第五話 『赤い海は罪科に堕ちる』 その85



 ―――痛みと苦しみを、共有することはいつも難しいものだった。


 奴隷と支配する者の立場の違いは大きいもので、痛みの共有は困難だ。


 心がそれを悪と認めても、金が絡めばヒトの心は残酷になれる。


 ヒトに値段をつけたときから、痛みの感覚は狂っていった。




 ―――それでも、今は事情が異なるものだ。


 支配される者の痛みを、この街にいる誰しもが知ったのだから。


 クロエの言葉に応えたのは、魔銀の首枷をつけられたままの男。


 疲れ果てた体と顔に、意地を浮かべて腕を突き上げる。




 ―――オレは戦うぞ、世界を変えてくれる連中のためになら!


 呪いで殺されたとしても構うものか、オレにだって故郷に残した家族がいる!


 家族のために死んでやる、とっくの昔に生まれたはずの……。


 顔も知らない息子だか娘のために、オレは戦ってやるんだ!!




 ―――ヒトは誰しもが英雄にはなれない、戦場の怪物にはなれないものだ。


 それでも勇者にはなれる、勇気を持って立ち上がることが許された。


 負けるようには出来ちゃいなかった、たとえどんな苦しみの中ででも。


 エルフの娘は笑顔になった、勇気の価値を知る表情に。




 ―――託された力の一つを、その父親に投げて渡す。


 魔銀の首枷の呪いを破る、ミスリルの品。


 遠い土地でドワーフが作った、首枷破りのやすりが一つ。


 クロエはその使い方を教えるのだ、傷をつければあなたは自由になれるわ。




 ―――彼が自由になるのを、止めないで。


 臆病のまま、自分を痛めつける世界を変えようとしない腰抜けに期待はしない。


 それでも、彼が戦うために自由になることを邪魔しないで。


 私に失望させないでね、臆病者なら黙って見ていなさいな。




 ―――戦う意志がある者だけで、この世界を変えてやるんだから。


 私たちは孤独じゃないもの、数が少ないだなんて思わないことね。


 信じているわ、支配されることに負けるような心だけがこの世にあるわけじゃないって。


 いつだって、世界を変えたいって願う心を持っている者は大勢いるのよ!




 ―――解呪の時間を邪魔する者はおらず、一人の男が自由に戻る。


 逃げ去った帝国兵が捨てた武器を手に取って、戦いの歌声に揺れる方角を見た。


 南で戦う者たちのもとに向けて、歩き始める。


 始まりはたった一人の行進だったが、それに続く者が現れた。




 ―――腰抜けばかりじゃないのさ、屈辱に打ちひしがれてばかりじゃない。


 オレたちも、行くぞ。


 帝国兵どもを倒しに行くんだ!この街はオレたちのものなんだ!


 奪い返しに行こう、一緒に戦うからな!!




 ―――人間族の市民だが、学のある男だ。


 少しだけ昔、『大学半島』で夢を見た。


 亜人種の友人たちと共に暮らし、未来を求めたことがある。


 『いつか』来ると願った、未来はまだ来ないから……。




 ―――創りに行くと決めたのだ、『いつか』じゃなくて今すぐに。


 一緒に戦うぞ、それが正しいことだって信じているんだ。


 だから、一緒に行くことを許してくれ。


 父親は自分より年若い男の顔を見ないまま、それでもうなずき許したのだ。




 ―――いつか見捨てた友のために、いつのまにか忘れた理想のために。


 その男は見知らぬ仲間と共に歩く、世界を変えるのだ。


 今度こそ、戦う。


 あきらめることなく、見過ごすことなく。




 ―――街の南の屋根の上、激しく戦う者たちを援護しながら空に跳ねる。


 竜と戦う兄を狙う弓兵の群れに、少女は爆弾と風の魔術を叩き込む。


 邪魔はさせない、この勢いを止めたくはない。


 戦術以上のことを、望んでいる。




 ―――過去に囚われているのだ、ミア・マルー・ストラウスもまた。


 自分を連れて逃げ出してくれた奴隷だった母親を、ミアは見ている。


 戦いの列のずっと後ろに、小さな子供を守ろうとする母親たちがいるのだ。


 いつかの私とママみたい、だから今度は戦って守るのだ。




 ―――逃げてくれた、力の限り無理をして。


 やつれて傷ついた体で、病気のせいで細くなった脚で。


 歩いて、動いて……。


 うごけなくなったら、ことばをくれた―――。




「いきなさい」




 ―――私の名前はミア・マルー・ストラウス!!小さなころは奴隷だった!!


