第3話

入学式の日の朝。

久太郎と瑠璃は並んで通学路を歩いていた。


いや正確にはふたりはちゃんと肩を並べて歩いている訳ではなかった。

というのも一緒に登校することに(内心は別として)嫌悪感を露わにした瑠璃が、事あるごとに反発し、直ぐに数歩遅れるからだ。


久太郎は瑠璃が遅れる都度後ろを振り返り、はやく歩けと急かす。

何ともまどろっこしい兄妹の登校風景である。



久太郎がまた遅れはじめた瑠璃に声をかける。


「……おい。ちゃんと歩けよ」

「う、うっさいクソオタク!」


朝の通学路は学生たちで賑わっていた。

友人同士で会話を弾ませながら歩いている在校生から、おろしたての制服を見にまとった新入生まで。

多くの生徒が久太郎と瑠璃を追い越していく。


「ったく。こんなペースで歩いてたら遅刻するだろ。ほら、さっさと歩け」

「わ、分かってるわよ!」


瑠璃は歩くペースを少し早める。

気持ち大きめに足を踏み出す。

するとその拍子に風がそよぎ、瑠璃の艶めくセミロングの髪をサラサラと靡かせた。

同時に雲の切れ間から陽が差す。

明るい朝の光を受け、瑠璃の白い肌が一層透明感を増す。

スポットライトじみた陽光の中を歩く瑠璃の姿は、紛れもなく美しかった。


周囲でひそひそと話し声がする。


「ねぇ見て見て。ほら、あそこ」

「なにあの子! マジ可愛いんだけど、あんな子うちの学校にいたっけ?」

「うわぁ、スタイルも良いね。モデルみたい。新入生かなぁ?」


いつの間にか通学中の生徒たちが足を止め、瑠璃を眺めていた。

その視線に気付いた瑠璃は怯む。


「……うっ。……な、何……?」


瑠璃が周囲の様子を伺うと、そばにいた男子と目が合った。

メガネのその男子生徒は、顔を赤らめて瑠璃を凝視したままだ。


「て、天使……」


男子がぼそりと呟いた。

瑠璃の背筋にゾワゾワとした悪寒が走る。


瑠璃を見ていた男子生徒は彼だけではなかった。

周囲には似たような視線がいくつもある。


「ひぅっ!」


瑠璃は小さく悲鳴をあげた。


「な、なんなの? なんであの人たち、ずっとわたしのこと見てるわけぇ⁉︎」


怖くなった瑠璃は思わず走った。

急いで久太郎に追いつき、彼の身体を盾にするかのように背後に隠れる。

久太郎が首を後ろに回し、縮こまる瑠璃を見た。


「なにしてんの、お前?」

「な、なんか見られてる。わたし見られてるんだって!」


久太郎が辺りを見回した。

そして自分たちが注目されていることに気づいた。


「……たしかに見られてるな。というか俺じゃなく瑠璃を見てる感じだけど……なにしたのお前?」

「なんにもしてないってばぁ!」

「ほんとかぁ? じゃあ何でこんな注目を集めてんだよ?」

「し、知らないわよぉ!」

「と、とにかくアレだ。この場を離れよう。ほら、さっさと学校行くぞ」


瑠璃がこくこくと頷く。

兄妹は周囲の視線から逃れるように、今度こそしっかり並んで足早に歩き出した。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


