第16話

真剣な顔で撮影しているカメラマンたちに混ざりながら、瑠璃は灰羽凛を凝視する。

彼女から目が離せない。


豹変した表情、仕草、言葉遣い、それら一切合切の態度が伝えてくる。

あれは凛であって凛ではない者。

別の誰かだ。


周囲がパフォーマンスに注視するなか、凛は肩に担いでいた夢幻刃をおもむろに持ち上げた。

そのまま二度三度、軽く振り回す。

ゆったりとした余裕を感じさせる動作だ。

しかして表情は挑発的かつ凶悪な女傑のそれである。


相反する要素を見事に融合して具現化する凛。

その艶やかながら泰然たいぜんとした所作しょさは、まさに悪の華たる獅子王真琴そのものだ。


素浪人剣心を知らない瑠璃ですら、凛が扮するキャラクターが只者ではないとはっきり理解できた。

発せられる悪のカリスマに、気圧されつつも魅了されてやまない。


瑠璃はぽぉっと惚けた顔をしながら、凛の一挙一動を見守る。

すると次の瞬間、緩やかな動作とポージングで撮影に応じていた凛が、唐突に夢幻刃を袈裟がけに振り抜いた。


ヒュンと鳴る音とともに、刀身が流麗な弧を描く。

腰を落とし、剣を振り抜いた姿でポージングを決めた凛にカメラマンがどよめいた。

夢中になって撮影する。

彼らの切ったシャッターの音が怒涛のように襲い掛かる。


凛は洪水のように遅いくる音を迎撃した。

夢幻刃を横薙ぎに一閃。

水平に振り抜いた刃でシャッター音を切り裂く。

そのまま腕を伸ばし、刀を水平に構えたポーズで動きを止めた。

再びのシャッターチャンス到来に、カメラマンたちが沸き立つ。


時間にして十秒。

その間ポージングを決めた凛の身体はもちろん、持ち上げた腕もぴくりとも動かなかった。

力自慢の男子ですら、こうはいかないだろう。


リアルさを追求したが故に重量のある夢幻刀。

刃の欠けた無骨なその日本刀を、真横に腕を伸ばした状態で腕一本で支えたままでも、彼女は少しも揺らがない。


さらには緩急をつけた静と動の移り変わり。

瑠璃はますます目が離せなくなる。


凛の動いた際の躍動感。

全身を包帯やサラシで覆われながらも、その内側からたしかに伝わってくる鍛え抜かれた肉体の美しさ。

静止した際の凪いだ海のようなポージング。

すべてが渾然一体となって瑠璃を魅力する。 


――気づけば瑠璃の周囲からは、いつの間にか音が消えていた。


瑠璃は静けさに驚いた。

どうしたことだろう。

あんなにも騒々しく鳴り響いていたシャッター音のすべてはどこに消えてしまったのだろう。


瑠璃は耳を澄ませた。

やはりどこにも、音は――いや、違う。


瑠璃は気づく。

音はあった。

ほんの僅か、小さいながらも音はあった。

凛が夢幻刃を振るうたびに、ヒュンヒュンと風を斬る音がする。

刀を掲げて静止するたびに、ギシギシと筋肉の軋む音が伝わる。


しかし聞こえる音はそれだけではない。

凛が剣を振るうと、その拍子にほんのわずかに別の音がまざる。

なにかこう、聞くものに本能的な恐怖や憧憬を抱かせるような、そんな不安定に揺らぐ音が混ざる。


瑠璃は意識のすべてを耳に集中させた。

かすかな音の出どころを探る。

すると――



――ボッと。

どこか遠くで火が灯る音がした。


刀の軌跡に赤い何かが混ざる。


――ボッと。

またどこか遠くで火が灯る音がした。


ポーズを決めた凛が構える夢幻刃。

その切先が、ちらちらと揺らめく赤い炎を纏わせ始める。


また炎が灯った。

瑠璃を取り囲んでいく。

火が灯る音は、絶え間なく近づいてくる。

