第三話 『星が躍る海で』 その12


 オレたちが兄妹のあいだの会話を楽しんでいる最中でも、時間は進む。ゼファーはヒクソン・ダベンツの視線に入らないように、低く飛び始めたよ。地上の敵から見つけられないための方法は、こいつが一番だった。


 『ゼロニア平野』は全体的には平坦な土地ではあるが、当然ながらそれでも起伏というものだってある。ヒトは気の利いた街路あたりには日陰を作るために高い木が植えられているものだしな。


 整備された運河も同じだよ。船を引っ張る労働者や、馬だとか牛なんかのためにも日陰を作る街路というものはありがたい存在だ。


 開けた荒野だからこそ突風も起きやすい。それゆえに、風を防ぐために林を造ったりもする。村の周囲も、そういったもので囲むことが多い。木材は加工することも出来れば、果実をつけることもあるからだ。


 今のゼファーはそういう場所に身を隠すようにして、かなり低い場所を飛んでいる。かくれんぼは戦術の基本中の基本ではあるが……昼間の竜は割りと目立つ。だから、高高度を飛んで鳥に化けるか……そうでなければ、こんな風に遮蔽物の連なりを頼る。


 高高度を選ばない理由は単純にして明快だ。地上にいるジャンと合流しなければならないからだよ。高高度を飛んでしまえば、合流することが不可能だ。


 だからこそ。


 防風林やら丘陵の影を選ぶように低く飛ぶ。アーレス曰く、蛇が這うように飛べばいいとのことだ。ゼファーはオレを経由して伝わった祖父からの教えを、実践してくれている。


 だが、この飛行に宿っているのは古い知識だけではない。


 ルルーシロアのやわらかな飛行。海を泳ぐ蛇のような、柔軟な羽ばたきを使ってもいるのだ。一秒だって、竜は無駄にすることはない。遠い南に向かって飛んだルルーシロアも、今頃ゼファーの飛び方を模倣して、強さを研究していることだろう。


 うれしくなるよ。竜の飛び方が研鑽されていることを想像すると。竜騎士ってのは、どうしてってそういうもんだ。


 ……まあ。


 理想的な飛び方を選ぶということには、リスクもつきものだがな。地上に近いということは、墜落の危険も高くなる。不意に風が途切れた場所に飛び出すと、竜だって落ちる。高い場所なら、地上にぶち当たるよりも先に羽ばたきを使えばいいのだが。


 低ければ、その技巧を差し込む余裕もまた少なくなるものだ。


 だから。おしゃべりしながらも空を見ている。ゼファーも空を読み、風を読むが。竜騎士も同時にその観測に参加していれば、不測の事態に備えられるのだからな。


「ゼファー。風が途絶える」


『う、うん!!』


 ククリを腕で抱きしめてやったよ。


「そ、ソルジェ兄さん―――うわああ!?」


 数メートルだけ落下した。ふわりと体がゼファーの背から浮かびそうになる。だからオレは踏ん張りながら、フワッと浮かびかけた妹分の軽い体を支えてやったんだよ。


 シアン?当然ながら、反応する。『虎姫』を心配する必要は、あまりないのさ。ゼファーの背中を脚で挟み込むだとか、落ちる重心に合わせるように体を前傾させるとか。色々と対処の方法はある。


「う、浮かびそうになった」


『ごめんねー、くくり。かぜはねー、ときどきね、こういういじわるをするんだ』


「そうなんだね。賢くなったよ。高い場所を飛ぶ方が安全なんだね、逆に」


「そういうことだ」


「えへへ。ありがとう。ソルジェ兄さん」


「どういたしまして」


「でも。知識とか感覚ってすごいよね。風を見ているんだ」


『かんぺきにはね、みえないの。かぜは、きまぐれなものだから』


「そうだよね。でも、ゼファーちゃんと同時かそれ以前に気づいていたんだよね、ソルジェ兄さん」


「慣れもある。地上の風を肌で感じる時間は、竜よりもオレたちヒトの方が多いからな」


「そういうこと、いつも考えて旅をしているんだね」


「意外と勉強熱心だろ?」


「意外とは思わないけどね。ソルジェ兄さんは、武術や竜の技巧に対しては、すごく貪欲で研究熱心だよ」


「……いい視点を持つ、妹分を持って、幸せだな、長よ」


「ああ。兄貴分冥利に尽きる」


「私も……もっと世界について学ぼう。継承した知識はたくさんあるけど、それを引き出す経験とか、考え方とかがないと……役に立たないかもしれないから」


 勤勉な妹分がそう言うものだから、今、オレたちの目の前を通り過ぎた植林された杉についてでも教えてみる。


「今の一瞬で過ぎ去った林だけで、金貨30枚には化ける」


「そうなんだ。大金だよね?」


「ああ。とんでもない大金だぜ。杉の木はまっすぐで加工しやすいからな。建材としての人気が高い。だからこそ、防風林としての価値だけじゃなく、金にもなる」


「この土地は貧しいんだよね?……じゃあ、もっとそういう木を植えていけばいいのに」


 世界を学ぶ賢い知性のために、オレなりの社会知識をククリに語っていたよ。


「世の中というものは、金になるものは多くの者が目をつける。盗賊や商人しかり、国家だとすれば税金という形で金になるものを管理している」


「じゃあ、貴族とかしか……自由に林を造れないとか?」


「割りとあちこちにあるルールだな」


「そんなのって、無いよ。非効率に思える」


「そうだな。金になる商品というものは、金持ちや権力者に様々な形で牛耳られてしまうことが多い。悲しいことに、世の中は割りとケチ臭い有力者が多くてな」


「そっかー。ちょっと、がっかり」


「だが。人工的な林を造らない理由には、文化的なものもあるぞ」


「文化?」


「エルフたちの勢力圏では多い」


「あ。なるほど。エルフ族は、森や自然を崇拝しているんだよね」


「不自然な森は、不健全なものだとみなすこともエルフの領域では多い。さっき、風の途切れが起きたのは、植林に隙間が多くあったからだ。雑木林を造っていたんだよ、多くの種類の木を植えていた。それらの背丈はそれぞれで異なる」


「なるほど。遮蔽物が不ぞろいだから、風が読みにくくなったんだね」


「文化を知ることで、そういう地図も頭に書けるようになる。ここらは、『ザットール/金貨噛み』の支配する土地。エルフ族の文化が根強く反映される地域だ」


「エルフ族のマフィアの土地なんだね。あれ?……マフィアが支配する土地は、税金とかってあるのかな?」


「税金とは呼ばない形の税金があるだろう」


 上納金だとか、なんだか物騒な形の呼び名のものが。


「マフィアも税金を集めるんだね」


「まあ、『ヴァルガロフ自警団』のテッサ・ランドールは『市長』だ。大学出のインテリさまだからな、そのうち税金って言葉を使い始めるだろうよ。そうなったころには、もっとマトマな国になれているかもしれん」


 期待するのみだ。テッサ・ランドールの手腕に、この土地が悪徳以外の方法で栄えられるようになるかはかかっているのだから。知性が作る政治に、幸あらんことを祈るのみだよ。彼女も……完全な知性と評価できるほど、スマートでもないだろうがね。


 煙管に噛みつく童女みたいな顔を思い出す。残酷さにゆがむ、大人びた瞳と、金色の戦槌を振り回す剛腕のことも。知性だけの女傑ではないのさ。どう転んでも、本質というものはつきまとう。頼りにもなり、不安にもなることだった。




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