入学式はつつがなく終わった。

プログラムは当初の予定通り9時〜12時ですべて終えられ、以降は放課後となる。


父兄に混ざって入学式に参列していた久太郎は、式を終えたばかりでざわざわと騒がしい集団のなかに妹を探す。


「お、いたいた」


久太郎の視線の先に、キョロキョロしながら兄を探す瑠璃の姿があった。


「瑠璃ー! こっちだこっち!」


大きく手を振る。

呼ばれた瑠璃が久太郎のもとにやって来た。

かと思うと怒った顔ですぐに口を開く。


「や、やめて! 恥ずかしいでしょ! 大声出して手なんか振らないでよ!」

「はぁ? こう人が多いんだ。仕方ないだろ」


瑠璃は不満そうだ。

久太郎がため息をつく。


「というか、お前さぁ。俺もあり得ない状況だとは思うけど、これからしばらく親父もお袋も留守なんだ。少しは力を合わせてとか思わないわけ? 仲良くしようぜ」


瑠璃の顔が赤くなった。


「な、仲良く⁉︎」


瑠璃は昨夜の妄想を思い出す。

愛情込めた手料理を「あーん」して久太郎に食べさせる自分……。

瑠璃はますます赤くなり、ぐるぐると目を回して早口で捲し立てる。


「あ、あわわわ……ク、クソオタクと仲良くなんて無理! キモい! 絶対無理ぃ! そそそ、そんな、仲良くだなんて……!」

「はいはい、そうだろうさ」


久太郎が頭を乱暴にかく。


「ったく、ほんとお前は可愛くないな」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


久太郎と瑠璃は入学式の会場だった体育館を出て、連れ立って歩く。

正門までの道には、部活動の勧誘をする在校生の姿が多くあった。


「新入生諸君、入学おめでとう! サッカー部に入らないか?」

「いや野球だ! 野球部、部員募集中! ともに白球を追いかけ、グラウンドを走り回って汗を流し、青春を堪能しようじゃないか!」

「書道部よー。優しい先輩と一緒に書を学びませんかぁ?」


ふたりは喧騒をぬって歩く。

そうこうしていると瑠璃に声がかけられた。


「わぁ、綺麗な子! ねぇ、そこの貴女? 新入生よね? 茶道に興味ない?」

「茶道? んー、別に興味は――」

「まぁまぉそう言わずに。ちょっとだけ、体験入部だけで良いから! お菓子もあるよ?」


瑠璃の手が引かれる。


「ちょ、ちょっと! 離してくださ――」

「いいから、いいから。部室いこ、ね?」


なかなか強引な勧誘である。

見かねた久太郎が手を伸ばした。

空いた方の瑠璃の手を握り、勧誘してきた女子生徒にきっぱりと言い放つ。


「その手を離してくれ」


勧誘を邪魔された女子は不機嫌になった。


「……なに、あんた? この子のなんな訳? まさかあんたみたいな普通よりちょい下の男子が、こんな綺麗な子の彼氏だなんて言わないわよね? 邪魔しないでちょうだい」

「か、かか、彼氏ぃ⁉︎ あ、あわわ……」


間に挟まれた瑠璃が素っ頓狂な声を上げた。

久太郎はそれを無視して女子生徒に応える。


「こいつは俺の妹だ。俺たちは兄妹なんだよ。今日は家の用事があるからもう帰んなきゃいけない。だからその手を離してくれ」

「……ふんっ。似てない兄妹なのね」


鼻を鳴らした生徒は捨て台詞を吐き、渋々といった様子で瑠璃を解放した。


「さぁ行くぞ、瑠璃」

「う、うん……」


久太郎は瑠璃の手を引いて歩き出した。



茶道部の勧誘を逃れてから少して、瑠璃が小さく呟いた。


「……あ、ありが、と」

「ん? ああ、別に礼を言われるようなことじゃない。というか勝手に勧誘断ってすまんな。もし茶道に興味があるなら、後日正式に――」

「べ、別に茶道に興味があるわけじゃないし」

「そっか」


会話が途絶える。

瑠璃がモジモジし始めた。

その態度を不審に思った久太郎は、瑠璃を観察し、まだ自分たちが手を繋いだままだったことに思い至る。


「あ、悪り」


パッと手を離す。

ずっと手のひらに感じていた瑠璃のぬくもりが失われた。


「……あっ」


瑠璃が小さく声を漏らした。

その声色は心なしか残念そうだ。

ふたりは会話を途絶えさせたまま、正門に向かって歩く。

すると新入生を勧誘する張りあげられた声に紛れて、消え入りそうな小さな声が聞こえてきた。


「……あ、あのぅ……コ、ス……レ、……で、す……。し、し、新入……、募集中……ですぅ……」


その声に久太郎が反応する。


「……ん? まさか……」


久太郎が声の出どころに向かって歩きだした。

瑠璃はその後ろに着いていく。

久太郎は消えそうな声の女子生徒の前で立ち止まった。


すずな先輩。何してんの?」

「あ、天ヶ瀬くん……」


この女性の名前はすずな京子みやこ

三年生だ。


「先輩、いま新入生の勧誘してただろ? でも勧誘はしないでおこうって前にふたりで話して決めたじゃないか」

「ご、ごめんなさい……。私、勝手なこと、しちゃいました……」


京子が頭を下げた。

久太郎は慌てて手を振る。


「いや、責めてるんじゃないんだ。だから頭あげて。ホントに責めてる訳じゃなくて、ただどうしてだろうなって」


一歩下がって成り行きを見守っていた瑠璃が、会話に割って入る。


「……なに? 知り合い?」

「ああ、彼女は今年から三年の先輩でな。一緒のクラブなんだ」

「ふぅん、あんたクラブに入ってたんだ? でもどうせ文化部でしょ? で、何のクラブなの? クソオタクだし漫研とか?」

「コスプレ部だが」

「はぁ⁉︎」


想像の斜め上をいく返答に、瑠璃は自分の耳を疑った。

もう一度、同じセリフで尋ね直す。


「……で、な、何のクラブなの?」

「いや、だから『コスプレ部』だって」


久太郎はしっかりと答えた。

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