第4話

それから、雫は会社を休みがちになった。俺は言われるがままに、漫然と仕事をしていた。決まりきったルーチンワークを片付け、必要なんだか怪しい仕事をする。正直なところ、真面目に仕事をする気分にはなれなかった。

 俺は、俺と雫は、この処分場を潰すために動いていた。だが、それは本当に正しいことなのだろうか?

 コヨミは消えた。ヒメは住処を失った。キラは枯れた。その復讐は正当なものだと信じていた。

しかし、見原室長が言う通り、処分場は人間の生活に不可欠なものなのだ。地元住民の多くが賛同して――つまり、多くの地元住民が、あの山より人々の生活を取ったのだ。

俺はそうは思えない。コヨミたちを犠牲にして、生きることが良いとは思えない。だが、結局のところ処分場を潰したところで、コヨミたちが帰ってくるわけではないのだ。

俺は、どうしたらいいのだろう。

「タキオ君」

 半ばぼうっとしながらキーボードを叩いていると、見原室長に声をかけられた。

「はい」

「環境取り組みの件、君だけ案が出てないぞ」

「あ」

 思いっきり忘れていた。

 環境取り組み。この処分場が周辺の環境に配慮していますよ、というアピールのために行われる。例えば、処分場の建築のために伐採された森林を再生するとか、生物を保全するとか、そういった取り組みだ。今回、その案を一人一件提出するように言われていたのだが、うっかりしていた。

 大体、そんな簡単な取り組みでヒメやキラが帰ってくるわけではない。はっきり言って俺はやる気がなかった。

「すみません。すぐに提出します」

「なかなかいい案は出ないと思うが、まぁ、よろしくな」

 全くだ。すぐ思いつくようなことは他がやっているし、じっくり考えていい案が出るとも限らない。このあたりには、何があったのだろう。住んでいたくせに、思い出そうとすると思い出せない。

 コヨミ。ヒメ。キラ。……沢山の、自然。あいつらを取り戻すことは、もう、無理だ。そういえば、江戸時代の歴史があったが、大々的にPRするほどのものはない。

 結局、俺はてきとうに森林の再生、と書いて提出した。

見原室長も、そこまで期待していなかったらしい。俺の案をちらりと見ると、すぐ机の脇に置いた。そして、腕を組んで俺と視線を合わせた。

「ところで、ISOの監査の話は聞いているな」

「はい」

 ISO、International Organization for Standardization。日本語で国際標準化機構。その、監査。法令、基準類、とにかくルールを順守しているか、定期的に確認する仕組みだ。確か半年後だったはずだ。……ここでも、不正が行われないように監視されている。

「水質検査部門のEMSの調査と、不足分があった場合にはその是正をやってくれないか」

 EMS、Environmental Management System。日本語で環境マネジメントシステム。簡単に言って、当社は環境に配慮した運営をしていますよ、と証明するための手続きだ。これをきちんと整備していると認められれば、ISOから認証される。そうすれば、客観的にこの会社は正しく運営されているという証明になり、お客様から処分の依頼を受けられる、というわけだ。

「分かりました」

 俺は頷いた。壊すにせよ何にせよ、現状の確認は重要だ。

「頼むぞ」

 見原室長は俺の肩を叩いた。その手は、酷く重かった。

 まずはEMSについて勉強。見原室長と話しながら、計器や分析方法がISOの基準を満たしているか確認し、様々な手順に問題がないか確認し、書類関係を整備し、他部署と齟齬がないかを確認する。通常の業務は多少同僚に振ってもらったが、やることは山積みだ。

 そもそも俺は技術屋で、管理部門についてはよく知らない。「マネジメント」とやらをゼロから勉強する必要があった。学生時代のテスト前よりも必死で勉強した結果、気付いた事がある。

 ISO規格に定められているルールはよくできている、ということだ。会社組織が果たすべき使命を果たすために、マネジメントは存在する。加えて、仕事を通じて働く人たちを生かす。即ち、自己実現を達成させる。何より重要なのが、社会との関わりだ。社会に与える影響を処理し、社会の問題に貢献する。この複雑な関わりを、適切に管理するものがマネジメントなのだ。

