第28話

ゴールデンウィークが明けた。


そして放課後。

ジャージに着替えた瑠璃は、さっそくコスプレ部の部室で特訓をさせられていた。


コーチは同じくジャージ姿の凛である。

凛の通う高校は久太郎たちの高校とそれほど離れておらず、放課後に通える距離にあった。

幸いである。


久太郎や京子も一緒に見守るなか、瑠璃は筋トレをする。


「……いーちぃ、にーい、さぁ、ん……」


トレーニング内容は腕立て伏せ。

身体を持ち上げるたびに、細い腕がぷるぷると震える。

瑠璃は必死だ。


「……し、しぃ……ぃ! もうダメぇ!」


瑠璃はパタリと床にのびた。

その不甲斐ない様子を眺めながら、凛がため息をつく。


「……貴女ねぇ。もうダメって、まだたったの4回しか出来てないじゃない。もしかして、ふざけてるの?」

「ふ、ふざけてないし!」

「本当に?」

「ホントだって! 腕立て4回もしたんだよ⁉︎ 限界までがんばったじゃん!」


瑠璃はぷくーっと頬を膨らませた。

凛はいっそう深くため息をつく。


凛が呆れるのも無理はない。

瑠璃は筋トレ全般が、てんでダメだった。

スクワットをさせればものの10回で足腰が立たなくなり、腹筋をすれば6回でギブアップ。

腕立て伏せに至ってはこの通りのザマである。


瑠璃が泣き言をいう。


「というか、なんでコスプレの練習で筋トレなんてしなきゃいけないの? 訳わかんない! アニメ観てキャラの研究したり、ポーズの練習したりするほうが絶対いいじゃん!」

「……なに言ってるの、貴女まだ基本が全然できてないじゃない。筋肉は大切よ? 長物ながもの(剣や槍などのコスプレ小道具のこと)を扱うにも筋力が足りなければ振り回されちゃうし、綺麗に静止できないでしょう」

