2.好きな人



「……しょうくん」



……っ……あれ?



「ねぇしょうくん、おきて」

「……っ、やっべ……寝てた」


 気が付いたら俺は千咲の部屋のソファに横になって眠っていたらしい。



「ふふふ、大丈夫?」

「……ごめん、昨日あんまり寝れてなくてさ」


 卒論の締切が近くて昨晩もほぼ徹夜だったせいか、頭がポーっとする。


 ん……待てよ?てことは、さっきのは……夢か。




「……なぁ?」

「んー? なに?」

「散歩でも行く?」


 夢の中みたいに「うん、行きたい!」と言ってくれると思っていたら……



「ううん、今日はいーや」


 予想外の返事。やっぱり調子が良くないんだろうか。おまけに何やら深刻そうな面持ちの千咲。


「どうかした? 具合悪い?」


 ベッドに近付いて縁に腰掛けるも、千咲はちっとも目を合わせてくれない。妙な胸騒ぎがしてくる。



「ちぃ……どした?」


 もう一度聞いてみると、千咲はやっと俺を見てくれた。何か強いものを秘めた眼差しに、胸騒ぎが一層激しくなる。




「私ね、好きな人ができたの」

「え?!」

「その人も私のこと好きって言ってくれててね? だから……、だからもう……」

「……嫌だよ?」


 その次にどんな言葉が来るのか、俺には想像が付いた。だから続きを聞く前に、俺が声を被せる。




「俺これからもここ来るよ? ちぃの側にいたい」

「……でもね……、その人と……」

「いーよ。ちぃに好きな人がいたって、彼氏ができたって別に関係ない。迷惑な時は来ないから。そいつに会う日は言って?」


 こんな縋るようなこと言って情けねーな……と思いつつ。もう千咲に会いに来ちゃダメだなんて、無理だから。



「ちぃの恋の邪魔はしない。だからこれまで通り、俺に出来ること手伝わせて?」

「………」


 千咲は明らかに困った顔をしてる。もちろん俺だって困らせたい訳じゃない。


 ただ……この気持ちはもう今更……どうしようもないんだ。



「……てゆうかさ?」

「ん?」

「好きな人って誰? どこで知り合ったの?」



 千咲は現在、福祉関連の会社で事務の仕事をしている。週に2回ほど出社して、残りは在宅勤務。体調が悪い日は休ませてもらえたり、かなり融通を利かせて貰えてる良い職場だと聞いている。


 知り合うとしたら……やっぱり……


「会社の人?」

「………」



 困った顔のままで黙ってしまった千咲を見ていたら、ピンッと来てしまった。もしかして……?



「……あの新しいヘルパーの男?」


 これまでは、昔から馴染みの女性ヘルパー2人と千咲の母親、そして俺の4人で千咲の生活の介助をしてきた。でも先月から俺が大学の卒論で忙しくなり、あまり来られない代わりに、ボランティアで新人が一人加わったのは知っている。……そいつか?




「……うん。そう」


 やっぱり。千咲は気まずそうにしている。


「……そっか」


 ちょうど1週間前、この家に顔を出した時に一瞬会ったことがある。

 爽やかで優しそうな奴ではあった………けど。



「………」「………」


 ショックやら悔しさやら何がなんだか、よく分からない感情になって。

 無言の時間──微妙な空気が、続く。



「……今度さ」

「え?」

「今度……俺にもちゃんと挨拶……させてよ」


 無理して言ってみたら、思いの外、上っ面な言い方になってしまった。


「……分かった」


 ぶっきらぼうな俺の物言いが可笑しかったのか、やっと少し笑顔を見せてくれた千咲。


 ちらりと時計を見たその時──ガチャガチャと玄関の鍵を開ける音がする。




「祥平くーん、ごめんねぇ! 遅くなっちゃって」

「おかえりなさい。全然へーきです」

「いつもありがとうね。お夕飯食べてく?」

「いえ。今日は帰ります」

「そう? お母さんにいつも遅くまで祥平くん借りちゃってごめんって伝えておいて」

「わかりました」


 千咲のお母さんと俺の母さんは昔から大の仲良しだ。お互いシングルマザーであり、本人たちの歳も近く、子供同士が同い年ということもあってか、俺の両親が離婚してこの街に引っ越してきてすぐに打ち解けていた。


 まるで姉妹のようにこの15年、お互い協力し合いながら俺たちを育ててくれた。



 千咲のお母さんが着替えに行くのを確認し、俺は千咲の細い手をいつも通りそっと握った。


「じゃあちぃ、また来るね」

「……うん」


 千咲の部屋から出ようとドアに近づくと「しょうくん!」と名前を呼ばれ、振り向く。



「……いつもありがとう」


 大好きな柔らかい笑顔。あぁ……やっぱり好きだなぁと思ったのも束の間、さっきの会話を思い出し一気に気分が沈む。



 ため息をつくのを寸前で堪えて、俺はゆっくりと彼女の部屋を後にした──

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