 そして、素晴らしいことに、……あるいは、残念なことに、この会社のマネジメントはよくできている。やるべきことが漏れなくルール化され、やるべき人がやるべき確認をしている。

当然といえば当然だ。この処分場はこの会社が初めて建てた処分場ではない。見原室長もそうだが、他の処分場で経験を積んだ人たちが、基本的な方法を決めている。俺が手を入れられるところは法規が変更されたところか、単純なことばかりだ。……それだけ、丁寧にこの処分場は運営されている。

いい会社か、と言われれば従業員の不満は出るが、会社の体制自体は整えられている。周辺の住民や環境にも法令に定められた以上の配慮を行っている。この処分場は真面目に経営されている。処分場、という言葉からイメージされる、汚染物質をまき散らして周辺環境を破壊していくような場所ではなかったのだ。

 それを、壊すことは正しいのだろうか。



黙々と残業していると、雫からメッセージが届いた。

「二十時に家に来て」

俺は了解のイラストを送った。監査はまだ先だ。雫に会うのも久しぶりだ。俺が忙しかったせいでもあるし、雫が会社にほとんど出てこなくなったこともある。

会社帰りに雫の家に寄る。このあたりの道も、俺の腕でも運転できる程度に広くなった。

「なんか、久しぶりね。タキオ」

出てきた雫を見て、俺はぞっとした。

まずは、痩せた。もともと正常な範囲内でやや太り気味、といった程度の体形だったが、目の前にいる雫は不健康に痩せている。それに、顔色は真っ白で、目の下に濃い隈ができている。そして、何より。七分袖の袖口から覗く腕に、赤い傷跡が何本も走っている。

明らかに無理やり浮かべている笑顔が痛々しかった。

「雫……」

俺は、それ以上何も言えなかった。

「こっち、来て」

ふらりと雫は歩き出した。幽霊のような足取りで、俺には現実とは思えなかった。

雫の家の裏庭に出る。そこには、沢山の虫かごが並べられていた。キンランとギンランが植えられていた植木鉢とプランターは、雫と俺で既に片付けた。

ぽつりぽつりと、その中で光るものがある。処分場の工事が始まったころに、俺たちがかき集めたヒメボタルだ。

そう、今はホタルの時期なのだ。仕事にかまけて、すっかり忘れていた。

「……ヒメは、生きてるの」

そう言って微笑んだ雫は、虫たちの明かりに囲まれて、まるで異世界の生き物のように見えた。

その時どんなリアクションをしたのか、俺は覚えていない。ただ、思い出したことは確かだ。処分場の白い壁と遮水マットに覆われた土地に慣れすぎて、忘れかけていた。ヒメボタルが光る世界が、俺たちの現実だったということを。それを処分場が壊した。壊れた現実の残り香が、ここに残っている。

コヨミ、キラ、それからたくさんの生き物たち。……そして、雫も。多くの犠牲の上にのうのうと立ってはいられない。

Remember our Nature.

それが何も生まないとしても、俺たちは復讐すると決めたのだ。

それから、俺は通常の仕事に、「本来の目的」を加えた。

ISOの監査はいいタイミングだ。ここで不正をしていることが明らかになれば、会社に大きなダメージを与えられる。しかも、周りの環境への被害はなくて済む。コヨミたちが暮らしていた土地をこれ以上汚さずに、処分場を潰すことができるかもしれないのだ。

俺は考えた。

ルールや書類はすでに十分に整備されている。そもそも変更には上司の承認が必要なので、また見原室長に見つかるだけだ。現場の作業の変更を通達するのは簡単だが、別な処分場から移動してきたベテラン層はその変更がおかしいと気付くだろう。

俺の権限だけで変更でき、致命的な不正となるのは何か。

探りながら仕事をしているうちに、俺は気付いた。計器のプログラムだ。

見原室長は計器のプログラムまで確認しない。というか、システム系の知識がないのでできない。現場は、明らかな異常値が出ない限り気付かない。社内システムエンジニアもいるが、個々の計器までチェックする余裕はない。というかそれをチェックするのは俺の仕事だ。計器のシステム。そこは、俺だけの領域だった。それでも、ISOの監査官は計器の基準値をチェックし、不正と判断するだろう。

