第8話

久太郎と京子みやこは12月末に開催される同人誌即売会、冬のコミックマーケットに参加することに決めた。


通称『冬コミ』。

世界最大規模のオタクの祭典である。

当然冬コミでは即売会だけではなく、大規模なコスプレイベントも同時開催されている。


一般の来場者として会場入りした久太郎と京子は、いくつかあるコスプレ会場のうち、著名なコスプレイヤーがもっとも多く集まりそうな野外会場に目星をつけると早速そこに向かった。



コスプレ会場に近づくにつれ喧騒が大きくなる。

両手で一眼レフカメラを大事そうに握りしめ、忙しなく歩き回るカメラマンが増えてくる。

やがて会場についた久太郎は、周囲を見回し、その様子に圧倒された。


「……これがコスプレイベント。これが冬コミか……」


久太郎がコスイベに参加するの、その日が初めてだった。

見るものすべてが新鮮味を持って目に飛び込んでくる。

わくわくが止まらない。


「菘先輩、あっちにリゼロのエムがいますよ! あっちにはオバロのロリペド!」


会場には多様なアニメの衣装を着たコスプレイヤーがそこかしこにいた。

すっかりおのぼりさんと化した久太郎は、キョロキョロと周囲を見回しながら辺りを歩く。

コスプレイヤーたちは、列をなすカメラマンたちに順次撮影されながら、思い思いにイベントを楽しんでいる。


「うわぁ……」


久太郎の胸は高鳴った。

そして希望を抱いた。

これだけ多くのコスプレイヤーがいるのだ。

なかには一人や二人、コスプレ部の活動に協力してくれるレイヤーさんもいるに違いない。


安易に考えた久太郎は、声を掛けて回る。

撮影の合間に休んでいるコスプレイヤーを見つけては話し掛け、事情を説明して協力を仰ぐ。

持参した京子作のコスプレ衣装に着替えて、イベントに参加し直し、その姿を自分に撮影させ、かつクラブの活動報告としてまとめさせて欲しいと乞い願う。


しかし当然ながら成果はかんばしくなかった。

久太郎の頼みは片っ端から断られた。

だがそれは至極真っ当な結果だ。


久太郎は気づいていなかった。

彼のしたことは迷惑行為以外の何者でもない。


そもそもこの場に集まったコスプレイヤーたちは、皆が一様に、ひとりの例外もなく、この冬コミを楽しみにしてきた。

何ヶ月も前から計画を立て、寝る暇を惜しんで衣装を制作し、時間も労力も費用もたくさんかけて、このコスプレ会場に集まっている。


それだけコスプレに情熱を捧げているのだ。

いくらコスプレ部廃部の危機だからといって、そんな彼らを掴まえて自分たちの都合ばかりを押しつけて良い筈がない。

むしろイベント運営スタッフに通報されていないだけ、久太郎に無理を言われたコスプレイヤーたちの対応は優しいとさえ言えた。


うなだれる久太郎に、京子が声を掛ける。


「……天ヶ瀬くん。今日はもう諦めましょう。私たちが間違っていました。やっぱりイベントを謳歌しているコスプレイヤーさんたちに、無理をお願いするべきではありませんでした……」


久太郎は無言で頷いた。

先に歩き出した京子の後について、とぼとぼとした足取りで帰路に着く。


と、そのとき――



わっ、と歓声が上がった。


カメラマンたちが、我先にと一箇所に集まっていく。

かと思うとイベントスタッフがやってきて、群衆となり始めた彼らを秩序正しく整列させていく。


出来上がったのは巨大な人の輪だ。

輪の中心にひとりのコスプレイヤーが歩み出た。

歓声がますます大きくなる。

熱狂を持って迎えられる。


コスプレイヤーが囲みの中心からぐるりと360度を見回した。

軽く手を振り挨拶をする。

それに応じて数百にも及ぶカメラマンたちが口を揃え一斉にに「お願いします!」「撮らせて頂きます!」と叫ぶ。


現れた彼女の名は『七星茉莉花』。

現役最強。

唯一無二。

様々な称号を欲しいままにするトップコスプレイヤーだった。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「……菘先輩、あれは?」

