第26話
コスプレを開始した瑠璃は、杖を握ると頭上に高々と掲げた。
ルイゼが咲人を召喚した際のポージングだ。
作中のルイゼはこのポーズをした場面において、貴族である自分に相応しい、立派な使い魔を召喚しようと意気込んでいた。
瑠璃はポーズだけでなく、その気持ちごとシーンを再現しようとしている。
表情を引き締め、口元をキュッと結び、これから召喚する筈のまだ見ぬ使い魔への期待と緊張を表す。
久太郎は思わず頷く。
「……うん」
立派なコスプレだ。
もちろん衣装にしてもポージングにしても、再現度を細かく見ていけば、瑠璃のコスプレがまだまだトップコスプレイヤーに及ばないことは明白である。
しかし瑠璃は懸命だ。
真剣にコスプレと向き合っている。
久太郎はその姿勢を感じ取り、嬉しくなった。
撮影したくなった。
カメラマンに本心から撮影したいと思わせるコスプレイヤーは、本物だ。
久太郎は気持ちの赴くまま、シャッターを切った。
瑠璃のコスプレを撮り逃すまいと、何度も何度もシャッターボタンを押し込んでいく。
瑠璃がポージングを変えた。
腕を真っ直ぐに伸ばし、久太郎に向けて杖を突き出す。
これはルイゼが使う虚閃の魔法『
久太郎はぞくりとした。
杖の先端から、何かしらの圧迫感を感じる。
理解不能な力――つまりは魔力がそこに集まり、凝縮されていくような、不思議な感覚……。
久太郎にそう感じさせたものの正体は、コスプレイヤーとしての瑠璃の気迫だ。
――トップコスプレイヤーは、現実世界をアニメや漫画の世界で侵食する。
パフォーマンス力や、表現力。
衣装や、ポージングの再現度。
キャラクターへの愛。
作品世界の深い
コスプレには、数え上げればいくつも必要とされる要素がある。
そういったものを極限まで磨き上げ、自分にとって当たり前と言えるほど昇華するに至った一部のコスプレイヤーだけが、観るものの意識を自らの内なる世界へと――すなわち作品世界へと引き込めるようになる。
現時点の瑠璃には、まだそこまでの力はない。
けれども、久太郎は感じていた。
瑠璃が差し出した杖の先端。
そこに瑠璃の輝きを、本物のコスプレイヤーとしての力の片鱗を垣間見ていた。
「……瑠璃。お前、きっとすげえコスプレイヤーになるよ……」
久太郎は無意識のうちに呟いていた。
瑠璃はまだ
けれども開花しようと必死にあがいている。
いま久太郎の目の前で。
この蕾はいずれ開花し、鮮やかに咲き誇る。
そのとき、いったいどんなコスプレイヤーが誕生しているのだろう。
きっと瑠璃は、茉莉花にも、凛にも、幻のコスプレイヤーにも負けない凄いコスプレイヤーになる。
久太郎はファンダー越しに瑠璃の未来を見据えながら、期待に胸を躍らせた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
瑠璃は撮影されながら感じていた。
全身を痺れさせる心地の良いシャッター音。
そこに紛れて伝わってくる久太郎の想い。
その想いとは被写体に対する、ひいては自分に対する愛情だ。
(……ぁあ、嬉しい……)
久太郎にもっと見て欲しい。
自分を撮ってもらいたい。
撮影が進むごとに、瑠璃は心の奥底に沈めていた久太郎への想いが解放されていくのを感じる。
大胆になっていくのを自覚する。
でも止められない。
久太郎のことが愛しくて、愛しくてたまらない。
◆
瑠璃は考えごとをする。
その内容は、今朝がた受けた久太郎からの問いについてだ。
『……瑠璃。どうしてルイゼを選んだんだ?』
瑠璃がルイゼをコスプレキャラに選んだ理由はちゃんとある。
何となくではない。
その理由とは、素直になれないルイゼに自らを重ねたからだ。
セロ魔の作中において、いつも喧嘩してばかりのルイゼと咲人。
本当は咲人のことが大好きなのに、素直になれないルイゼ。
……瑠璃も一緒だった。
久太郎のことが好きでたまらないのに、いつだって素直になれない。
だから瑠璃は、ルイゼにこれ以上なく親近感を抱いた。
瑠璃は夢中になってセロ魔を視聴した。
アニメの全4クールをみ終えても、気に入った話を選んでは繰り返してみた。
瑠璃には、セロ魔のなかでも特にお気に入りのシーンがあった。
それはルイゼと咲人の別れのシーンだ。
ルイゼは最終決戦の直前、元の世界に帰りたがっていた咲人の気持ちを
そのとき初めてルイゼは素直になり、秘めていた自らの愛情を咲人伝えるのだが、……瑠璃はそのシーンに憧れた。
瑠璃は何度も何度もそのシーンを観た。
ルイゼに自分を重ねる。
いつかはルイゼのように、あんな風に素直な気持ちを伝えたい。
そんな想いが胸の内側で膨れ上がっていく。
瑠璃は強く願う。
――わたしは、ルイゼになりたい――
◆
パシャリ。
シャッター音が思考の深みに嵌りかけていた瑠璃を、現実へと引き戻した。
けれども意識はルイゼと同調したままだ。
