7.押される背中



「かんぱ~い! おつかれ~!」


 無事に卒論の提出が済んで、ゼミの皆で慰労会。


「いやぁ、しかし祥平の論文は群を抜いてたなぁ。君は良い教育者になるよ、僕が保証する」


 俺は教育学部に所属し、将来は小学校の教師になることを志している。元々子供が好きで、保育か教育かで進学もかなり迷った。


 千咲にもいろいろ意見を聞いて、教師を目指すことにした。決定打になったのは、小学校時代に千咲の介助をクラスメート達に呼びかけてくれていた先生方の顔が浮かんだからだ。



 そうして、真面目に勉強した4年間の集大成は教授からも絶賛され、悔いなく開放感に浸れるはず……なのに。俺の気持ちは相変わらず晴れないままだ。



 あの日以来、千咲の家には行っていない。もう2週間になる。こんなに会っていないのは千咲と出会ってから初めてだった。どうしても顔が見たくなって家の前までは何回か足を運んだものの、普通に話せる気がしなくて会わずに帰る日々だった。



 もちろん、メッセージのやり取りは毎日している。あの伊吹って奴との関係を疑ってることも露骨に現わしてる。


 すると、俺の疑いを晴らす為かのように届いた写真──デート中らしき二人を見て、俺は更に絶望の淵に立たされ……。



「ねぇ! 祥平! いい加減やめなさいよ、魂抜けたみたいな空気出すの~!」


 いつの間にか隣の席に移動してきていた星名が、また俺の肩を叩く。


「んな空気出してないし」

「いや、出してる。こっちまでテンション下がるからまじでやめてよねー」







──飲み会も終盤になってくると、酔っ払いのノリみたいなのが増えてきて、俺は辟易していた。


 元々あまり酒は飲める方じゃないし、大学生になってからも授業とバイト以外の時間はほとんど千咲の家に行っていたから、飲み会なんて数えるほどしか参加したことがなかった。



「お~い! 傷心野郎~!」

「星名、飲みすぎだよ。もうやめとけ」

「ねぇー、前から気になってたこと聞いてい~?」

「……なに」


 潰れる寸前みたいな酔い具合の星名。いきなり俺の肩に腕を回してきて、耳元に顔を近づけてくる。



「祥平って……童貞?」

「はぁ?!」


 周りを確認すると、それぞれに酔っ払ってだらけている。星名の発言は誰にも聞こえていなかったようでホッとする。


 その下衆な質問の答えは……もちろんイエスだ。千咲一筋15年の俺が、他の女の子とどうこうなんてあるはずがない。



 とはいえ、俺も人並みに告白されたことくらいはある。中学生の頃、1学年上の先輩から告白されて断った時には、千咲のせいだなんだと一悶着あったりもした。


 思えばこの15年いろんなことがあったけど、俺の中で気持ちが変わることなんて1ミリもなかったんだ。どんなことがあっても。




「もー、じれったくて見てらんないのよ~。そんっっなに好きならさ、奪っちゃえばいーじゃん」


 俺に思いっきり寄りかかりながら、まだチューハイを口に運ぼうとしている星名の手を制止する。


 星名は頬をピンクに染め、妖艶な目を俺に向けた。目の上のラメ入りのアイシャドウが、居酒屋の赤みがかったライトで煌めいている。



「このまま他の男に取られちゃっていーの?」

「…………」

「もうさ、なーんも考えず告っちゃえ! なんならチューしちゃえ! 押し倒しちゃえ! あはは~」



 酷く酔っている星名だけど、俺に向ける視線の奥には案外真剣さが見えた。


 まぁ、言ってることも一理あるよな。このまま何もせず見てるだけなんて無理だ。………諦められるわけがない。



「まぁさ? もしフラれたらあたしが祥平のこともらってあげるから。ドーンと行ってこーいっ!」

「……いってぇ……」


 酔い過ぎて力加減がばかになっている星名に、背中を思い切りはたかれて。


 背中の皮膚がピリピリと痛むけど……


 文字通りしっかりと背中を押された俺だった──

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