第6話 人魚に「なる」話
「わたし、いつか人魚になるんだよ」
あざだらけの顔に笑みを浮かべながら、鈴岡しずくはそう言った。
鈴岡しずくは不思議な女の子だった。いつも空想を口にして、ないものをあるように口ずさんではにこにこと笑う。私はそんな彼女の世界の断片を聞くことが唯一無二の楽しみであったのだが、彼女の周りはそう思っていないらしかった。
「海の中はね、それはそれは美しいんだって。そこにはこわいことも、つらいこともない、楽園みたいな場所。人魚になったわたしはね、毎日歌を歌いながら、水の空に浮かぶ太陽を見上げて一日を過ごすの。どう?素敵だとは思わない?」
私は彼女の言葉にこくんと頷く。私も一緒に連れて行って欲しいと頼めば、「だめだよ」と彼女は言った。
「どうして?」
「お話には語り部が必要でしょう。それに、それにね?」
彼女は青と紫の小宇宙を頬に色づかせながら、綺麗な笑みを浮かべた。
「陸を見つめた時、誰もこっちを見ていなかったら寂しいじゃない。だから、ね。あなたはそこから、海を見つめていて欲しいの。ねえ、お願い。絶対にあの青い海から、目を離さないでね。約束だよ」
鈴岡しずくはその三日後に死んだ。町で一番高い展望台の上には彼女の靴と小さな鞄と、遺書のようなものが置いてあったらしい。そのあたりをいくら調べても、鈴岡しずくの死体は出てこなかったし、どこへも流れ着くことはなかった。
鈴岡しずくは人魚になったのだ。
今頃は海の底で、魚たちとたのしく過ごしていることだろう。そう思うと喜ばしいはずなのに、どうしようもない寂しさもそこに付随してくる。
だから私は今日もこの場所から海を見つめるのだ。いつか彼女が顔を出して、やっと目が合ったと笑い合える日を夢見て。
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