第9話

久太郎の前に陣取ったカメラマンが、声を張り上げる。


「すみませーん! こっち、目線お願いしますー!」


応じて茉莉花が姿勢を変えた。

流れるような動作でくるりと振り返る。

そして久太郎のいる方向に顔を向けた。


ポーズを決め直した茉莉花は、先程までの氷の女王らしい怜悧な美貌から一転。

愛嬌たっぷりの表情でウィンクをしてみせた。

かと思うと本職の声優顔負けのよく通る声で、ブルーローゼスの決めゼリフを謳いあげる。


「私の氷はアイシクル。貴方の悪事を貫きブレイク!」


そのパフォーマンスに周囲が湧いた。

特に久太郎の前列のカメラマンなどは、顔を真っ赤にして舞い上がっている。

茉莉花からレスを貰えたことが嬉しく、有頂天になっているのだ。


久太郎はと言えば、雰囲気を一変させた茉莉花に舌を巻いていた。

そうだ。

ブルーローゼスはこうだ。

画面の中の彼女はただ冷たいだけの氷のヒロインではない。

キュートでポップな一面も併せ持っている。

いま、すぐ目の前で輝いている茉莉花のように……。


先程まで感じていた冷たさはどこへやら。

まるで陽だまりにいるかのようにぽかぽかと胸が温かくなった久太郎は、優しい気持ちで茉莉花を見た。


真っ直ぐに憧れの視線を向ける。

そんな久太郎に茉莉花が気付いた。

刹那、ふたりの視線が絡み合う。


「…………ぇ?」


ほんのわずか、茉莉花が掠れ声を漏らした。

丸く目を見開く。

そして次の瞬間、茉莉花はその身を硬直させた――



「……あ、あれ? やだ、ほんとに? 嘘……ど、どうして、ここに……」


茉莉花の様子がおかしい。

最初にそのことに気が付いたのは、囲みの最前列に陣取っていたカメラマンたちだった。

彼らのほとんどは茉莉花の追っかけである。

ゆえに彼女の変化には目敏めざとい。


「……ん? どうしたんだろう?」

「あれ? 茉莉花ちゃん?」

「撮影中に固まるなんて、珍しいね」


長く彼女を追いかけてきた彼らにしても、こんな経験は初めてだった。

ざわめきが起きる。

最前列から起きたそれは、次第にさざなみの様に人の輪を伝わっていく。


茉莉花の唇が微かに動いた。


「……見つけて、くれたの……?」


それだけ呟いてから、茉莉花はまた動きを止めた。

ポーズを決めたままぴくりともしない彼女は、まるで彫像のようだ。


ここに来てようやくイベント運営スタッフが異変に気づいた。

囲みの整理を中断し、小走りで茉莉花に駆け寄っていく。


「七星さん? どうかされましたか?」


茉莉花の硬直がとけた。


「あ、ごめんなさい。私……」

「大丈夫ですか?」

「はい。あ、でもそうね……ちょっと疲れたかも。すみません、カウントをお願いしてもいいですか?」


カウントとは囲みを終了する際のカウントダウンのことだ。

頷いたイベントスタッフが腕を振り上げ、3、2、1とカウントし始める。

カウントダウンが終わると撮影は終了となり、囲みは解散となった。


「ありがとうございましたー!」


口々に礼を言いながらカメラマンたちが解散していく。

茉莉花もスタッフに付き添われながら引き上げていく。

久太郎と視線を合わせたままで……。


結局、茉莉花はコスプレ会場から完全に出て行くその時まで、一度も久太郎から目を離さなかった。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


コミックマーケットからの帰り際、会場最寄駅に到着した久太郎たちは、改札を通ろうとしたところで呼び止められた。


「待って!」


背後から人影が走ってくる。

振り向いた久太郎の手を取り、胸の高さで握りしめる。

久太郎はその人物をみて驚いた。


「え⁉︎ な、七星……茉莉花⁉︎」


名前を呼ばれた茉莉花の顔がほころぶ。

潤んだ瞳に薄っすらと涙を浮かべた。

すぐ隣で京子みやこが驚く。


「七星さん⁉︎」


京子は久太郎と茉莉花の顔を交互に眺める。


「天ヶ瀬くん、さっきは七星さんのこと知らないって。けれども実はお知り合いだったのですか?」


突如として現れたコスプレ界隈のレジェンド。

茉莉花に固く手を握られたままの久太郎は、激しくテンパりながら首を振った。


「し、知らない! 知り合いじゃない。いまが初対面だよ! だって俺、今日がはじめてのイベント参加なんだし!」


久太郎の言葉に、茉莉花はぴくりと眉を動かした。


「……え? 初対面?」


久太郎は赤い顔でこくこくと頷く。

茉莉花は声を震わせながら尋ねる。


「……だ、だって……ちゃん、私に会いに来てくれたんじゃ……?」

「そ、そんな訳ないだろ!」



瞳を潤ませ、下側から久太郎を見上げるようにしていた茉莉花の笑顔が、すぅっと影を潜めた。


「……そう……偶然なんだ。しかも、私のこと忘れて……」


茉莉花は握っていた手をほどき、久太郎から距離を取った。

様子を一変させて胡乱うろんげになった茉莉花は、ため息をつく。

人差し指で髪をいじりながら尋ねる。


「……ふぅん。じゃあきゅうちゃ――こほん! あなたは、今日どうして冬コミに来たの? 本当にただの一般参加?」

「それはコスプレ部が――」


久太郎は自己紹介を交えながら、経緯を説明をする。


自らの所属するコスプレ部がいま現在廃部の危機に瀕していること。

冬コミには起死回生を目論んで著名なコスプレイヤーをスカウトしに来たこと。


一通り話を聞いていた茉莉花は、久太郎が話し終えると何かを考えるように腕組みをし、やがて口を開いた。


「……すずな先輩でしたっけ? 貴女が作ったっていう衣装、少し見せてくれます?」

「は、はい……!」


言われるがままに京子が衣装を手渡すと、茉莉花はそれをしげしげと眺めた。

細かくチェックする。


「……菘さん、あー面倒だからみやさんでいいわよね。もしかして貴女、誰かプロのひとに服飾を学んでいたとか?」

「い、いえ。独学です……」

「へえ、それでこのクオリティが出せるんだ? 凄いわね。でも……。ん、これなら合格かな」


茉莉花はひとしきり感心したあと、久太郎と京子に向かって言った。


「いいわ。そのコスプレ担当だっけ? 私がなってあげる」

「えっ⁉︎」

「う、うそっ……」

「そうね。二ヶ月に一度、コスプレ部の用意した衣装を着てイベントに参加してあげる。私を外部の協力部員という事にすれば、コスプレ部の活動としては十分な成果になるんじゃない? それでいいかしら?」


久太郎と京子は驚いて目を見合わせた。

あの七星茉莉花が協力してくれる。

久太郎は一も二もなく飛び付いた。


「そ、それは願ってもない! でも本当に良いのか? 今更嘘でした、なんて言われても困るからな!」

「嘘だなんて言わないわよ」


茉莉花が苦笑した。

話を続ける。


「ただし条件があるわ。私がコスプレ担当をする期間は今から一年間。そして――」


茉莉花は頭上に腕を振り上げてから、ずびしと久太郎を指差した。


「その一年が過ぎたら、天ヶ瀬久太郎くん。……いえ、久ちゃん! あなたは私の専属カメラマンになること! いいわね!」

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