3.恋の目覚め




──小学2年の時、俺は母親と共にこの街に引っ越してきた。


 ご近所の数軒に引っ越しの挨拶回りをすることになり、母親に付いて行った俺は、このとき初めて千咲に会ったのだ。



 俺のアパートの斜向かいにある小さめの一軒家。玄関にはスロープが設置されていた。


 インターフォンを鳴らして、車椅子に乗った女の子が出てきた時は少し驚いた。



 その子が同い年だと聞いたときは更に驚いた。どう見ても小学生には見えないくらい、千咲の身体はとても細くて小さかった。


 挨拶初日だというのに母親同士が驚くほど打ち解けていて、そのまま千咲の家の中にいれてもらった。意気投合している親たちの横で、俺は千咲に近づいて聞いてみた。



「足……病気なの?」


 すると彼女は黒目がちなクリクリの瞳を俺に向けて、


「足じゃなくて背中の病気なの。上手く歩けないの」


 そう答えてくれた。俺はこの日初めて『障害』というものを持つ子が存在するのだと知った。



「見てみて! 私の脚、枝みたいでしょ? ふふふ」


 そう言ってズボンの裾を捲りあげて見せてくれた彼女の脚は、本当に枝のような細さだった。



 その日、彼女は自虐的とも取れる発言を沢山していた。でも不思議と千咲に対して同情のような気持ちは湧かなかった。


 それはきっと、千咲があまりにも自然に自分のことを話してくれたから……そして彼女の笑顔が、とびっきり可愛かったから。


 その印象の方が俺の中に強く残ったんだと思う。






──その日から、親同士の決め事で俺たちは一緒に登校するようになった。


 毎朝千咲のお母さんに、学校まで車で一緒に送ってもらう代わりに、俺は千咲の乗り降りを手伝った。


 学校内では先生方の呼びかけで、同級生たち皆で車椅子移動のサポートをしてくれていた。千咲の明るい性格もあって、障害の有無なんて感じさせないくらいクラスにも馴染んでいた。



 そんな千咲だったけど、やっぱりいざという時に頼ってくれるのは俺だった。


 具合が悪い時は真っ先に俺に知らせてくれて、一緒に早退して家で看病することも何度もあった。


 俺はそうやって千咲に頼ってもらえるのがすごく嬉しかった。



 今思えば、あの頃は正直……しょうもない自惚れの気持ちで行動していたように思う。


 10歳前後の小学生が他人の障害というものを深く理解してるはずもなく、ただ彼女を手助けしている自分がまるでヒーローにでもなったかのように錯覚していた。


 その感覚が心地よくて、俺はいつだって千咲の介助を買って出た。







──そんな俺が千咲を初めて女の子として意識し始めた日のことは、今でもはっきりと覚えている。



「ちぃ~?」


 小学校6年生のある休日、いつものように千咲の家に顔を出すと、千咲がベッドの脇に倒れていた。



「ちぃ、どうした?!」

「あ……しょうくん! ちょうどいいとこに来てくれた。ベッドから落ちちゃったの。手伝ってくれる?」



 どうやら千咲はベッドに横になって本を読んでいたらしい。隣のテーブルに置いていた飲み物を取ろうとして、バランスを崩したと言う。



「ちゃんと首んとこ持ってて。グッて摑まって」

「わかった」


 千咲の腕を自分の首に巻き付けて摑まらせると……あれ?何かが俺の胸のあたりに当たる。


 その柔らかな感触に、すぐにそれが千咲の胸だと気付いた。



「……ごめん」

「……ううん、平気」


 俺が気付いたことに千咲も気付いていた。恥ずかしそうに視線を後方に向けている千咲。


 意識して見ると、ほんの少し前までは幼稚園児みたいに細かった千咲の身体が、急に女の子っぽくなっていた。太ったとかそうゆうんじゃないけど、なんとなく全体的に柔らかそうな……丸い感じになった気がした。



 あとから母親に聞いた話だけど、どうやらその頃ちょうど千咲は女の子特有のあれが始まったらしい。病気のせいでちゃんと女性としてのそうゆうものが機能しているのか不安を感じてた千咲のお母さんは、赤飯を炊いて大喜びしていたそうだ。


 それまでは男友達とほぼ変わらない感覚で千咲と関わっていたけど、急に俺と千咲の間に性別という一枚の壁が現れたような感覚だった。





 その日から少しずつ、千咲を見る目が変わっていった俺。中学・高校と年次が進むにつれて、今度は周りの見方までも変わっていった。



「付き合ってんの? お前ら」

「いーなー、幼馴染とか俺も欲しかったわー」

「いや……、別に付き合ってないから……」


 幾度となくそんなやり取りを友達と繰り返した。当然俺も千咲に対して、という意味でも意識するようになってきた。


 でも当の本人は俺の気持ちなんて全く気付いてない様子で、ずっと家族のように俺を頼り続けてくれていた……。






「──ねぇ、祥平~? 聞いてんの~?」

「え……、あぁ、ごめん。何の話だっけ?」

「もー。なんなの~? 最近ボーっとしすぎじゃない?!」


 ゼミの同期──星名ほしなと大学のゼミの課題について話し合いの最中、俺はよほどぼーっとしていたらしい。星名はむくれて俺の腕をパシッと叩いてきた。



「何なに~? あ、もしかしてー、例の幼馴染? 車椅子の?」

「いや……、まぁ……うん」


 興味津々な星名に詰め寄られて、先日の一連の会話を話すと……意味深に呟く。



「それってさぁ、ほんとに本気の好きな人なのかな……?」

「え?!」

「なーんか、怪しくない?」


 まぁ、言われてみればあまりにも突然の「好きな人ができた」宣言。何かあったのかもしれないけど……


 でももし本気じゃないとすれば、一体何のためにそんなこと俺に言ったんだろうか。



「ま、一回会ってみれば? その好きな人ってやつに」



 今時の女子大生らしい綺麗なウェーブがかかった茶髪を、指先でクルクルしながら言う星名。


 ゴールドのネイルが施されたその指先を眺めながら……俺は胸のモヤモヤが一層濃くなるのを感じていた──

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