第17話

凛が休憩に入る。

囲み撮影がいったん解散になってからも、瑠璃はまだ動けないでいた。


周囲には瑠璃と同様、その場に留まったままのカメラマンたち。

彼らは口々に凛を褒めたたえ、先のコスプレの感想を述べ合っている。

熱狂冷めやらぬと言った様子だ。


瑠璃にしてもそうだった。

瑠璃は凛のコスプレを見てからずっとドキドキしていた。

胸が高鳴る。

業火に焼かれた身体はいまだに熱いままだ。

凛が魅せたあまりに見事なパフォーマンスは、瑠璃の目にくっきりと焼き付いて離れない。


隣から久太郎が声を掛ける。


「……瑠璃? どうした瑠璃? おーい、返事をしろー」


反応がない。

久太郎は繋いでいない方の手を瑠璃の目の前にかざし、振ってみた。

惚けていた瑠璃は、ハッとして正気に戻る。

それと同時に、自らが久太郎と固く手を繋いでいることに気付く。


「――ふぇ⁉︎ あ、あんた、なんで勝手に手なんか握ってんの!」

「勝手にってそれはお前の方から――」


瑠璃が慌てて手を離す。


「セ、セクハラすんな! クソ兄貴、きもい!」

「クソ兄貴ってお前なぁ。さっきは『お兄ちゃん』って呼んだくせに……」

「はぁ⁉︎ なにそれ、なんの妄想なわけ? わたしがあんたのこと、そんな呼び方する筈ないじゃん!」


瑠璃は赤面しながら照れ隠しに捲し立てる。

久太郎は反論を諦めて、ただ肩をすくめた。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


その後の瑠璃は、閃光のアスカの衣装を脱ぎ、その日のコスプレを中止した。

休憩あけの凛が再びパフォーマンスを披露する度に、ただひとりの観客としてそれを眺める。


なんど見ても凛のコスプレは素晴らしい。

賞賛しかない。

そんなことを思いながら、瑠璃は呟く?


「……よし、決めた」


一緒に凛のコスプレを見物していた久太郎や京子みやこが、その独り言に応じる。


「決めた? 瑠璃さん、なにを決めたのですか?」


瑠璃の反応はない。


「……わたし、決めたから。……あの人と……灰羽さんと、一緒に……」

「なあ、小声でぶつぶつ言われても分からん。もっとはっきり喋れよ」


これにも瑠璃は応えず、ただ凛の姿を目で追いかけていた。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


夕方になり、閉会のアナウンスが流れると、そこいら中で拍手が起こった。

これにてコミティスは無事に閉会だ。


コスプレ部の面々は荷物をまとめ、本日のイベント会場となった東京ビックサイトから表にでる。

空はすっかり茜色に染まっている。

付近一帯は同じく撤収してきたばかりのイベント参加者でいっぱいになっていた。


今日のイベントについて歓談しながら帰宅する人々。

誰もが充実した表情をしている。

もしかすると彼らは、これから打ち上げにでもいくのかも知れない。

そんな楽しげな空気のなか、瑠璃は息を弾ませながらあちこち走り回り、群衆に凛の姿を探す。


「おい、どうした瑠璃?」

「探し物ですかー? 私、お手伝いしましょうか?」

「いいよ、いいよぉ。大丈夫だから」


尋ねてきた久太郎と京子に、瑠璃は生返事を返した。

引き続き忙しなく誰かを探して回る。


「――あっ! いた!」


瑠璃は、トランクケースを引いて歩くショートヘアの美女を見つけた。

少し前にいる。

それは私服に着替えた灰羽凛だった。

凛は取り巻きなどは連れず、たったひとりで歩いている。


西陽へと向かう凛の後ろ姿。

背筋を伸ばし、一定のリズムと乱れのない歩幅で歩いていく凛の姿は美しかった。

小走りになった瑠璃は、凛に後ろから近づいてゆき、その背中を呼び止める。


「あの! 灰羽さん!」


凛が振り向く。

大きな声で名前を呼ばれても、彼女には特に驚いた様子はない。

瑠璃が話しかける。


「あ、あの、急に呼び止めちゃってごめんなさい。実は、お願いがしたいことがあって、その……」


凛は特に表情もなく、ただ瑠璃を眺めている。

視線を受けて瑠璃がもじもじし始めた。

かと思うと瑠璃は、バッと腰から身体を折り曲げ、深々と頭を下げる。


「お、お願いします! わたしと……! わたしと一緒にコスプレして下さい!」


真剣な声色だった。

いきなり駆け出した瑠璃にやっと追いついてきた久太郎と京子は、折目正しく頭を下げている瑠璃をみて目を丸くする。

瑠璃は話を続ける。


「わたし、貴女のコスプレをみて思ったの。……凄かった。本当に綺麗で、怖いくらい綺麗で、力強くて、凄くて……。それで分かった。思い知らされた。わたしが今日していたのはコスプレなんかじゃないって……。ただのお遊びで、全然真剣じゃなかったって」


黙っていた凛がようやく口を開く。


「……別に……」


瑠璃は返ってきた凛の言葉を一言一句聞き逃すまいと、意識を耳に集中させる。


「……別に、真剣である必要はないと思うけど。お遊びでもいい。楽しいだけのコスプレもあるし、それは間違いじゃない」


凛が伝えたかったこと。

それはコスプレは自由だということだ。


コスプレイヤーのすべてが、凛や一部のトップコスプレイヤーのように命懸けでコスプレに取り組んでいるわけではない。

全身全霊をもってコスプレ界の頂きに挑んでいるわけではない。


ただ綺麗な衣装を着て大好きなキャラクターになりきり、アニメの世界観を楽しむ。

そんなコスプレもあるし、むしろそちらの方が正道で多数派である。

どちらが異端かと言えば、それはいびつなまでにコスプレの魔力に取り憑かれた、自らを含む一部のトップコスプレイヤーたちなのだ。


凛は続ける。


「……真面目に取り組まなきゃ偽物だなんて、コスプレにそんな定義はないもの」


つまり凛は間接的に『普通にコスプレを楽しめ』と瑠璃に言っているのだ。

けれども瑠璃は引き下がらない。

頭を下げたまま続ける。


「……それでも! それでもわたしは、今日灰羽さんを見て心から思った! あなたみたいになりたいと思った! そしてあなたの隣で、一緒にコスプレがしたいと思った! だからどうかお願いします! 灰羽凛さん! わたしとコスプレをして下さい!」


まるで愛するひとへの告白だ。

瑠璃は一歩も譲らない。

さしもの凛も熱烈なアプローチに圧されて、上体を仰け反らせた。



――ながい沈黙が流れる。


瑠璃は曲げていた身体を起こし、凛へと一歩踏み込んで真っ直ぐに瞳を見合わせた。

圧が強い。

妙に気圧けおされた凛は一歩後退しながらも、瑠璃を見返す。

そしてふと気付いた。


「……そういえば、貴女。たしか今日、閃光のアスカのコスプレをしていた……」


同時に思い出す。

瑠璃が本日着ていたハイクオリティなコスプレ衣装。

その衣装には見覚えがあった。


あれはそう。

たしか二ヶ月前のイベントで、凛をしてまだ及ばぬ高みに到達した最強のコスプレイヤー、七星茉莉花が着用していたものだ。

なぜその衣装をこの子が持っているのだろうか。


(……もしかしてこの子、七星茉莉花の関係者なの?)


凛は目の前で真剣な顔をして懇願してくる瑠璃に、少し興味が湧くのを感じていた。

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