第五話 『赤い海は罪科に堕ちる』 その137
ぱくぱくの時間が始まった。治療と着替えを終えた甲斐がある。リラックスした状態で、この料理を楽しめることは幸いなことだ。戦いが終わってから、まだ一時間弱……体を回復するためには、戦いのあとに可能な限りメシを早く食え、ガルフの教えを実践できたぜ。
船窓から見える『モロー』の街並みには明かりが見え始めていたよ。
夕闇が濃くなり始めたから、シェフがテーブルの上にキャンドルグラスも置いてくれたし、天井から吊るされたランタンにも明かりを灯してくれる。てきぱきとした動き。よどみのないその動きには、年齢に反する完成度を見た。
「いざ、もぐもぐー!」
「であります」
グルメな猟兵コンビがいつものように食事の先陣を切ったよ。フォークを皿に盛られた『ペイルカ風豚肉じゃが』に突き立てる。全く同じ動作をシンクロさせて、小さなテーブルの反対側にいる二人は、小さな乙女のお口でそれを頬張った。
「……もぐもぐ……っ!!す、すごく、美味しいっ!!」
「……もぐもぐ。イエス。シンプルな味つけの中に、バターのまろやかな風味と、豚肉の甘味とピッタリなトマトの果肉の酸味……もぐもぐ」
「……もぐもぐ……っ。これは、一緒にお口でもぐもぐすることにより、味と風味が合体しながら……」
「……もぐもぐ。お口の中で進化し続けて、飲み込むのがもったいない気持ちになってしまうほどのやーつであります」
「お褒めの言葉、光栄です。お嬢さま方」
「……えへへ。お嬢さまだってー」
「照れるでありますなー」
ミアは照れているが、キュレネイはそんな素振りは見せなかったな。パクパクもぐもぐ。銀色のフォークを元気よく躍らせて、『ペイルカ風豚肉じゃが』を平らげていく。視線もそこにしか集中していない。
ああ。
こんなに元気な勢いで美味しそうに食べられる様子を見せつけられるのは、腹の虫に酷だぜ。二人に追いつくように、オレたちも食べ始める……。
美しい銀を宿したフォークでね。
豚肉とトマトの果肉、そしてジャガイモをひとまとめにするように突き刺して、大きな野郎の口に運ぶ。
口の中ではトマトのさわやかな酸味を感じ、その直後に甘い風味たちの重奏を楽しめた。豚肉とジャガイモ、塩気の少ないバターの甘味が、オリーブオイルに融けている。ショウガと黒コショウも効いてね、本当に噛めば噛めばほど口の中で美味さの質が変わって楽しい。
……やはり、シロウトでは真似のできない領域というものもある。ずいぶんと、長い間、料理人をしていたんじゃないかな。彼は、襲われた商船で、長く指導してくれた師匠がいたのかも。
人生を訊くのは、初対面の者同士では礼を失するかな。
「ストラウス卿、皆さま。この料理はパスタとも合うのです。お楽しみください」
「パスタか。戦いで疲れた胃袋には、ぜひとも欲しいところだな」
「イエス。ボリュームこそ、最高の正義であります」
「はい。軍人の方々は、皆そうおっしゃいます。とくに水兵は、重労働も多いですからね。料理が人生の唯一の楽しみだとおっしゃられる方も多くいて……料理人としては、この場所は忙しさと幸せを同時に感じられる良いところです」
若さとうらはらの流ちょうな語りをしたあとで、彼は我々のための小さなテーブルに銀色のフードカバーに覆われた皿を置いてくれたよ。銀色が取り除かれると、湯気を放つパスタが輝いていた。
香りが混じり。
「……なるほど。この香りの変化も、君の料理の演出というものか」
「さすがです。ストラウス卿。このパスタに使われている小麦粉は、私のオリジナルのブレンドになります。アイデアそのものは、師でもあった叔父から継いだものですが。このレシピはオリジナル……」
「ふーむ。こっちの豚肉料理と、そのパスタからの香りが混じって。なんとも、落ち着くような風味というか……?」
「そうですね。なんだかホッとします」
「料理って、そういうことも計算して作るんだね。また一つ、勉強になったよ」
「お嬢さま方に笑顔を浮かべてもらえたのなら、幸せなことです。私も、叔父も。この料理たちも喜びに包まれていますよ」
「……ふむ、シェフよ。お前は、何というか口が上手いな」
「言葉でも楽しませろと叔父からは習ったのです。でも、嘘を使ってはいません。全て真実の言葉です。ストラウス卿の奥様」
「う、うむ。なんとなく、くすぐったいな、その響き。奥様か……うむ。奥様であるな、私は!」
どこか嬉しそうだな、オレの奥様は。奥様って呼ばれることに、リエルは憧れを持っていたようだ。
「このパスタ!!」
「もっちもちであります」
「ええ。豚肉から融け出た脂と、よく絡むものです。食感もまた、違った楽しみを味わっていただけるかと思います」
……言葉でも楽しませろ、いい師匠からの教えを持った料理人だな。おだやかに微笑む若いシェフのとなりで、オレもパスタと『ペイルカ』の郷土料理を混ぜるとしよう。
皿のなかで、脂がパスタに絡みついていき……天井から降り注ぐランタンのやさし気な輝きを反射して黄色に輝いた。食べる前から、分かっちまうな。こいつは、とんでもなく美味いものだってことが。
もっと。
料理も上手くなりたい。そんな願望を抱きながら、素晴らしい『ペイルカ風豚肉じゃが』にオリジナルのパスタを混ぜて、口に運んだ。ああ。やっぱりだったよ。
「美味い」
「その一言を聞くために、私は生きています」
「私はね、その一言を口にするために生きているのー!」
「右に同じくでありますな」
日常はいいな。殺し合いの狂気から、ちゃんと正しい場所に引き戻してくれる。ガルフの教えは、今日もオレたちを幸せな位置に固定してくれるんだ。この若いシェフが継いだ郷土料理のやさしさもな。
『ペイルカ』生まれの戦士たちは、彼の料理で泣くだろう。勝利を飾るには、これほど似合うものはない。
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