第五話 『赤い海は罪科に堕ちる』 その136


「失礼します」


 丁寧な言葉遣いと共に、ドアが開いた。そこにいたのは年若い水兵。少年と言えそうだな。開かれたドアが船の傾きで閉じてしまわないように、木片を使って固定すると、ブラウンの塗装に経年の味を漂わせるキッチンワゴンで食事を部屋に運んでくれる。


 手伝わないのが流儀、ということもあるからな。ゲストのオレたちはそれを静かに見守ったよ。とくに、オレはシャツを着こみ終える必要もあった。


「ストラウス卿、『パンジャール猟兵団』の皆様、お食事をお持ちしました」


「ありがとう。良い香りだな。豚肉とトマトか……夏の夕飯には、ちょうど良さそうだ」


「はい。昼にしめたばかりの豚がありましたので。作ってみました」


 にこやかな笑顔で水兵は語る。


「君がこの船のシェフか」


「はい。元々は『ペイルカ』の商船に乗っていたのですが。帝国軍同士の内輪もめに巻き込まれて、船が沈められたんです。遭難しているところを、少佐の船に助けられ……同郷ということに縁を感じ、そのまま雇っていただくことになったんです」


「幸運であったな。遭難して助かるとは」


「ええ。そのうえ、同郷の方が率いる海賊船に見つけてもらえるとは、幸運です。私の料理の味は、この船に多く乗っている『ペイルカ』の同胞たちに好んでもらえています。いい職場ですよ。戦いは、不得手ですがね」


「良質な料理を提供することも、軍隊の強さを上げるものさ」


「なるほど。私は、少佐にそれなりに恩を返せていたのかもしれませんね。では、お食事の準備をいたしますね―――」


 シェフの言葉をかき消すように、勢いよく隣室につながるドアが開いていた。着替え終わったミアとキュレネイが、床板を楽し気に蹴りつけて加速したな。


「わーい!豚肉料理だー!」


「イエス。トマトの香りもあるであります」


「はい。どちらも正解です」


「こら。二人とも、はしたないぞ!」


「お腹減ってるんだもーん」


「そうであります。リエルたちと違い、性欲で食欲を補うような器用さは持ち得ていない純情ガールズなのであります」


「せ、性欲とか言うなああ!?」


「ま、まあまあ、リエルちゃん。落ち着くっすよう」


「そーれーで。どーんなお料理?」


「イエス。興味はすでにそこへと集中しているであります」


 グルメな猟兵コンビに詰め寄られても、若いシェフは落ち着いていたな。美少女にも戦士にも怖気づかない少年料理人。もしかして、相当、長いこと商船で料理人を務めていたのかもしれないな。


 沈められた船への愛着があったからこそ、『奪還派』の海賊の一員になっていたのだろうか。オレは復讐者だから、この落ち着いた所作に一種の覚悟を感じてしまうんだ。気のせいであれば、彼の人生は苦難が少ないのだろうが。


 復讐に囚われた人生は、気楽なものでもない。


 ……他人の詮索をするよりも、今はこの香りを楽しむべき時間かな。彼の料理人としての腕前を楽しもう。


 ああ。よく磨かれた銀色のフタから解き放たれて、よく煮込まれたトマトと豚肉で作られる甘い香りが部屋に満ちていく。ミアとキュレネイが、両腕を天に向けて伸ばした。


「とーっても、良い香り!」


「トマトの元気を感じるであります」


 甘い香りに混じり、バターのまろやかな風味も鼻をくすぐってくれる。色合いも良かったよ。黄色いジャガイモに、赤いトマトの果肉も飾られていたし、白い豚肉に振られた粗挽きの黒コショウ。多くの色を持つその『プレイレス風豚肉じゃが』には、計算された技巧があった。


 『本職の料理人』の腕を見せつけられると、調理をするのも趣味なオレとしては、うなり声をあげちまうぜ。もちろん、威嚇にならないように小さな音にしておくけどな。嫉妬もあるが、賞賛の方が何倍も大きいよ。本職に勝てるなんて大それた自惚れを抱いちゃいない。


「素晴らしい。見た目も、香りも。食べる前から、美味いと確信できる」


「ありがとうございます。これは『ペイルカ』の郷土料理の一つなのです。こういう大きな勝利の日には、私たちを象徴するものが良いかと」


「君たちの勝利に乾杯したいな」


「ストラウス卿の勝利でもありますよ。つまり、我々の勝利に、ですね」


「ああ」


 カンジの良いシェフだ。若いくせにこの態度を取れる。苦労人の気配を、やはり感じてしまうな。若者ってものは、もっとバカなのが一般的なものだろうよ。


「ねえねえ、はーやーく!」


「イエス。すみやかにお皿に取り分けるであります」


「了解しました。では、お嬢さま方、席を用意しますので。そこにお座りください」


「お嬢さまー!!」


「なるほど。我々は、ソルジェ団長の卑猥な毒牙にかかっていない、清らかな乙女でありますから。確かにお嬢さまであります」


 オレの評判を何となく落としそうな発言であったな。まあ、別にいいけど。


 若いシェフはオレたちのためにテキパキと働いて、テーブルと椅子を用意してくれたよ。その上に、人数分の皿へ『ペイルカ風豚肉じゃが』をよそってくれた。その準備の全てが終わる頃には、返り血を拭き取り清潔な服へと着替えた妹分たちもやって来た。


「さあ、全員で晩飯にしようぜ。腹をいっぱいにして、しっかりと休むとしよう」


「うん!いただきまーす!!『ペイルカ風豚肉じゃが』さーん!!」


「いさ、ぱくぱくのタイムが来たるであります」




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