第5話
それから、三年が経った。
俺はいつもの作業服ではなく、スーツでスクリーンの前に立っていた。隣には、誰にも見えていないようだが、サンがいる。
俺の前には、新たな産廃処分場建設予定地の近隣住民の皆様が並んでいる。奥の方で、この三年のうちにしれっと昇格した見原部長が聞いている。
今日は、当社の処分場建設の地元説明会だ。住民の皆様に処分場についてご説明しなければならないことは多々ある。しかし、こういう説明会に顔を出すのは、概ね反対派の方々で、渋い顔で資料を眺めている。それでも、俺の担当分野で、住民の皆様にご安心いただけると俺は確信している。
スクリーンに、俺が作ったスライドが投影された。
「環境技術部の滝本と申します。弊社が所有する中渓処分場の環境取り組みについて、ご報告いたします」
マイクを通して、俺の声が会場に響き渡る。緊張で声が震えたが、サンが俺の手を握ってくれた。
「皆様は、ヒメボタルという生き物をご存知でしょうか。その名の通り蛍の一種ですが、一般的な蛍のイメージと異なり、森に生息しています。メスは飛ばないため分布は限られており、地域性が高い生物です。当処分場の建設地にも、ヒメボタルが生息していました。しかし、処分場の建設により、自然のヒメボタルはいなくなったと認識されています」
意図的に間を開ける。
「ところが、地元住民の方が、この地方のヒメボタルを飼育し、保護していました。そこで、我々は、処分場周辺の環境保全の一環として、森林を整備するとともに、このヒメボタルの繁殖を試みました」
スライドを切り替える。客席からほう、と声が漏れるのが聞こえた。
「その結果、このように、夜空を映したような蛍の光を、復活させることができました」
そのスライドに載せているのは、一枚の写真だ。
去年の夏、処分場周辺を写したものだ。ヒメボタルの明かりがあちこちに灯り、幻想的な風景を形作っている。
……実は、その真ん中で、コヨミと、ヒメと、サンが万歳しているのだが、それは誰にも見えていないようだ。
「更に、当処分場で埋設している地層から、温泉が発掘されました」
正確には冷泉だが、法律上低温でも水質が条件を満たしていれば「温泉」なので、温泉だ。
スライドを切り替える。そのスライドには、小さな温泉施設とその女将、雫が写っている。この三年で雫はずいぶんと血色がよくなり、健康な体重に戻った。それに事務が向いていなくとも、接客業は向いていたらしい。今のところ、経営は順調だ。
雫の隣では、レイが手を振っている。勿論、誰にも見えていないが。
「当処分場からの汚染が限りなくゼロに近いことの証明と考えています。このように、法令や規格基準の遵守は当然として、その上を行く取り組みができていると判断しています。……以上で、報告を終了します。ご清聴ありがとうございました」
まばらではあったが、それまでの説明ではなかった拍手が湧き起こる。俺は、サンと視線を交わして、微笑んだ。
世界は変わっていく。だからと言って、昔は良かったなんて言ったって昔は戻らない。
人も、世界に合わせて変わっていけばいいだけなのだ。ヒトも動物も植物も、全ての生物が、全ての非生物が、調和して存在していけるように。より良い道は、必ずあるのだから。
帰り道、小さな声でサンが歌った。
「ありさんてくてく 春の道
レンガのすきま アスファルト
ひびの間のおうちなの
ある日ありさん 持ってきた
すみれの種を 持ってきた
おうちの外に 捨てたんだ
そしたらにょきにょき すみれさん
おうちの横の 土の下
根っこをはって のびてくの
緑のはっぱ 広がった
芽が出て お花 さいたんだ
むらさき色のお花だよ
お日さまさんさん 春の風
狭い土でも むらさきの
お花の色は あざやかに
負けない心で さいたんだ
すみれのお花 きれいだね」
「コヨミさんに教えてもらったんです」
サンが指さした先で、アスファルトのヒビの間に、確かに菫の花が咲いていた。
こよみの歌 矢馳哲(やばせさとる) @Sathor
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