笑えることに、俺がそうやって仕事以外のことをやっていても、周りからの注意は受けなかった。俺がプログラムを書いていることは珍しくないし、その中身まで見ている社員はいなかった。

そうして、俺はプログラムを完成させた。

監査の直前となった日曜日、俺は雫を訪ねた。寒い朝だった。いつの間にか緑に輝いていた木々の葉が落ち、茶色い樹皮をさらしていた。

雫に会うのは久しぶりだった。たまにメッセージを交わすことはあっても、会うことはなかった。あの、ヒメボタルの夜から、俺は雫に会うのが怖かった。処分場を潰すと決めたのに、迷っていた俺の怠慢を雫は責めているように思えた。……実際のところ、それが真実かどうかはわからない。聞いてすらいないのだから。ただ、俺がそう感じていることは確かだった。

だが、今日は違う。胸を張って、雫に会える。

出てきた雫は、あの時と変わらなかった。不健康に痩せた身体、真っ白な顔色、目の下の隈。腕の傷跡は、長袖に隠れて見えない。

「準備ができたんだ。行ってくる」

雫は黙って動かない。俺は、踵を返した。背後で、雫が泣く声が聞こえた。

車を走らせる。冬枯れの山々を抜けると、処分場が見えてくる。改めて見ると、真っ白に塗りたくられた壁は風雨にさらされてくすみ、奇妙に周囲に溶け込んで見えた。

社員証をかざして門を開け、社内に入る。いつも通り作業服に着替えて、水質検査室に向かう。すれ違った誰もが、俺を不信がらなかった。単なる休日出勤に見えるのだ。

俺は水質検査室に入り、計器にパソコンを繋いだ。パスワードを入力し、完成したプログラムをインストールする。完全に手順通りの方法だ。ルール違反となる可能性があるのは更新記録だが、そもそも更新記録を残すルールを作ったのは俺だ。記録しない方法は把握している。

このプログラムは、分析手順には影響を与えない。というかそんなところは計器メーカーの仕事で、俺が触れる領域ではない。俺がいじったのは、その後だ。出てきた数値が法令の範囲外になったとき、警報が鳴るシステムになっている。ここをいじって、検出する物質の異常値となる数値を、かなり大きい値に書き換えた。こうすれば、残るのは「設定された異常値を出していない」という記録だけで、「法令に定められた異常値」が出た可能性が否定できなくなる。本来排出してはならない汚水を排出してしまった「可能性」が出てくる。更新記録がないために、いつからそうなっていたのか証明する手段はない。

「可能性」とは恐ろしい言葉だ。環境団体や近隣の住民にとっては、「可能性がある」というのは、それが起こった、に近い意味合いになる。ましてや、監査で無視されるはずがない。

後は、「不正」がばれた会社がたどる末路を、ただ追うだけだ。俺はいつの間にか口角が上がっていることを自覚した。

実行キーを押せば、プログラムの更新が完了する。

「ごめんなさい」

背後で小さな声がしたのは、その瞬間だった。

俺は飛び上がるように振り返った。

そこにいたのは、どこか見慣れた白の服を着た、少女だった。こんなところに、子供が入れるはずがないのに。コヨミたちと同じくらい、に見える。うつむいた彼女は、手に何か、円形のものを握りしめている。

