第10話 人魚の話

「―――――――――貴重なお話、ありがとうございました」

「はい、どういたしまして。お役に立てればいいのだけど」

「いえいえ、こんなに人魚に詳しい人に出会ったの、生まれて初めてですよ」

「やだあ。おだてすぎよ。でも、ありがとうね。久しぶりに若い人のお話しできたから、わたしも年甲斐なくはしゃいじゃいました」

「年甲斐なく、って。充分お若いじゃないですか」

「そう?嬉しい」

目の前にいる―――――志伊良さんは少女のように顔を綻ばせた。見た所二十代か三十代といった所なのだが、その落ち着きはまるで何十年も生きた老婆のようでいて、それなのに笑った顔は十代の少女のような、不思議な人だった。


民俗学を専攻している僕の次のテーマは「各地の人魚伝説について」だった。文献などで調べているうち、実際にその地に根付いている人魚伝説にも興味を持ち始めたのである。一週間前は××県最南端まで出向き、貴重な話を地元の老人から聞かせてもらった。中には人魚のミイラとかいうよくわからないものを見せに来る住職もいたが、それもまたいい思い出である。他にも数か所を転々とし、様々な話を聞き、伝承を見た。


そして、その最中である。目の前の甲斐崎志伊良、という女性に出会ったのは。


海の近くに住む彼女と出会ったのは駅前だった。僕が落としたペンを彼女が拾ってくれたことが始まりで、何気ないやりとりを交わすうち彼女もまた人魚に惹かれてやまない人間なのだと知った。

道端で盛り上がった結果、よろしければ家でお茶でも、という話になったのである。

彼女からは様々な話を聞いた。人と共に生きる人魚の話や、変わったものでは養殖として生きている人魚、飼育されている人魚、人魚に成る話や人魚ではないものの話まで、彼女の語る物語は多岐に渡った。それらはすべて初めて聞く物語で、恥ずかしながらメモを取る手が止まらなくなってしまったのである。

「それにしても、よくこんなにご存じですよね。甲斐崎さんも研究を?」

「研究、というほどのものではありませんけど」

甲斐崎さんは手元の紅茶をひとくち飲んでから、「そうですね、」と視線を僕ではないものにやった。

「わたし、昔人魚に会ったことがあるんですよ」

「人魚に?」

「ええ。目を細めて笑う、きれいな人魚でしたよ。――――――その時に人魚は、自分のお腹辺りを自分で傷付けて、お肉をわたしにくれたんです。わたし、不老長寿の妙薬だなんて知らなかったから―――――そのお肉、食べたんですよね。」

「――――――――」

「――――――そこから記憶が無いんです。次に目覚めたのは自分の布団の上。父と母が心配そうにのぞき込んでいて――――――話を聞くとどうやら、わたしは三日三晩高熱で寝ていたらしくて。―――――――今思うと、あれは悪い夢だったのかもしれません。でも、なんだか頭の中に残って離れないんですよね」

「…………それで、人魚に関する話を蒐集するように?」

「ええ」

「随分、―――――――好きなんですね、人魚のこと」


「いいえ」


いまでも恨んでいますよ、と志伊良さんは言った。




「―――――――――――それで?」

「お恥ずかしい話なんですが、僕はその一言ですっかり萎縮してしまいまして。だいぶお話も聞いたし、女性の家だし、おいとましようかと思ったんですよ。そうしたら彼女、最後になんと言ったと思います?」



――――――人魚に関するお話を集めているんですよね?

じゃあ、もし―――――――もしも、ですけど。


「不老不死を辞められる方法が見つかったら、わたしに教えてほしいって。玄関先で手を振って、見送ってくれたんですよ。………………」

「どうしたの?」

「――――――いや。あの。志伊良さん。……………人魚の事を嫌いだって言っていたのに。……………その時、すごく……そう、笑ってたんです。笑ってたのが、なんだか、怖くて。だって、嫌いなものの話を笑ってする人って……あまりいないでしょう。ましてや、恨んでる………だとか」

「…………………………」

僕の話をじっと聞いてくれていた教授は、コーヒーカップを机に置き、ふらりとソファから立ち上がる。僕がその背中を見つめていると、本棚から古そうな本を引っ張り出してきた。その表情は、どことなく青ざめているように見えた。

「…………教授?」

「いや………まさかとは思ったんだけど。その、彼女、………カイザキ、シイラだっけ。随分変わった名前だから、頭に残ってたって言うか―――――見て」

教授は古びた本のとあるページを開き、僕に見せる。僕はそのページを見て、ぎょっとした。


彼女がいるのである。いや、彼女の写真があるのである、そこに。


「―――――――戦後すぐのカストリ誌の復刻版なんだけどね。××県で、年を取らない女性がいた―――――というやつだ。父も母もとうに年を取り、まるで二人の孫のようだったって。………もちろん、こんな記事いくらでも捏造できる。不老不死の証拠など、どこにも無いんだからね」

「―――――――です、よね」

写真は不明瞭で、小さな点をかき集めて造られた像をしていた。だから彼女だとハッキリ言っていいものか、それはわからない。けれど横には確実に、甲斐崎志伊良という名前が書かれていた。

じゃあ。あれは夢なんかじゃなくて。


八尾比丘尼、と言うらしいね。


教授のその一言が、僕の頭の中をいつまでも、いつまでも泳いでいた。

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