凛の手により振われた刃。

そこから生じた風切り音に混じり溶け合いながら、炎が近づいてくる。


轟々と燃え盛る炎が明瞭になるにつれ、次第に夢幻刃の刀身が明るさと赤みを帯びていく。

真紅の炎を纏わりつかせていく。


瑠璃は目を見張った。

周囲にはもう暗闇に佇む自分と凛、あとはそれを取り巻く炎しか存在していなかった。


何もかもが消え失せたその世界で、凛が口を開く。

静かに言葉を紡いだ。


「……壱の秘剣、『炎魂ほむらだま』……」


炎が揺らぐ。

揺らぎは閃光へと変わり、振り抜かれた夢幻刃へと収束して刀身を血色に照らす。


瑠璃は己が目を疑った。

なぜ炎が見えるのか。

これは現実の光景なのだろうか。


まぶたを擦り、凛を、夢幻刃を見つめ直す。

しかし何度見直しても、網膜に刻まれた残火は消えない。


凛が目の前の何かを右手で掴んだ。

流れるような動作で腕をあげる。

それは獅子王真琴が戦闘中の相手の下顎を右手で掴み、そのまま持ち上げた際のポージング――


瑠璃には見える。

顎を持ち上げられ、もがき苦しんでいる何者かの姿までうっすらと見えている。

それは幻影には違いない。

しかしたしかな臨場感を伴いながら目の前にあるのなら、知覚したものにとって、それは現実と変わりがない。


「……弐の秘剣、『煉獄腕れんごくかいな』!」


凛の言葉とともに、持ち上げられた相手が弾け飛んでみえた。

火だるまになって息絶える。

瑠璃は固唾をのんで見守る。

そんな瑠璃の視線に気付いているのかいないのか、凛は夢幻刃の切先を瑠璃のいる方向に突きつけた。

直後、天高く刀を構え直す。


「終の秘剣、『火之迦具土神ひのかぐつち』!」


凛が奥義名を叫ぶとともに、夢幻刃がその刀身に業火を纏りつかせた。

激しく燃え盛る炎は天を貫き、周囲の暗闇を灼いていく。


「はああああっ!」


裂帛の気迫とともに、凛が瑠璃にむけて夢幻刃を振り抜いた。

熱い!

瑠璃の全身を灼熱の業火が駆け抜ける。

瑠璃は己の身も心も、頭上から降り注ぐ炎の渦に巻かれて焼き尽くされた気がした。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


凛のパフォーマンスは続く。

そこかしこでシャッター音が響いている。


魅入られた瑠璃は言葉もなく、ただ群衆のひとりとなって凛を見つめていた。

その隣に、いつの間にかやってきていた久太郎が並んで立つ。


「……瑠璃、ちゃんと目に焼き付けておけよ。あれがコスラン総合累計ランキング9位の灰羽凛。……お前がこれから乗り越えていくべき、トップコスプレイヤーたちのコスプレだ」


瑠璃はなにも応えない。

じっと凛の獅子王真琴を見つめながら、けれども隣に立った久太郎を無意識に求めて右手を彷徨わせる。


それに気づいた久太郎が左手を差し出した。

瑠璃の小指が久太郎に触れる。

兄妹の手がギュッと結ばれた。

惚けたままの瑠璃が、ぽつりと呟く。


「……ね、お兄ちゃん……」


お兄ちゃん?

珍しく昔みたいな呼び方をしてきた瑠璃に懐疑な顔をしながらも、久太郎は野暮な突っ込みはいれない。

黙って続く言葉を待つ。

手のひらに感じる瑠璃の力が強まった。


「……わたしも。……わたしも、あんな風になれるかな……?」


久太郎は応える。


「ああ、なれるさ、きっと」


久太郎はそれ以上は口にせず、瑠璃の手のひらを強く握り返すことで続く想いを伝えた。

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