「ごめんなさい」

少女は、もう一度言った。

「わたしが、わたしのせいで、キラさんや、他にも、たくさんの命が失われたことは知っています」

キラ。その名前に俺は動けなくなった。靄に囚われたような頭で、必死に考える。

その名前を知っているのは、俺と、雫と、コヨミたち精霊。

まさか。

「ごめんなさい……でも、沢山の方々がわたしにここにいろって言うんです」

見慣れた白。

「わたしは、生まれたくて生まれてきたんじゃない……けど、必要だと、思ってくれてる人たちがいるなら」

ああ、この子の服の色は。

「だから……ごめんなさい。その機械を悪くして、わたしを、殺さないでください」

この、処分場の壁の色だ。

「――君は」

俺は、判っていることを訊いた。判っていても、訊かずにはいられなかった。

「わたしは、コヨミさんたちと同じ……霊魂、です。ごめんなさい……」

少女は、手に持っているものを俺に差し出した。それは、短い配線やら針金やらが円形にまとめられたものだった。

「給湯室にあった、コヨミさんのをまねして作りました……だから、ごめんなさい。わたしも友達にしてください……」

給湯室。雫が忘れていった、あるいは、置いていった、コヨミと交換したリースがある。

そう。よく見ればそれはリースだった。藤蔓製の、俺たちが作ったリースとは違うが、リースではあった。……おそらく、この処分場内で手に入るもので作ったのだ。

俺は動くことができなかった。プログラムの更新キーを押すことができない程に。

 そして。

「やれやれ、なんとか無事終わったな。お疲れ様、タキオ君」

 見原室長の言う通り、監査は無事に終わってしまった。

 俺は、あの後何もせずに、ただ家に帰った。ゴミくずのようなリースだけを持って。

「はい。ありがとうございます」

 あとは惰性だ。見原室長や俺、その他の監査担当となった同僚たちの尽力の結果、監査はつつがなく終了した。つまり、この処分場の公正さが保証された。……保証、されてしまった。

 それ以来、処分場の中であの子をよく見かけるようになった。見原室長について回ったり、俺の後ろから計器をのぞき込んだりしていた。しかし、処分場の外には出られないらしい。

ただ、コヨミたちと同じように、他の職員たちには見えていないようだった。会議室に入る見原室長についていこうとして、目の前で扉を閉められて泣きそうになっていた。仕方ないので別の会議室の扉を開けてやると、喜んで入っていった。仕事を片付けて、もう一度その会議室の前を通りかかると、扉は閉まっていた。誰かが閉めたのだろう。もしかして、と思って扉を開けると、泣きながら飛び出してきた。そんなこともあった。

俺の部屋には、雫が置いていったリースとあの子が作ったリースが並べておいてある。

結局のところ、俺はほだされたのだ。俺の横でパソコンを背伸びして見ているこの存在に。

当然、そんな俺の態度は雫を怒らせた。

「準備できた、って言ったじゃない!!」

雫の部屋のドアの向こうで、雫は叫んだ。扉を開けてすらくれなかったのだ。

「処分場にコヨミみたいな子が、いるわけないでしょ!コヨミもヒメもキラも、あの子たちは自然の存在なの!くだらない嘘ついてごまかさないで!!」

そのあと聞こえてきたのは嗚咽だった。

雫を納得させるにはあの子を見せるのが手っ取り早い。が、あの子を処分場から連れて来れない以上、雫を処分場に連れていくしかない。だが、俺には無理だった。

「……雫。それでも、あの子はいたんだよ」

俺たちは、コヨミたちのことは自然の精霊だと思っている。だが、あの子は明らかに自然の存在ではない。処分場、人工物に由来している。だが、コヨミたちと全く変わらない存在に思える。

俺たちが、俺が、「自然」と思っていたものは、何なのだろう。

雫の家の庭にある、ヒメボタルが入っている籠に問いかけても、応えはなかった。



 俺がぼけっとしながら仕事していても、雫が引きこもっていても、世界は回っていくらしい。

 身を切るようだった寒さはやわらぎ、駅前に植えられている桜が咲き始めた。処分場は遅滞なく運営されている。そういえば、俺がこの処分場に勤めてからもう一年になるのだ。あの子に出会うまでは必死に働き、悩み、行動した濃密な時間だったが、会ってからはまるで空白のようだ。

 今も悩んではいるのだ。

 コヨミや、あの子の存在について。

 だが、俺の中の必死さがなくなってしまった。処分場を潰す、という目標が霞んでから、俺は真剣に考えるのを止めてしまった。面倒になってしまったのかもしれない。いくら努力したところで、予想外の出来事が起こって考え方から修正しなければならないのだから。

 いつもの時間に朝起きて、あたりまえに身支度を整え、機械的に朝食を食べ、決まりきったルートで処分場に向かう。指定された位置に車を止めて、ぼんやりと空を眺めた。霞がかった春の空は、薄ぼんやりとした空色だった。

 そこに。

 秋の青空のような、澄み切った空色のものが、浮かんでいた。

 ばちり、と視線が合って、俺の脳は一気に覚醒した。


「そら そら そらららら

ねぇ顔上げて? お空とってもきれいだよ!

