第10話

――茉莉花との出会い。そして専属カメラマンにと誘われた経緯。

説明を受け終えた瑠璃は、久太郎に向けて言い放つ。


「それで条件を飲んじゃったの? バカじゃないの⁉︎」

「し、仕方ないだろ」


瑠璃は深くため息をついた。


「……専属カメラマンって、これからずっと茉莉花さんに付きっきりなんでしょ? あんた、そんなにこの人と一緒にいたかったんだ?」

「んな訳あるか!」

「でも一年経ったら専属にって、もう約束しちゃったんでしょ?」

「そ、それは……」


茉莉花が会話に割り込む。


「え? 久ちゃん、私と一緒にいたくないの?」


茉莉花はおもむろに席を立った。

踵を鳴らしながら久太郎の側まで歩くと隣に腰をおろし、椅子を引いて肩を寄せる。

二の腕がピタッと隙間なくくっ付いた。


「……んふ。久ちゃぁん……」


猫なで声で甘えだす。

久太郎の視界の隅に、茉莉花の胸元がちらりと映った。

久太郎は赤面して目を逸らした。


「ね、どうなの久ちゃん。私と一緒はイヤ? でも私は久ちゃんといつも一緒にいたいんだけどなぁ」


喉をゴロゴロ鳴らしながら恥じらう様子もみせず言い切る。

久太郎はたじたじだ。

すぐそばでは京子みやこがあわわとなっていた。

瓶底メガネの奥から成り行きを見守っている。

瑠璃はバンと長机を叩いた。

勢いよく立ち上がる。


「ちょ、ちょっと茉莉花さん! なにしてんの!」

「なにって、ちょっと久ちゃんの肩を借りてるだけだけど?」

「離れて下さい!」

「イヤ」


茉莉花はさらに密着し、久太郎の肩に頭を預けた。

勝ち誇った顔で瑠璃を見上げる。

瞳には揶揄からかうような色が浮かんでいた。

茉莉花はこの状況を楽しんでいるのだ。


「こ、この女ぁ……!」


瑠璃は頭に血が上った。

無理にでも引き離すべく、茉莉花に掴み掛かろうとする。

だがそれを久太郎が押し留める。


「落ち着けよ瑠璃! ほら、茉莉花も離れろって」

「はぁい」


茉莉花は、今度は素直に従った。

瑠璃は釈然としないながらも、椅子に腰掛けなおす。

久太郎が話し出した。



「……たしかに茉莉花からの提案は嬉しかったよ。実際ものすごく助けてもらってはいる。けど専属カメラマンになるのは無理だ。正直言って困る」


話しながら久太郎は思い出していた。

かつて一度だけ見た少女の姿。

茜色に染まった無人の部室で、美麗なコスプレ衣装を身にまとい鏡に向かってポーズを決めていた、幻のコスプレイヤーのことを――


幻の美少女は、久太郎にとっての原点だ。

原風景と言い換えても良い。

いつか彼女を見つけ出し、そしてあの時のような幻想的な光景をカメラのフレームに収めたい。

久太郎はそんな一心からコスプレ部に入部した。

だからその願いが少しも叶わぬうちに、たとえ相手が茉莉花といえども、他の誰かの専属カメラマンになる訳にはいかない。


「でも約束は約束よ。一年経ったら久ちゃんは私の専属カメラマン」

「待て。まだそうなると決まった訳じゃない。だって条件があるだろう?」

「…条件? ああ、コスランで私を抜くっていうあの話?」


冬コミの帰り道。

茉莉花からコスプレ部の外部協力部員になる代わりに、専属カメラマンになるよう話を持ちかけられた久太郎は、思い切り悩んだ。


なにせ廃部の危機である。

提案を断れる筈もない。

背に腹はかえられぬのだ。


だから久太郎は提案を受けながらも、苦し紛れにとある条件をつけた。

それは『もしも契約期間中に茉莉花が無用の長物になれば、全部チャラ』という条件だった。


条件の詳しい内容はこうだ。

茉莉花との一年間の契約期間中に誰かをコスプレ部に正式部員として迎え、かつその部員をコスプレ担当として茉莉花以上に育てあげる。

つまり部にとっての茉莉花の必要性を失わせる。

そうすることが出来れば契約は破棄され、専属カメラマンの約束もなかったことになる――


茉莉花は興味なさげに言う。


「……ねえ久ちゃん、わかってる。それ無理よ?」


茉莉花の言うことはもっともだ。

なにせ彼女はコスプレ界のトップオブトップ。

並のコスプレイヤーでは歯が立たない。


実現不可能と思われる条件。

だからこそ彼女はその話を受けたのだ。


けれども久太郎にはごくわずかな勝算があった。

それは幻の美少女の存在だ。

久太郎の見立てでは、あの幻のコスプレイヤーの実力は茉莉花に勝るとも劣らない。

少なくとも歯牙にも掛けられぬようなレベルでは決してない。

あの幻の彼女を見つけて、部員に迎え入れさえすれば……。



成り行きを見守っていた瑠璃は、近くにいた京子に尋ねる。


「条件? 条件って、なに?」

「条件っていうのはですね――」


説明を受けた瑠璃は続けて問う。


「ふぅん。コスプレ部員を見つけて茉莉花さん以上に育てるねえ。でもそれってどうやって判定するの? コスプレって普通のスポーツみたいに点数とか付かないじゃん」

「えっと、それはですね。『コスラン』という有名なサイトがありまして――」


コスプレイヤーランキング。

通称『コスラン』。


それはコスプレイヤーやカメラマンの多くが参加する、インターネット上のランキングサイトである。

ランキングは投票形式。

様々な部門があって、みなが思い思いに好きなコスプレイヤーに投票する。

投票ポイントは月に一度集計され、得点に応じたランキング順位とともに発表されるのである。


茉莉花以上に、とはつまり一年間のうちに、ただの一度きりでもいいからコスランで茉莉花の順位を抜き去ること。

そう話し合われていた。


「……ふぅん、コスランね。そんなのがあるんだ。そこで茉莉花さんを抜けばいいだけか。案外簡単な話なんだね」


瑠璃は事の大変さをまるで理解していない。

気楽に言い放つ。

茉莉花は不敵な笑みを浮かべた。


「へえ? 簡単と思うなら、瑠璃ちゃんやってみる? まぁ瑠璃ちゃんに出来るのなら、だけどね」


瑠璃はムッとした。

思わず口を開く。


「……別にいいけど」


言葉にしてから瑠璃は改めて思った。


そうか。

自分がコスプレ担当になるという選択もあるのか。

部員になれば久太郎と長く一緒に居られるし、良い思いつきのように思われる。


けれども自分にコスプレなんて出来るだろうか。

瑠璃は考える。


大好きな兄を奪いさろうとする茉莉花への敵愾心てきがいしん

体験したばかりのコスプレの楽しさ。

久太郎にコスプレ姿を可愛いと言ってもらえたときの、天にも昇る心地。

――もっと久太郎の気を引きたい。


そんな感情がない混ぜになった。

瑠璃の背中を押す。

未知の世界へと、コスプレ界隈へと、その最初の一歩を踏み出させる。


「……うん。私コスプレ部に入部する。コスプレ担当になる。そして私は、茉莉花さん以上のコスプレイヤーになる!」


瑠璃はそう宣言をした。

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