「そ、それはそうかもしんないけどぉ……」


瑠璃は不満タラタラである。

筋肉トレーニングが嫌で嫌で仕方がないのだ。

なんとか回避できないものか。

凛に難癖をつける。


「でも! わたしにばっか筋トレしろって言うけど、どうせ凛先輩だって、腕立て伏せなんかちょっとしかできないんでしょ?」

「……私?」

「そう、凛先輩! だってそんな腕細いんだし! けどコスプレはちゃんと出来てるじゃん!」

「あのねぇ……。私を貴女と一緒にしないで。腕立て伏せくらいできるわよ」

「じゃあ、やって見せてよ!」


凛は子どもみたいに駄々をこねる瑠璃に、やれやれと肩をすくめる。

床に手をつき、足をのばす。

言われた通り腕立て伏せを始めた。


「……いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち……」


ペースが速い。

凛は淡々としたリズムで、軽々と腕立て伏せをこなしていく。


「……にじゅう……さんじゅう……」


息も乱さず30回。

瑠璃が目を丸くした。


「……ごじゅう。まぁこのくらいかしら? あとは……」


凛は腕立て伏せを楽にやりきった。

この細腕のどこにこれほどの力があるのかと、瑠璃は不思議に思う。

だって合計50回だ。

しかもそれだけでは終わらない。

最後に凛は、地面に手をついたまま下半身をゆっくりと持ち上げていく。


凛は手をついたまま、身体を地面と垂直に伸ばした。

倒立だ。

爪先まで綺麗に伸びきっている。

そのまま静止すること五秒間。


凛は逆立ちした状態のまま脚を前後に大きく開く。

そこから倒立後転の要領で音もなく起き上がった。


パンパンと手の埃を叩いてから、瑠璃に言う。


「どう? これで満足?」


腕立て伏せ50回となると、運動部の男子ですら疲れる回数である。

それを悠々こなしてまるで苦にした様子もない凛に、瑠璃が驚く。


「――す、すごっ! 凛先輩すごい! マジ感動なんだけど! あと身体めっちゃ柔らかくない⁉︎」

「これくらいトップコスプレイヤーなら当たり前よ。強靭な体幹や柔軟性はポージングの基本。だから瑠璃。貴女もはやく、これくらいは出来る様になりなさい」


話しながら凛はポーズを取っていく。

片足で爪先立ちになり、もう片方の脚を床と水平になるまであげて、手を差し伸べる。


この美しいポージングは『アラベスク』。

有名なバレエのポーズで、鍛え抜かれた体幹と柔軟さを求められるポージングである。


「とりあえず10日でこのポーズが取れるようにするわよ」

「で、出来るかなぁ?」

「出来なくてもやるの。……さぁ、わかったらトレーニングの続きよ。私とコスプレをするんでしょう? ならみっともないコスプレはさせないから。覚悟しておきなさい」


瑠璃は倒れたまま、うへえと舌を出した。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


トレーニングを終えた瑠璃と凛は、久太郎や京子も混じえてミーティングを開始する。

議題は今後のコスプレ部の大雑把な活動方針である。

凛が切り出す。


「確認よ。コスプレ部の最終目標は、月間総合ランキングで七星茉莉花の順位を瑠璃に抜かせること。期限は次の冬コミまで。それで間違いないわね?」


茉莉花の順位を抜く。

それはつまりランキング1位を目指すことと同義だ。

一同が頷いた。

凛は続ける。


「……分かった。となるとちょっと考えないといけないわ。正直なところ正攻法では無理ね。瑠璃ひとりでぶつかっても勝てるわけがない」


ズバリと言われた瑠璃は反発する。


「そんなのやってみないと分かんないじゃん!」

「貴女はちょっと黙ってなさい」


有無を言わせぬ凛に、瑠璃が鼻白んだ。

久太郎が尋ねる。


「正攻法じゃ無理って、じゃあどうすればいいんだ?」

「……併せ部門よ。それしかないと思う」


凛は断言した。

京子がポンと手を打つ。


「なるほど……。そうかも知れません」

「……はぇ? どゆこと?」


頭にクエスチョンマークを浮かべた瑠璃に、京子が説明をする。

その内容とはこうだ。


コスランのランキングには様々な部門がある。

それは『男性/女性コスプレイヤー部門』であったり『男装/女装コスプレ部門』であったり『作品別コスプレ部門』であったり――


そのうちのひとつが『併せ部門』だ。

そしてそれら全てのランキング部門を総合したものが、『総合ランキング』なのである。


そして『併せ』とは、複数のコスプレイヤーが、同じテーマに沿ってコスプレすることを言う。

つまり併せ部門からの総合ランキングで挑めば、瑠璃はひとりで茉莉花と争わなくて済むようになるのだ。


コスプレ部 vs 茉莉花の構図の出来上がりである。



「……なるほど、話はわかった。ところで併せ部門は、その他の部門よりポイントが稼ぎやすいのか?」


久太郎に凛が応える。


「一概にそうとは言えないわね。たとえば人気のあるコスプレイヤーの場合、下手な相手と併せをするよりひとりでコスプレをした方がずっとポイントは得やすいわ。……でも瑠璃の場合は別ね。この子はまだコスプレ界隈では無名に近い。そんな子がこの私と併せをするとしたら、瑠璃にとってはメリットしかないでしょうね」


凛はトップコスプレイヤーだ。

その凛が併せをするとなると、確実に話題になる。

瑠璃の注目度も跳ね上がるに違いない。


「……でも、それでいいのか?」

「何が?」

「それって瑠璃にはメリットしかないけど、逆に言うと灰羽さんにはデメリットしかないんじゃないか?」

「なんだ、そんなこと」


凛は気にした様子もなく応える。


「そんなの、一緒にコスプレをするって言ったんだから折り込み済みよ。それに私はなにもランキングの為だけにコスプレをしているのでもないし」


久太郎は内心で感謝する。

凛の献身に頭が下がる思いだ。

凛が続ける。


「……あとは、こちらが併せ部門で挑むことを七星茉莉花が承諾するか、という問題が残っているわね。なにせ捉えようによっては一方的な条件変更になるのだし」


もともとは瑠璃と茉莉花の競い合いなのである。

それが瑠璃を含めた併せチームと茉莉花との競い合いに変わる。

茉莉花としては不利になりかねない条件変更だ。

それを茉莉花が良しとするか。


拒否されてもおかしくはない。

だが久太郎には確信があった。

茉莉花は多少の条件変更など物ともしない。

必ず勝負を受ける。

久太郎は感じたままを伝える。


「それは問題ないと思うぞ。茉莉花はそういうヤツなんだ。だからアイツには後で、俺のほうからメッセージを投げておくよ」


凛が頷く。

そのそばで当事者である瑠璃は、ずっと頭にハテナマークを浮かべていた。



久太郎が話をまとめる。


「よし。じゃあコスプレ部の今後の方針だが、併せを中心に活動していくってことでいいな?」


瑠璃が言う。


「よく分かんないんだけど、それってつまりわたしと凛先輩で一緒にコスプレしていくってこと?」

「……まぁ、平たく言えばそうだな」

「じゃあ反対する理由なんかないじゃん」


瑠璃は指でオッケーサインを作った。

凛に微笑みかける。


「楽しみだね、凛先輩!」


真っ直ぐに向けられた笑顔に、凛は軽くひるんだ。

こほんと咳払いをして続ける。


「私としては併せの人数を増やすことを提案するわ」

「えっ、わたしと凛先輩のふたりだけじゃないの?」


ふたり併せも尊いものではある。

初代プニキュアの白と黒や、リゼロのエムアムのように、映える併せも多い。

しかし凛はあと少し、人数を増やしたほうが良いのではないかと考えていた。

正直なところ、自分と瑠璃の二人きりでは茉莉花には対抗し切れないのではないか。


「……出来れば、もうひとりふたり、増やしたいわね」

「そっかぁ。わかった! じゃあ新しいメンバーを探さないとね!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る