目の前には必死になって瑠璃を撮影している久太郎。
その姿が、ルイゼの窮地に駆けつけた咲人に重なる。
瑠璃は自然とポージングを変えていた。
新しいポーズ。
それはルイゼが握りしめていた咲人の手を解いた瞬間……。
ふたりの別れの、告白のシーン。
瑠璃は久太郎を真っ直ぐにみた。
濡れた唇から、自然に言葉がこぼれ落ちる。
「……大好き。わたし、貴方に出会えて本当に良かった。だから覚えていて。貴方に見せたわたしの最後の顔は、笑顔だったって――」
それは瑠璃の心からの告白だった。
瑠璃に、ルイゼが重なる。
瑠璃が、ルイゼが微笑む。
瑠璃が笑った。
強がりながら、けれども儚げに――
久太郎はカメラを構えた腕を下ろし、ただ棒立ちになって瑠璃だけを見ていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
瑠璃に魅入られていた久太郎は、耳元でする喧騒に意識を引き戻された。
久太郎のすぐ後ろには、いつの間にかカメラマンの行列ができていた。
それは主催者コスプレイヤーたちを取り巻いていたカメラマンたちが作った列だ。
久太郎が声を掛けられる。
「……ちょっとおたく、撮影時間ながすぎ。普通、列ができてるときは一人当たり2、3分で切り上げるのがマナーでしょ」
言われて気づく。
久太郎はもう十分近くも瑠璃を撮り続けていた。
素直に撮影を切り上げようと、瑠璃に向かって礼を述べる。
「……瑠璃。ありがとうな」
「……ぇ? 終わっちゃうの……?」
瑠璃が残念そうにした。
久太郎と目を合わせる。
しばらく見つめ合っているうちに、撮影中の集中状態が途切れたふたりは、なんだか気恥ずかしくなってきた。
まともに相手の顔が見られない。
やがて久太郎と瑠璃は、どちらからともなく目を逸らした。
ふたりして顔を赤くし、モジモジし始める。
久太郎が後ろのカメラマンに急かされる。
「あー、だからさぁ? 早く変わってくれる?」
「あっ、すみません……」
久太郎が撮影スペースを譲ると、カメラマンが瑠璃の前に歩み出た。
瑠璃はそのカメラマンを見て驚く。
瑠璃の衣装を散々バカにした、あの彼だ。
カメラマンは言う。
「……こほん。キミ、思ったよりは良いコスプレをするみたいじゃない。これならまぁいいよ。ボクが撮ったげる。だってキミ、ボクに撮影お願いしますって言ったもんね。本当はボクは主催の彼らの専属なんだから、こうして他のコスプレイヤーを撮影するのは珍しいことなんだ。だから光栄に思ってくれよ?」
鼻持ちならない話し方だ。
カメラマンは瑠璃を散々罵ったことも忘れ、いけしゃあしゃあとしている。
カメラを構えて、ファインダー越しに瑠璃をみた。
「さ、撮るよ。はやくポーズして」
カメラマンがシャッターボタンに指を添えた。
しかしそのとき――
「うるさいバーカ! べー!!」
瑠璃がカメラレンズに向けて、ちろりと舌をだした。
カメラマンが驚く。
「調子のんなバカ! もうあんたなんかに撮ってもらわなくていいし! というか、あんたら顔覚えたかんね。わたし、忘れないから!」
瑠璃はそう言い放つと、唖然としたままのカメラマンにくるりと背を向けて、
凛の目の前で止まる。
「凛先輩、凛先輩! 見てくれた? わたしのコスプレ!」
息を弾ませながら尋ねた。
凛は笑顔で答える。
「ええ、しっかりと見させてもらったわ。……合格よ」
「やったぁ!」
瑠璃が凛に抱きつく。
「うへへ、嬉しいー!」
「ちょ、ちょっと⁉︎ は、離れなさい!」
「ダメー! 離しません。だって嬉しいんだもん! これでやっと凛先輩とコスプレできるんだしぃ」
凛は瑠璃を引き離そうとする。
隣では京子がふたりを微笑ましそうに眺めている。
そうこうしていると、久太郎も戻ってきた。
瑠璃を引き剥がすことを諦めた凛は、ため息をつきながら言う。
「……しかし、貴女。やっぱりブラコンだったのねぇ。あんな気持ちのこもった告白なんて、見ていて何だか私のほうが照れちゃったわ……」
呟きを聞きつけた瑠璃が、飛び退いた。
顔を真っ赤にしながら、凛に反論する。
「――は、はぁ⁉︎ わわ、わたしがブラコン⁉︎ んな訳ないじゃん!」
「はい、はい」
凛が適当にいなすと、瑠璃は今度は久太郎に食って掛かる。
「あ、あんたも笑ってないで、なんとか言いなさいよ!」
「……いや、別に俺はなんにも言われてないし」
「そういう問題じゃないでしょ! な、なんでわたしがブラコン扱いされなきゃなんないわけ? ここ、こんなキモオタクが好きとか、あり得ないじゃん!」
瑠璃はぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる。
こうして波乱のサン池コスは幕を下ろし、灰羽凛がコスプレ部の仲間になった。
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