第18話

コスプレ部の面々はファミリーレストランに移動した。

凛も一緒である。


ところで凛は高校2年生だった。

京子より一歳年下、久太郎と同い年、瑠璃からするとひとつ先輩にあたる。


一同はコの字型のソファに腰を落ち着けた。

凛が切り出す。


「それで、さっそくで何だけど聞かせてちょうだい。貴方たち、七星茉莉花と何かしらの関係を持っているわね?」


コスプレ部と茉莉花との関係を尋ねる凛。

それはただの興味本位だ。

凛にしてもコスプレ界隈の頂点である茉莉花の動向は、どうしても気になってしまう。

代表して久太郎が、これまでの経緯を説明する。


「実はこんなことがあったんだ――」



久太郎が話し終えると、黙って事情を聞いていた凛は口もとまで持ち上げていたティーカップをソーサーに戻した。

カチリと陶器が触れ合う音が鳴る。


「そう。だいたいの話は理解したわ。けれど『七星茉莉花に勝つ』とは……。貴方たち、随分と大きく出たものね」


凛は一同を見回した。

そして尋ねる。


「……本気?」


その問いには言外に『本気でこんな貧弱なメンバーで、あの茉莉花に挑むつもりなのか?』という意味が含まれていた。

瑠璃が反発する。


「ほ、本気ですし!」

「ふぅん」


凛は適当に瑠璃をいなしてから、久太郎に話を振る。


「天ヶ瀬くんだっけ? 専属カメラマン、なれば良いじゃない。どうしてそんなに拒むの? 相手はあの七星茉莉花よ? 専属契約をうらやむカメラマンはいても、断るなんてあまりいないと思うけど」

「それは、そうかもしれない。でも俺にだって都合が――」


久太郎は幻のコスプレイヤーについて語るか逡巡しやゃんじゅんする。

瑠璃が割り込む。


「とにかく、ダメなものはダメなんです! クソ兄貴が茉莉花さんの専属カメラマンだなんて絶対にダメ!」


凛は軽く首を傾げると、いきどおる瑠璃をみた。

さして興味もなさそうに呟く。


「……ブラコン?」

「違います!」


瑠璃はバンっとテーブルを叩いた。

衝撃で席に置かれていたクリームソーダが倒れそうになり、すんでの所で京子みやこがグラスを支える。


「あわっ、あわわわ……! る、瑠璃さん、落ち着いて下さい。ドリンクがこぼれちゃいますよぉ」

「あ、ごめんなさい」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


凛は場が鎮まるのを待ってから切り出す。


「とにかく本気という訳ね。それで七星さんに対抗する手段として私と一緒にコスプレを、つまり私と『合わせ』がしたいと……」


瑠璃が応じる。


「合わせ? よく分かんないけど、茉莉花さんに勝つためとか、そういう訳じゃないよ。わたしはただ……えっと凛先輩りんせんぱいでいいよね? ただ凛先輩のコスプレが好きだから、一緒にコスプレしたいって思っただけで」

「どちらでも良いわ。とにかく目標は七星さんなのよね? そういう事なら、私は力になれそうもないわ。ごめんなさい」


凛は話は終わったとばかりに席を立とうとした。

それを瑠璃が引き止める。


「待って! 待ってよ! 力になれないって、どうして?」


瑠璃はしつこく食い下がる。

諦める様子がまったくない。

凛は嘆息した。

やれやれと肩をすくめてから着席しなおし、そしておもむろに左腕を持ち上げた。


一同が見守るなか、凛はゆっくりと左手をあげていく。

そして腕がちょうど肩と水平になったあたりで、ピタリと止めた。

苦々しげに話しだす。


「……大体このくらいまでかしら。私の左腕はね、コスプレをしている最中、この肩の高さまでしか上げられないの」


凛の顔には諦念が浮かんでいる。


「えっ? なんで……」


瑠璃は困惑した。

同じく困惑を露わにしている久太郎や京子と、顔を見合わせる。

そして再び凛をみた。


「腕が肩までしかあげられない? でもどうして?」

「……『イップス』って知ってるかしら?」


久太郎と瑠璃は、ふるふると首を横にふる。

京子がハッとした。

気不味そうに凛から目を逸らす。

それに気付いた凛は、顔に自虐の表情を貼り付けながら、吐き捨てるように言う。


すずなさんだっけ? どうやら貴女は知ってるみたいね。なら分かるでしょう? 日常生活に支障はない。けどコスプレイヤーとしての私はもう終わっている。……壊れてるのよ。だから本気であの七星茉莉花に勝つつもりなら、私は足手まといにしかならない」


イップス。


それは極度の集中状態において、自分の思い通りに身体が動かせなくなる運動障害のことだ。

この障害を発症したものは、それまで普通にできていたプレイや演技が、ある日を境に突然出来なくなる。


イップスを発症する者には一流のスポーツマンや役者などが多い。

発症するきっかけは様々だが、原因はほぼ全て何かしらの精神的外傷トラウマである。


「……今度こそ分かったでしょう? 私のことは放っておいて、貴方たちだけでがんばりなさい。一応、陰ながら応援くらいはしてあげるわ」


凛は現在コスラン累計総合9位のコスプレイヤーだ。

しかしそれ以前には4位まで上り詰めていた。

あと少しで頂きに手が届く。

そんな高みにまで到達していた凛は、だがしかしイップスを発症して、それ以降順位を落とした。


「それじゃ」


凛が再び席を立つ。

しかし瑠璃は手を伸ばし、立ち去ろうとする凛のバッグをむんずと掴んだ。


「分からないよ! なにそれ!」

「ちょっ、貴女。バッグを離して――」

「コスプレイヤーとしてはもう終わってる? 壊れてる? って、そんな訳ないじゃん!」

「いいから離しなさい!」

「離さない!」


瑠璃は必死に訴えかける。


「だって納得できないし! 凛先輩の今日のコスプレ本気で凄かったよ? めちゃくちゃ感動した! これこそ本物だって思ったもん!」

「そう感じたのは貴女がまだコスプレイヤーとして未熟だからよ!」


凛が続ける。


「それに本物? 私が本物ですって? そんな訳ないじゃない! だってコスプレしてると左腕が上がらなくなるのよ? それでも私はコスプレが好きだから、原作のポージングを改変したり、左腕を上げなくて済むように動きをなんとか工夫して、みっともなくコスプレにしがみついて。……でもそんなものは紛い物よ! 私みたいな紛い物が、あの七星茉莉花に通用する訳がないでしょう? 理解しなさい!」

「理解なんて出来ない!」


瑠璃はバッグごと凛を手繰り寄せて、身体に抱きついた。

凛が驚く。


「なんでそんなこと言うの⁉︎ 紛い物なんかじゃない! 絶対に違うから!」


叫んでいるうちに感極まってしまったのか。

瑠璃が泣き出した。

瞳から大粒の涙をポロポロとこぼしながら訴えかける。


「紛い物じゃない! わたしが感動したコスプレを! わたしが好きになった貴女のコスプレを、貴女自身がそんな風に否定しないで!」

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