第12話

京子みやこは神妙な顔付きのまま、瑠璃の反応を待っている。

少し脅しすぎたかな、と顔色を窺う。

けれども返ってきた瑠璃の言葉は意外なものだった。


「ふぅん、トップコスプレイヤー灰羽はいばねりんね。イイじゃんイイじゃん、相手に取って不足なしだわ!」

「え? そ、そんな……えっ……?」


京子は言葉に詰まった。


「る、瑠璃さんは、怖くはないのですか? 灰羽さんですよ? 累計9位ですよ?」


問われた瑠璃は頬に指を添えて考える。

その態度はなんとも気楽なものだ。

気負わず応える。


「別に? だってそこまで警戒することないじゃん。京先輩はちょっと難しく考えすぎてるんだよ。だってコスプレだよ? 別に殴り合ったりする訳じゃないんだよ? なら有名なコスプレイヤーさんがいても関係ないじゃん。気にせずにイベント参加すればいいだけっしょ」


捲し立てる瑠璃に、引っ込み思案な京子はたじたじだ。

久太郎は呆れている。

しかし瑠璃はなおも続ける。


「それに累計9位だっけ? それって逆にいえばまだまだ上にランカーがいる訳だよね。第一わたしたちの目標は1位の茉莉花さんなんだし――」

「でっ、でも灰羽さんは、今でこそ総合累計ランキング9位ですけど、少し前まではもっと上まで上り詰めていた本当に凄いコスプレイヤーさんなんですよ……!」

「ふぅん、でもそれって今は9位まで順位落としたって話だよね。つまり落ち目ってことじゃん!」

「そ、それは……そんなことは……」


瑠璃はトップコスプレイヤーの凄さをまるで理解していない。

京子はついに口をつぐんでしまった。

久太郎は呆れ顔のまま首を二、三回振り、京子から会話を引き継ぐ。


「……ったく、これだから素人は。ごめんな、すずな先輩。こんなアホな妹で」

「はぁ⁉︎ 玄人ぶんなキモオタク! それにアホって誰のこと言ってんの!」

「お前だ、お前。あのなぁ、瑠璃。先輩の言いたいことは、つまり――」

「もういいって! わたし、このイベントに参加することに決めたから」


瑠璃はマウスを操作すると、イベント参加申し込みボタンをクリックした。

画面に『東京コミティス。申し込み完了』と表示される。


「あっ、おい待て瑠璃! 勝手な真似すんな! だから、まずは小さなイベントからコツコツやろうって――」

「コツコツぅ?」


瑠璃は久太郎に白い目を向ける。


「あんたこそ状況わかってる訳? 茉莉花さんとの約束の期限のこと考えてないでしょ」


茉莉花とは前回の冬コミの日に、この先一年間と約束を交わした。

つまり期限は次の冬コミ、およびその直後のコスランランキング更新まで。

現在は4月上旬なので、一年間のタイムリミットまでもう8ヶ月を切っている計算になる。


「小さなイベントからコツコツって、そんな悠長に構えてて、本当に茉莉花さんに勝てると思う?」

「そ、それは……」


瑠璃の言葉にはたしかに理がある。

今度は久太郎までもが口を噤んだ。


結局、こうしてふたりは瑠璃の勢いに押し切られ、コスプレ部は週末に都内で開催されるコスプレイベントへの参加を決定した。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


部室から久太郎を追い出した瑠璃は、さっそく京子と衣装選びを始めた。

京子は瑠璃を入念に採寸している。

背後から腕を回し、瑠璃の膨よかな胸を下から持ち上げ、胴回りをメジャーで計りながら尋ねる。


「ところで瑠璃さん。何か着たい衣装はありますか? 好きなキャラとか教えてもらえれば、私、作ります……」


京子は覚悟を決めていた。

参加を申し込んだ以上、灰羽凛との直接対決はもう避けられない。

ならせめて、瑠璃には彼女に似合ったコスプレ衣装を用意して、イベントに送り出してやりたい。


週末のイベントまでは、今日を入れてもあと5日。

京子はジャージの襟で隠した口元をキュッと引き締める。

態度にこそ表さないものの、京子は瑠璃のコスプレイヤーデビューが少しでも生き生きとした思い出になるよう、連日徹夜での衣装制作も辞さない意気込みだった。


対して瑠璃はお気楽なままだ。


「……うーん。好きなキャラって言われても、わたしってばあんまりアニメとか観ないからなぁ。京先輩、よければ選んでくんない?」

「え、でも……」

「やっぱ、わたしが選ぶより詳しいひとが選んだ方がいいと思う。あ、なんならその辺の壁に掛かってるやつでいいよ。見たとこサイズはそんな大きく変わんないし、ちょちょいと修正すればイケるっしょ」


京子は困惑した。

というのも京子の作る衣装はすべて完全オーダーメイド。

着用者の体型から動きの癖まで、すべて計算に入れて制作されている。

簡単に流用の効くものではないのだ。

瑠璃は壁の衣装を眺めながら呟く。


「コスプレ衣装かぁ。どんな風き着こなせば良いのかなぁ。あ、あっちのなんかパッと見、ただの私服みたいなかんじだし、それならわたしが持ってる普通の服と合わせるとかどうかな?」

「いえ、瑠璃さん。コスプレとはそういうものでは……」

「大丈夫、大丈夫。心配しないで。だってわたし、コーデとかめっちゃ得意だし!」


京子の困惑はますます大きくなる。

瑠璃は何もわかっていない。


そもコスプレ衣装とは、普通の衣服ではないのだ。

根本からまるで違う。


コスプレ衣装は当然ながらアニメや漫画のキャラクター衣装がベースになっている。

現実の人間が着ることを想定してデザインされてはいない。

だからものによっては、通常の型紙からは起こすことすら困難な衣装まである。


ゆえにコスプレ衣装の制作には深い専門知識が必要だった。

並のデザイナーでは平凡な衣装は作れても、たとえばトップコスプレイヤーが満足するような上質なコスプレ衣装は作れない。


しかし京子は並ではなかった。

熟練のコスプレ服飾デザイナーすら舌を巻く腕前を持っていた。


京子の備える設計力は類稀だ。

そしてコスプレへの愛と情熱を持っていた。

京子は仮りに元がどんな無理なデザインであっても、リアルなコスプレ衣装に仕立ててしまう。

さらには元となったキャラクターのポージングまで考慮し、着用者がどんな無理なポーズを取ったとしても違和感すら抱かせない。


京子はそんな衣装を作り、提供する。

その衣装の完成度は、かの七星茉莉花をして『ありえないレベル』と言わしめたほどなのである。


「あ、これなんかどうかな?」


今しがた瑠璃が手に取った衣装はアニメ『スピアアーツオンライン』の人気キャラ、絶命騎士団副団長『閃光のアスカ』のものだった。

それは前回のコスプレ部におけるイベント参加で、京子が茉莉花に提供して着てもらったものだ。


瑠璃は手にした衣装を眺める。


「うわぁ、細工こまかっ! 京先輩ってば、よくこんな衣装が作れるなぁ。マジリスペクトだよー! ねぇ、わたしこれ気に入っちゃった! 絶対これにするから、サイズの合わせ直しお願いしていいかな?」

「……は、はい」


京子は流されるままに頷く。


「る、瑠璃さんが、それで良いのでしたら……」


けれども呟いた京子の胸には、一抹の不安が火種のように燻っていた。

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