5.気付き
「ちぃ? 入るよ?」
「あぇ?! しょうくん?」
卒論をやっと書き終えた開放感の中、5日ぶりに訪れた千咲の家。千咲のお母さんから預かってる合鍵を使って家に入り、部屋の前で呼び掛けたら、中から素っ頓狂な声が聞こえてきた。
ゆっくり扉を開けると……
「あ……」
「……どうも」
ベッド脇の椅子に見覚えのある男が座っている。
「えっと、しょうくん……、あのね、こちらがボランティアの伊吹くんです」
「はじめまして。伊吹です」
サッと椅子から立ち上がり、愛想よく白い歯を見せ、爽やかに挨拶してくる。
「……幼馴染の祥平です」
痛いくらいまっすぐな視線を感じるけど、俺は目を背けてしまう。
上半身にはボランティアらしい紺色のポロシャツを着ていて、髪は明るめの茶髪。若干、女慣れしてる空気は漂ってるけど、別に悪い奴ではなさそうだ。
それでも俺はそいつのことを直視できない。この気持ちがなんなのかは、ちゃんと分かってるつもりだ。
「……えっと……あのね……」
千咲が何かを言おうと、オドオドし始める。
きっと俺の聞きたくない話題……。
伊吹ってやつはそんな千咲の様子を見て、察したらしい。ふっと小さく吹き出して、今度はまた俺をまっすぐに見てくる。
「俺、千咲ちゃんと付き合ってます」
やっぱり、聞きたくない話題。千咲は無言で頬を赤くしてる。正直、気が狂いそうだ。ずっとずっと大好きだった千咲が……こいつと……。
「……ちぃから聞きました」
辛うじて答えたけど、フツフツと身体の奥底から怒りにも似た感情が沸きあがってくる。それを落ち着かせるように俺はふぅっと大きく息を吐いた。
「──本気なんですか?」
「え?」
「ちぃのこと、本気?」
冷静を装って聞いてみたけど、きっと顔には出てるんだろう。伊吹って奴は、俺を見て一瞬ギョッとした顔をした。よっぽど怖い顔してんのかな……俺。
「そりゃあ、もちろん本気ですよ」
その言い方がものすごく軽く感じられてまた腹が立ってくる。こんな軽い感覚で千咲と付き合ってるなんて……。
「ちぃは? 本気なの?」
俺はなんでこんなことを聞いてんだろ?まるで父親みたいだ。自分の立ち位置が分からなくなって、眩暈がしてきそうだった。千咲は困ったように視線を伊吹って奴に投げている。
……そんな千咲を見てピンときた。もしかしてこいつら、俺を騙そうとしてる?
でもなんのために?分からない。頭の中で思考をグルグル巡らせていたら、千咲が口を開く。
「……うん……本気。伊吹くんのこと好きだよ」
千咲の口から、他の奴への想いを聞かされるなんて……。それが本心なのかどうかは分からないけど、たとえ本心じゃなかったとしても、俺にはダメージがデカすぎた。
「……そっか。じゃあ……お幸せに」
もうその場にいることすら辛くなって、俺は来たばっかの廊下を引き返し、玄関を出た。
“お幸せに”ってなんだよ。結婚するわけでもあるまいし。自分にツッコミを入れながら歩く。
なんとなくまっすぐ家には帰りたくなくて、家とは反対方向へフラフラ歩いた。
そうやって歩いていたら……俺は気付いてしまったんだ。
千咲は誰とも付き合わない。誰にも取られる心配はない。千咲を好きになる男は俺だけ。そしてきっと、千咲も心の中で俺を想ってくれているはず……そう決めつけて、これまでずっと過ごしてきたことに。
きっと千咲が健常者だったら、一刻も早く告白していたに違いない。
自分自身の千咲に対する隠れた差別心に気付いたことで、ただでさえ沈んでいた気持ちがまた一段と重くなり……夕暮れと共にドン底まで落ちて行った──
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