第19話

瑠璃の目はさんざん泣いたせいで少し腫れぼったくなっていた。

一同は、騒ぎに気付いて注意しにきたファミレススタッフに謝り、コの字のソファに座り直す。


しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻した瑠璃が切り出す。


「……やっぱりわたし、凛先輩と……コスプレがしたい」

「貴女、本当にしつこいわね」


口では相変わらず邪険なものの、凛の態度は先ほどまでと比べていくらか軟化してた。

瑠璃を見る目も優しい。


京子みやこが割り込む。


「わ、私からもお願いします! もしお引き受け頂けるようでしたら、私、がんばって灰羽さんのご希望のコスプレ衣装も作りますから……!」


京子の作る衣装は一級品だ。

そのクオリティはトップコスプレイヤーをして満足させるほどである。

凛の心が少し揺らいだ。


「うっ……。その提案は正直な所とても魅力的ね」


迷いながら、瑠璃を眺める。

すると瑠璃も凛を見返した。


真っ直ぐ自分に向けられる視線。

それを受けて、凛は思う。


(……この子、なんだかあの頃の私みたい……)



凛のコスプレの原点は、昔近所に住んでいた5歳年上の女性コスプレイヤーへの憧れだ。

まだ年端もゆかぬ少女だった凛は、その年上のコスプレイヤーのことが大好きで、よく懐いていた。


コスプレイヤーの方も凛を可愛がり、ふたりはよく合わせをしてコスプレを楽しんだ。

あんな事になるまでは――


凛は瑠璃を見つめる。

ちょうどいま瑠璃が向けてくるものと同じ視線を、かつての自分がその女性コスプレイヤーに向けていたことを思い出す。

一緒にコスプレがしたいとねだり、女性を困らせたことを思い返す。


凛は肩の力を抜いた。

そして、ふぅと小さく息をはいた。


「……まあいいわ。そこまで言うのなら、一緒にコスプレをしないこともない」


瑠璃がパァッと笑顔になった。

京子はホッと息をはき、緊張しながら成り行きを見守っていた久太郎が脱力する。


「やった! ほんとに――」

「――ただし!」


はしゃぎ出そうとする瑠璃を凛が制した。

言葉を続ける。


「ただし、条件がある」

「……条件?」


首を捻る瑠璃に、凛が言い放つ。


「そう、条件よ。一緒にコスプレをしようにも、見た限りでは貴女、まだコスプレはてんで素人よね? 衣装はそこのすずなさんが用意したものを着るだけ。メイクもしてもらってるんじゃない?」


瑠璃はこくこくと頷いた。

凛はちょっと呆れ顔だ。


「……ならせめて一度くらい、菘さんの力を借りずにコスプレをしてみなさいな」


凛はスマートフォンを取り出し、コスランにアクセスしてからイベントスケジュール一覧を開く。

手頃なイベントを探す。


「そうね、このイベントなんかちょうど良いんじゃないかしら。貴女、今月末に開催されるコスイベ『サン池コス』に参加なさい。もちろん衣装は自分で作るし、メイクだって自分でするのよ?」

「……うっ」


サン池コス。

正式名称を『サンガーデン池袋に集まってコスプレを楽しもうinゴールデンウィーク』という、有志が企画した小規模な単発コスプレイベントだ。

瑠璃は返事に詰まった。


「そして、これが一番大切なことなのだけど……」


凛は一度会話を区切った。

続く言葉を丁寧に話し、一言一句言い聞かせる。


「このイベントで、私に『天ヶ瀬瑠璃のコスプレ・・・・・・・・・・』を見せること。もしそれが出来れば、私は貴女と一緒にコスプレをしてあげる」


瑠璃は考える。

衣装制作を一からとなると、服飾技術のないコスプレ初心者の自分には荷が重いかもしれない。

瑠璃は家庭科の裁縫ですら満足に出来たことがなかった。

果たしてそんな自分に、コスプレ衣装制作なんて難しいことが出来るのだろうか。

コスプレメイクだってそうだ。

さらには『わたしのコスプレ』ってなんの事だろう。

不安しかない。

でも――


瑠璃は覚悟を決めた。

理解していないこともあるし、衣装なんて完成するかどうかも分からない。

しかしやらなければ凛とのコスプレは実現しない。

瑠璃は意気込んで応える。


「わ、わたし! やる……やってみます!」

「そう。じゃあ精々がんばりなさい」


返事を聞き終えた凛は、バッグを手にして改めて席を立った。

ゴロゴロとトランクケースを引き、今度こそ帰っていく。


去り際、会計を済ませた凛は。見送りにきた瑠璃を振り返った。

指を突きつける。


「……そうそう。あとこれだけは言っておくわ」

「はえ?」


まだ何か条件をつけられるのだろうか。

瑠璃は軽く警戒した。

しかし続く言葉はそういった類のものではなかった。

凛はめずらしく言葉を詰まらせる。


「わ、私が貴女と一緒にコスプレしても良いって言った理由よ。そ、それは別に、貴女の泣き落としにほだされたとか、私のコスプレが好きだと言ってくれて嬉しかったとか、そういうのでは絶対ないから。勘違いしないように」


早口で捲し立てた凛の頬は少し朱に染まっていた。

瑠璃は小首を傾げながら言う。


「……ツンデレ?」

「違うわよ!」


凛はそれだけ言うと足早に去っていった。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


その日の晩。

家に帰ってきた久太郎は、瑠璃とふたりきりの夕飯を終えてから自室に戻っていた。

ちなみに炊事をしたのは久太郎だ。


ベッドに大の字になって寝転がり、思わず呟く。


「はぁぁぁ、疲れたぁ……」


久太郎は今日という日を振り返る。

とても長い一日だった。

瑠璃のコスプレデビューに始まり、灰羽凛との出会い。


久太郎はまさか、自分たちコスプレ部がこのような形で凛と関わることになるとは夢にも思っていなかった。

瑠璃に出された課題を思い出す。


「瑠璃のやつ。大丈夫かなぁ」


ごろんと寝返りを打つ。

そしてふと気になった。


「そういえば……」


おもむろに上体を起こして、枕元においてあったスマートフォンを手に取る。

ブラウザアプリを起動するとコスランにアクセスした。


コスランには掲示板機能がある。

そこにはイベントごとのスレッドや共通の雑談スレッドが立てられており、活発に書き込みが行われている。


久太郎はさっそく、本日コスプレ部が参加した東京コミティスのスレッドを開いた。

上から順次、書き込みに目を通していく。


「んー、瑠璃のことは話に上がってないか」


スレッドは凛の話題で持ちきりだった。

京子が懸念した通りになった。

これでは月末のランキング更新での瑠璃の順位は、あまり期待できないだろう。


「まぁ仕方がない。ランキング更新前にサン池コスで注目されれば……」


久太郎がそんな風に呟きながら、スレッドを読み進めていると――


トントン。


控えめにドアがノックされた。

久太郎が「鍵は掛けていないぞ」と返事をすると、ドアが開かれた。

そこから瑠璃が、もじもじしながら顔を出す。


「……あ、あんたいま暇? もちろん暇よね? じゃあさ、わ、わたしと、いまからアニメ観なさいよ……」

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