神頼み

えのき


「僕らはもう終わりですよ」


 暗い森の中で本殿の小さな光を浴びながら、その言葉が頭を反芻していた。深夜の神社で何をしているのかと自分でも思うが、どうしても家には帰りたくない。


 会社が倒産して早三日。次第に心が絶望感に蝕まれていく。もう神頼みくらいしかする事が無い程に、私には余裕がなかった。自殺でもしようと考えたが、残された家族のことを考えると、そんな軽率な事はできない。


 財布の中からなけなしの十円玉を取り出すと、重い腰をあげた。


「お願いします、助けてください」


 心の中で唱えなければならない言葉が、直接口から飛び出す。だが、私はそんなことにすら気付かなかった。


 どのくらい経っただろうか。しばらくの間瞼を閉じて、ずっと祈りを捧げていた。だが、特に何も起こらない。


「そりゃそうか」


 何か起こるのでは無いかと、子供みたいなことを期待していたが、現実はそう上手くはいかない。


「そろそろ帰らないとな。公子が心配する」


 娘の公子を思い浮かべながら、私は足下に置いてある鞄をよいしょと持ち上げる。寒々しい空気が周りの木々に運ばれる中を、私はのそのそと歩き始めた。


「せめて、三ヶ月後の公子の誕生日に何かしてやるために、バイトでも探すかな」


 私は明日からのことを考えると、少し複雑な思いになった。


              *****


 翌朝、目覚ましの音に不快になりながら、私は重い瞼を持ち上げる。そのまま、枕元のメガネを取ろうと手を伸ばした時、何か不自然なものに触れた。


「何だ、これは?」


 それは、茶色い革製の古びた本だった。リビングへ行き、妻に「これを知っているか?」と尋ねると、彼女は「何その汚いの」と怪訝な視線を向ける。もう一度部屋へと戻り、その本をぱらりと開いてみた。


【これから示すことに従え】


 一ページにはただ一言、そう書かれていた。その次のページからは具体的な指示が入っており、不自然で不気味な本に少なからず嫌悪感を抱く。

 

 しかし、興味本位でそれに従ってみることにした。


             *****


 そこからは、面白い程に上手く行った。


 ページは指示通りに動くと、どんどん更新されていき、その指示は的確に私の問題を解決していく。部下の数も増え、資産も指数関数的に増えていった。この本は、私の未来をいい方向へと誘っていく。


 もう、怖いものなんて何もない。


 倒産して、これから先の未来を妻と共に心配していたが、今ではもう忘れてしまう程に充実している。


「公子、誕生日おめでとう。パパからのプレゼントだ」


 ついに訪れた公子の誕生日に、私は彼女の欲しがっていたプレゼントをあげた。彼女はプレゼントを見た瞬間、ぱっと笑顔を顔中に広げてはしゃいでいる。


「よかったな」


 彼女の頭を撫でながら、その満面の笑みを眺めた。彼女の純粋な表情を見て、私の中がざわつく。それはきっと私も喜んでいるのだろうと思っていたが、何か違っていた。


「パパ、たのしくないの?」


 先程まではしゃいでいた公子が、小首を傾げてこちらを覗く。何故、そんなことを聞くのかと彼女を見ると、その瞳には無表情の男の顔が映っていた。


 そこで私は何も言わずに走り出していた。


 我武者羅に神社まで駆けて、ようやく到着する。汗が瞳に入り、痛みが走る。ネクタイで額を流れる汗をざっと拭うと、右手に握っていたあの本を賽銭箱へと投げた。


 放物線を描きながらその本が賽銭箱へと落ちる直前、それは闇へと飲み込まれた。


「ありがとう神様。でも、俺は俺として生きていくよ」


 神様に高らかと宣言して、私は家へと帰った。


              *****


「あなた大丈夫?」


 帰ると、妻が心配そうに私へタオルを渡してくる。それで全身の汗を拭っていると、娘が寄ってきた。


「パパ、きょうはありがとね」


 可愛く咲いた笑顔と共に渡されたのは、一枚の十円玉だった。

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神頼み えのき @enokinok0

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