あのビルより高くまで あの線路より遠くまで

そら そら 青いよ どこまでも

ずっとずっと飛んでいくんだ


そら そら そらららら

ねぇわかる? 春のお空はとっても寒いんだよ!

空は青くて 風は寒くて

ちり ちり ほっぺた 冷たいよ

でもね、ずっとずっと青いから

もっともっと飛びたくなるの


そら そら そらららら

ほら見て! あの雲きんいろだよ!

青い青いお空で もくもく雲を

きら きら 太陽 照らしてる

ずっとずっと青い空

もっともっと飛んでって

ちかちか雲を つかむんだ


そら そら そらららら

そら そら そらららら」


 くるくると空を舞って、俺の前に音もなく降り立ったのは、間違いなくコヨミだった。

「ただいま、タキオ!」

 俺はスマホを取り出して、見原室長の番号を呼び出した。

「風邪をひいたので休みます」

「お前駐車場にいるだろ!? 見えてるぞ!?」

 混乱した声が聞こえたが、混乱しているのはこちらの方だ。俺は電話を切った。

 いつの間にかコヨミはあの、処分場の子と手を繋いでいた。

 コヨミが駆け出す。それに引っ張られて、あの子も走り出した。そのまま二人は、ごくあっさりと処分場の敷地の外に踏み出した。

「おい、待て!」

 突然叫んだ俺に周りにいた職員たちが振り返ったが、気にしている場合ではない。

 俺は二人を追いかけた。

 二人、というかコヨミが向かった先は、雫の家の方向だった。ちなみに、普通車で移動する距離である。走っているとはいえ子供の足だ。俺には速足くらいのスピードだったが、明日は筋肉痛確定だ。

「しずくー!」

雫の家の前で、コヨミが思い切り叫ぶ。

「しーずーくー!!」

 二回目で、雫が窓際に姿を現す。コヨミを見ると、身を翻した。

 そして素足のまま、外に飛び出してきた。雫が感情を顔に出しているのを、久しぶりに見た気がした。

「コヨミ!?本当にコヨミなの!?」

 雫がコヨミを抱きしめる。コヨミは、確かにそこにいた。雫の頬を伝った涙が、コヨミの服に落ちた。

「ただいま!」

 ちょっと遊びに行ってきた程度の口調で、コヨミが笑う。

「もう!心配したんだよ!!」

 コヨミの肩をつかんだまま顔を合わせて、雫が叫ぶ。

「コヨミ、大丈夫って言ったもん」

「そうだけど……どうしていなくなったの?」

 コヨミは首を傾げた。雫のが何を言っているのかがわかっていないようだ。

「……いいの。おかえり、コヨミ」

雫は微笑んでコヨミの頭を撫でた。コヨミはにっこり笑った。

「あのね!あたらしいおともだち!さんぎょーはいぶつ……かりがた?さんはい……サンちゃんだよ!!」

 おおすげぇ略し方。そうやって名前つけてたのな。

 コヨミに捕まれた手をぶんぶん振られながら、あの子、サンが頭を下げる。

「アンジョウ環境株式会社、中渓管理型最終処分場、です……ごめんなさい」

 雫が固まった。サンは怯えたようにコヨミの背後に隠れた。コヨミが困ったように俺を見上げる。

「いるって言っただろ?」

「嘘でしょ……」

 茫然と雫が呟く。

「ウソじゃないもん!サンちゃんはサンちゃんだもん!!」

 頬を膨らませるコヨミの後ろで、サンが泣きそうになっている。俺は、サンの頭を撫でてやった。

「よければ、君たちはいったいなんなのか、教えてくれないか」

 サンは頷いた。

「はい……あの、私たちは、霊魂、のようなものです。アニミズム……をご存知でしょうか、あらゆるものに霊魂が存在するという考え方で、宗教の初期段階とも云われます」

 あ、なんかこの子難しいこと言い出した。

「私たちは、その霊魂です。コヨミさんは、この土地の。私は、あの処分場の」

「……処分場にも、霊魂があるのか?」

 言ってから、酷い質問をしたと思った。その霊魂本人に、何を言ってるんだ。

「あり、ます。そこを、大切に思う人がいるなら。コヨミちゃんたち自然のものは、その生き物がいるだけで存在し得ますが、私たち人工物は、それを大切にする人がいれば、霊魂が生まれます」