「えっと、ここからだとよく見えませんけど、あれは多分七星茉莉花さんですね。あんな大きな囲みが出来るなんて、彼女くらいしか考えられませんし」

「有名な人なのか?」

「はい、そりゃあもう。えっ? というか天ヶ瀬くん、七星さんを知らないんですか?」


驚いた京子には応えず、久太郎は囲みを眺める。

けれどもあまりに人が多すぎて、茉莉花の姿は見えない。


「俺、ちょっと行ってくる」


熱気に引き寄せられるように、久太郎は歩き出した。

囲みの外縁部にたどり着く。

囲みは最前列のカメラマンがしゃがみ込み、後列の者ほど背伸びをするせいですり鉢のような形になっていた。


久太郎は必死につま先を伸ばして輪の中心を覗き込む。

ようやくそこに茉莉花の姿を認めた。

どうやら人気アニメ『タイガー&バニッシュ』の登場キャラクター『ブルーローゼス』のコスプレをしているらしい。

その衣装や化粧は実に見事なものだ。


「じゃあ始めるねー。よろしくお願いしますー!」


茉莉花が挨拶をすると、ざわついていたカメラマンたちがタイミングを合わせたようにぴたりと静まった。


茉莉花は目を閉じる。

大きく深呼吸をし、再び彼女がまぶたを開いたとき、場の空気が一変した――



(……静かだ……)


久太郎は不思議とそんなことを考えていた。


辺りでは一斉にシャッターが切られている。

そこかしこでパシャパシャと鳴り響く音が、寄り集まり、豪雨になって溢れかえる。

なのに、おかしい。

なぜこんなにも静かなのだろう。


ふいに茉莉花から何かが溢れた気がした。

白いもやのようなそれは地を這い、徐々に周囲に浸透していく。

久太郎の身体がぶるっと震えた。

そして気付く。

ああ、これは冷気だ。

茉莉花から溢れ出した冷え冷えとした空気が、しっかりと防寒対策をしてきた筈の久太郎の身体を振るわせる。


久太郎は目を見張り、もう一度茉莉花を見た。

そこには氷の女王ブルーローゼスが、リアルな存在感を持って顕現していた。


久太郎もタイガー&バニッシュは観たことがある。

ブルーローゼスも知っていた。

茉莉花の一挙手一投足が、久太郎の記憶の中にあるブルーローゼスに寸分違わず重なる。

細かな仕草、表情、完璧なポージング。

そのすべてが久太郎にブルーローゼスを想起させる。


いま、目の前にいるのは確かにブルーローゼスだった。

久太郎はいま、彼女とともにタイガー&バニッシュの世界に存在していた。


久太郎は思わずカメラを構えていた。

その日久太郎が持参してきたカメラは、お粗末なコンパクトデジタルカメラだった。

望遠性能はお世辞にも高いとは言えない。

手振れも酷いだろうし、こんな巨大な囲みの外側からでは輪の中心にいる被写体をまともに捉えることは出来ないかもしれない。

けれども久太郎はカメラを構えずにはいられなかった。


必死になって撮影する。

リアル世界に顕現したブルーローゼスの姿を少しも逃すまいと、冬だというのに汗だくになってシャッターボタンを押しまくる。


そうしているうちに、久太郎ははたと気付いた。

久太郎はコスプレ撮影の初心者だ。

なのに何故か、先ほどからこれ以上ないくらいベストなタイミングでシャッターを切り続けられているように思う。

これはいったいどういうことか。

考えて、久太郎は思い至る。


(……ああ、そうか。俺は撮っているんじゃない。撮らされているんだ……)


茉莉花の目線が、指使いが、足運びが、撮影者を導いている。

流麗に移り変わるポージングが、今、このタイミングこそが撮りどきなのだと伝えてくる。

久太郎はただその流れに乗ってシャッターを押していただけ……。

カメラマンとは名ばかりの操り人形マリオネット


そのことに気付いた久太郎は愕然とした。

驚愕を持って茉莉花を見つめる。


「……凄い……。これが本物のコスプレイヤー……これが『七星茉莉花』……」


久太郎は思わず呟いていた。

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