 それでもママが助けてくれた!!命がけで戦ってくれたから!!


 私は奴隷じゃなくなった!!いきなさいっていってくれたんだ!!


 だから私は戦うよ、今度はママの代わりにみんなを守るんだ!!




 ―――祈るように誓う声が、歌になって戦場の空に響くのだ。


 ゼファーは戦いの意味を知る、この戦いはとても大きなものだ。


 あらゆる『まーじぇ』のためでもあるのなら、負けられるはずもない。


 誇り高き竜騎士姫に使えた黒い竜の血が、猛り魔力を生むのだ。




『GHAAAOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHッッッ!!!』




 ―――黄金に輝く灼熱の嵐を、気高き牙の並ぶ口が放つ。


 破壊の歌声が劫火となって、帝国兵の群れをさらに焼き払う。


 ソルジェがそれに続くのだ、黄金に焦げる世界を駆け抜けて。


 無数の敵を斬って捨て、戦士たちに命じるのだ。




 ―――進め!敵陣を貫いたぞ!!


 分断されるのはヤツらだけだ!オレたちには仲間がいるぞ!!


 同じ痛みと苦しみを知る者たちが、こちらに向かっている!!


 歌が聞こえるだろう!もはやオレたちは孤独でもなければ負け犬でもない!!




 ―――勝者になるのだ!!我々に絡みつく敗北の過去から解き放たれて!!


 今こそ世界をぶっ壊して、『未来』を奪い返しに行くぞ!!


 立ち止まるな!!前進を続けろ!!


 敵の援軍は来ない!!オレたちの仲間が足止めをしてくれている!!




 ―――世界は変えられるのだ、無数の力が集まったのならば。


 魔王の背中を進む戦士たちも気が付いた、たしかに歌が聞こえるのだ。


 白い獅子の歌、千年より前から続く古い歌。


 多くの者が歌ってくれていた、役者だけの声ではないのだ。




 ―――夏の祭りのために呼ばれた演奏家たちも、その音を選ぶ。


 弾くのだ、帝国に押し付けられたものではなく。


 この土地に伝わる古くからの歌を、本物の伝統を。


 楽譜もいらない、即興で完璧に合わせられるほど馴染んだ物語。




 ―――『ツェベナ』で一番の頑固者も、尋問で殴られた鼻をさすりながら。


 笑顔になって古いラッパを使うのだ、職人ではあるがそれなりに上手く吹いた。


 さすがです、マーカスさん。


 ピアノの天才に褒められると、職人は照れてしまう。




 ―――それでも、今は吹くのをやめることはない。


 自分の意志を示すのだ、街に響き始めた歌に音で応える。


 満足そうな顔で、古くから住んだ街並みを見つめた。


 とても嬉しいことだ、『ツェベナ』の歌―――白い獅子の歌を奏でることは。




 ―――自宅謹慎なんて無理ですよね、外に出ちゃいましょう。


 大きなピアノはないけれど、バイオリンも弾けるので。


 みんなでオーケストラをやりましょう、そういうのが私たちらしい仕事ですね。


 さあ、いっしょに歌いましょう。




 ―――巧みな所作で弓を使う、勇壮な音を空に捧げるのだ。


 夕焼けの始まる夏の祭りの風に乗り、新しい音が歌に融ける。


 人々の足音が重なり合って、あちこちで戦うための群れが生まれていった。


 奪還のための獣の群れが、帝国兵に牙を剥く。




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