第2話
自室に戻った瑠璃は、勢いよくベッドに寝そべった。
両親はすでに台北に旅立った。
あっという間の出来事に、ちゃんと文句を言う暇もなかった。
ふつふつと怒りが込み上げてくる。
瑠璃は枕にぼふっと顔を埋めた。
「……ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない! マジありえない! まさかホントに行っちゃうなんて……」
途方に暮れながら母の言葉を反芻する。
お兄ちゃんと仲良く。
明日からしばらくその兄と二人暮らしだ。
枕に
「……困るぅ。きゅ、急に
瑠璃は足をジタバタさせた。
ベッドの上で悶える。
「無理ぃ……無理だよぉ……」
だってもう瑠璃と久太郎とは何年も反目しあっているのだ。
顔を見合わせれば罵倒しあってばかり。
仲良くなんて出来そうもない。
しかしそれは瑠璃が本心から望む関係ではなかった。
それもそのはず。
本当の瑠璃は隠れお兄ちゃんっ子だった。
ありていに言えば極度のブラコンである。
ツンケンした態度から一見そうは思えないものの、彼女は昔のような『お兄ちゃん大好き!』と笑って話せる
「あっ、そ、そうだ!」
何事かを思いついた瑠璃は、うつ伏せていた身体を跳ね起こした。
膝をついたままズリズリと移動してベッドを降り、ぎっしり洋服の詰まったクローゼットを開けて、その最奥にひっそりと仕舞われた一冊の書籍を取り出す。
その本の表紙には、ピンク色した甘ったるいフォントで〜彼氏と仲直りする方法〜と書かれていた。
◆
瑠璃は手にした本をパラパラとめくった。
そこには喧嘩をした相手との仲直りの方法が、幾通りも記されている。
ただこの本はあくまで恋人同士を前提としたものだ。
決して不仲な兄妹を仲直りさせる為のものではない。
けれども瑠璃はそんな些細なことはスルーして、本を読み進める。
「……はぁ。『彼との仲直りはまず胃袋から。愛情たっぷりの手料理でアピールしよう』かぁ。でもわたし、料理はあんまり得意じゃないのよねー」
瑠璃はかつてこの本の内容に従い、久太郎と仲直りしようと試みたことがある。
そのときはアレコレあって挫折した。
けれどももう一度がんばって挑戦してみようか、なんて思う。
これからしばらく、兄妹で二人暮らしになるのだ。
さっきまで困惑していたものの、よくよく考えれば男女の仲が急接近するには良い機会のように思える。
なにせ兄妹とはいえ若い男女がひとつ屋根の下に二人きり。
何か起きてもおかしくないシチュエーションだと思うし、いやむしろ何か起きて欲しい。
瑠璃はそんなことをぼんやり考えながら、自分の作った手料理を美味しそうに頬張る久太郎を妄想して表情をにへらと緩ませる。
と、そのとき――
◆
トントン、とドアがノックされた。
「……瑠璃」
姿勢を崩していた瑠璃の背筋が、反射的にピンと伸びる。
いま家には瑠璃と久太郎のふたりきり。
となるとこのノックの相手は久太郎にほかならない。
「瑠璃。もう寝てるか?」
ドア越しに声が掛かった。
その声は案の定久太郎のものだった。
「なぁ、寝てんのか?」
瑠璃は壁の時計を見上げる。
現在時刻は21時過ぎ。
小学生でもあるまいに、いくらなんでも寝るにはまだ早い時間帯だろう。
むろん起きているに決まっている。
「おい、瑠璃。聞いてんのか? 起きてるなら返事をしろ。それかやっぱもう寝てんのか?」
瑠璃は喉から声を捻り出すようにして返事をする。
「は、はぁ⁉︎ ね、寝てるわけないし!」
「……ああ、起きてたか」
「あ、当たり前しょ!」
「ちっ、だったら返事くらいさっさとしろよ。とにかく起きてんなら開けるぞ」
ドアノブが下がる。
「ちょ、ちょっと待っ――」
瑠璃は手にしていた本を慌てて背後に隠した。
それと同時にドアを開けた久太郎と目が合う。
「なんだ? お前いまなにか隠した?」
「べ、別になんにも隠してないし! というか勝手にドア開けんなクソオタク!」
「……お前なぁ。いい加減その口の悪いの直せよ。いつも言ってんだろ」
「うるさい! 急にやってきてお説教とかいらないし!」
久太郎がため息をついた。
そしてぽつりと呟く。
「……ちっ、可愛くねぇなぁ……」
瑠璃の顔がカァッと赤くなった。
可愛くない。
それは瑠璃が久太郎から一番言われたくない言葉だ。
瑠璃は常々久太郎から『可愛い』と言われたかった。
瞬間的に頭に血が上る。
「か、可愛くなくて悪かったわね! どうせわたしは可愛くないわよ! というかむしろ、クソオタクに可愛いとか思われたくない!」
「へいへい、左様ですか」
「〜〜ッ!」
瑠璃は暖簾に腕押ししたような久太郎の態度に、ますます沸騰しかけた。
けれども興奮を抑え、睨みつけながら尋ねる。
「……それより、用はなに? わざわざ妹の部屋までやって来てお説教するだけ? それか覗き? あんたってオタクなだけじゃなくて変質者だったりする訳?」
「実の兄に向かって変質者って、お前なぁ……」
久太郎が呆れたように首筋を掻いた。
「ふぅ、まぁいいわ。わざわざお前と言い争いに来たんじゃない。だから用件だけ伝えるぞ。明日の入学式、親父とお袋にお前のこと頼まれた」
瑠璃は久太郎の通う高校を志望して合格した。
だから二人は明日から先輩後輩の間柄になる。
「明日は一緒に登校するぞ」
「は、はぁ⁉︎ なんでわたしがクソオタクなんかと一緒に――」
「とにかく言いたいことはそれだけだ。じゃあな」
久太郎は瑠璃の言葉を最後まで聞かず、ドアを閉めた。
自室へ戻る兄の足音を聞きながら、瑠璃は呟く。
「……ふぇ……?」
ぽかんと唇を開く。
「……い、一緒に登校? 入学式、一緒に登校って……」
記念すべき初登校が久太郎と一緒。
じわじわと嬉しさが込み上げてくる。
「……くぅぅぅ!」
兄に反抗する妹の顔はどこへやら。
瑠璃は手近にあったクッションを掴み、それを幸せそうに胸に抱きしめながら悶えた。
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