「見原室長とか?」

「はい……従業員の方々だけじゃなくて、本社の方々も、この処分場に運ばれてくる物を扱っている業者さんたちも、処分場が機能しているから助かっている住民の皆様も。……私は、沢山の人に支えられています」

 あ、なんか説教されてる気分になってきた。完全に惰性で仕事していた自分が恥ずかしくなってきた。

「まえにもレイちゃんがいたんだよ!」

 コヨミが胸を張る。

「レイちゃん?」

「レイセン、さんのことです……」

 答えたのは、サンだった。

「江戸時代、ここは宿場町として栄えていました。その頃、この土地ではレイセンが湧き、それを温めてお風呂にしていたそうです」

 レイセンって冷泉、温度の低い温泉のことか。

「そこで、私のような人工物の霊魂、レイさんが存在したそうです……ごめんなさい」

「サンは賢いな」

 サンは小さく頭を振った。

「わ、私は、人工物なので、ヒトの世界に詳しいだけです……コヨミさんは、自然の存在なので、ヒトとは生きている体系が違います……こうして、お話しできるだけでも奇跡です」

「そうか、奇跡か……」

 心に穏やかな風が吹いたようだった。何となく、納得できた。

「奇跡なら」

 しかし、雫はそうでなかったらしい。

「奇跡なら、キラやヒメの方が奇跡でしょ!?あの子たちを返してよ!」

「ご、ごめんなさい……」

 小さくなるサンの前にコヨミが立ちはだかった。

「サンちゃん悪くない!レイちゃんの頃だってマっちゃんしかいなかったもん!それからヒメちゃんとキラちゃんが来たんだもん!もっともっと前だって、リュウちゃんたちいなくなったの!みんな入れ替わるの!サンちゃんのせいじゃない!」

 うむ。

「サン、通訳」

「はうぅ……冷泉、さんがいた頃は、木材で火を燃やしていたので、周辺ははげ山……のような状態で、松さんしか生えていなかったそうです。その後、エネルギー源が石炭や石油に移行するにしたがって、木々は伐採されなくなりました。そのため自然が回復し、ヒメボタルさんやキンランさんが住めるようになったそうです」

 ……歴史ってすごいなー。

「リュウちゃんたち、っていうのは?」

 思考停止している俺とは逆に、雫が口を開いた。サンへの態度は、若干優しくなっている。それでも、サンはびくりと体を震わせた。

「は、はい……あの、えぇと、コヨミさんは、土地の霊魂なので、この山々が隆起したころ……遥か昔から、存在していたと考えられます。リュウさんとは、恐らく恐竜の絶滅のことを仰られているのではないでしょうか……」

 恐竜。なんかもうよくわからん。いや、だいぶ前からよくわからん。

「コ、コヨミさんはたくさんの生き物の進化と絶滅を見てきたのだと思います……なので、霊魂が生じたり、その、滅びたりすることは当たり前と考えていらっしゃるのだと思います……ごめんなさい」

「……そうなんだ」

 雫はコヨミの頭を撫でた。

「ねぇ、ヒメはまだいる?」

 コヨミはきっぱりと答えた。

「いるよ!寝てるだけ!」

「いるんだ!」

雫が目を輝かせた。一方で、サンが俺の袖を引く。

「あ、あの、か、籠の中だけでは難しいですが、ヒメボタルの生息域が広がれば目覚める可能性はある、そうです……ごめんなさい」

「……そっか。そうだよね……やっぱり森がないと」

「ごめんなさい……」

 視線を落とす雫を見て、サンがますます小さくなる。俺はその頭を撫でてやった。

 そして、唐突に思いついた。

「……生息域か」

「タキオ?」

「みんな、協力してくれないか」

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