしておきたいっす」
「ずるいぞ。そっちの方が、私も好きだ」
「じゃあ。マネするといいっすよう」
「う、うむ。抱きつこう……我が夫に」
左右から抱きつかれたな。ちょっと暑いけれど。幸せを感じられるから良しとしよう。
「今日も戦い抜いた」
「そうっすね」
「いい戦いであったな。敵を、多く倒せた。私たちは、また一つ大きな勝利に近づいたぞ」
「ファリス帝国を滅ぼす」
「うむ。成し遂げよう。さあて、ソルジェ。おしゃべりは、もうこれでおしまいだ。あちこち傷も負っているのだから。早く眠るといい」
「じゃあ、お休みのキスが欲しいな」
それぐらいは、おねだりしたって罰は当たらないはずだ。ニヤリと笑う。ちょっと意地悪な顔になったが、リエルは静かに動いて唇を捧げてくれた。左のほほ肉に。リエルとのキスが終わると、カミラの吐息が耳にかかり……右のほほ肉にキスされる。
とても満足したからね。
素直に眠るとしよう。
これ以上いちゃついていると、本当に欲しくなっちまうからね。
「お休み」
その言葉をつぶやいて。瞳を閉じるよ。乙女の体温と、やわらかさ。なめらかな肌も感じる。スケベな感情も湧くのだが、愛おしさも強い。欲望と愛情と幸福感が融け合っていくんだ。
吐息と、心臓の音。揺れる波。真夏でも、中海の沖合いを走る風は、それなりに涼しさがあった。開け放たれた船窓からやってくる涼しさが帯びた風の音。愛情と豊かな自然に包まれている感覚は、とても喜ばしいものだよ。
あのショットグラスの中身のせいじゃない。
これは、すぐに眠れてしまうな……。
あれこれ考えるのが苦手なアタマで、考えることを放棄する。ガルーナの野蛮人にとって、そういう行いは得意なジャンルに属していた。
ああ、心地よい沈黙に包まれている。これなら、あっという間に……。
眠れるだろう………………。
……そして、『夢』を見る。化粧した牛の夢だ。気持ちは良くない夢であるが、それでもあいさつはしておこうか。
「『イージュ・マカエル』。『エルトジャネハ/悪霊の古戦神』を倒したぞ」
牛の顔が動いたよ。草を食むのに適しているはずの唇が、にやりと笑う。
『さすがだな』……そう言った風に感じた。
消えていくよ。笑顔を遺して、古い神はこの世界から消えるんだ。心残りだったものが処分されたから。もうこの世を見守らなくて良いと信じたのさ。オレとあの老人の契約は、きっとこれで終わる。
どこか遠くに消えていく化粧した牛の顔……そこにある瞳が、いきなりオレから離れて、どこかを向いた。『古王朝の祭祀呪術』に触れ過ぎたせいなのか、『イージュ・マカエル』が見たものがオレにも見えてしまう。
女の影だ。
身ごもっている女の影。
……母親という存在は、それだけで尊さを帯びるものだと信じている。ふくらんだ腹。そこにはきっと『命』が―――。
『―――『死』がある。あそこに宿っているのは死だな。気をつけることだぞ、ソルジェ・ストラウス。私の記憶も、あの『新しい死』には及ばん。おぞましい者と、お前は対峙するのだろう』
「……そうかい」
『私などに祈られても、喜べんだろうが。それでも、祈る。偉大な戦士よ。力を集めて世界を歩く獅子よ。お前が偉大な勝利にたどり着けるよう、祈る。呪いで造られた神としてではなく……ずっと昔、父親だったことのある一人の男として、ただ無力なままに祈ろう』
神もどきじゃない者の祈りならば、歓迎だったよ。
夢の中で。化粧した牛の皮を脱ぎ捨てて、老人は海に戻る。きっと、『家族』のところに行くのさ。また小さな船に乗って、穏やかな海へ漁に出るといい。網にかかった魚を、お前の息子と取って……孫たちに食わせてやれよ。きっと、喜ぶぜ。
そんなことをオレも祈ってやれる。
変な予言を遺されたし、おかしな仕事をさせられた気もする。
だが、白状しよう。お前のことは嫌いじゃない。さらばだ、千年前の戦士よ。
『皇太子レヴェータと悪霊の古戦神』中 ~元・魔王軍の竜騎士が経営する猟兵団。第11章~ よしふみ @yosinofumi
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