壊れた夢の中で咲いた花

思い出のレガシー、朽ちた世界

 あるところに村人全員が幸福だと自負している村があった。村人は皆、今を生きることに何の不自由も感じず、隣人を愛し、自分を愛し、笑顔で満ち溢れ、争いも諍いもなく、平和な村だった。それは世界で最も幸せな村として、村の外にも自慢していた。

 勿論彼らは平和ボケをしていたのか?といえば違った。幸せな村としてアピールしたことで余所者は増えた。彼らは歓迎し、定住を希望するなら受け入れた。中には悪意を持つものもいたが、村はそういった者を追い出した。彼らは人間が必ずしも善性ではないことを理解していたのだ。つまり、人間の本質を理解した上で我々は幸福を享受している。だから世界で最も幸せであり続けるのだと、そう思っていた。


 だが時は流れその村は狂い始める。文明の発展、それにより外部とのやりとりが容易になった。それは当初村の人達は歓迎したのだ。便利な時代になったと。それが終わりの始まりだと知らずに。

 結論として、村人が幸せだったのは、外の世界を知らなかったからである。通信技術の発展により、村人は自分の村がいかに世界と比べ劣っているか知った。それは他者との比較、相対的幸福価値の追求。理想郷の崩壊。村はありふれた、不幸な田舎村へと変移した。

 何も知らないことが一番の幸福であったことを例える話。でも私は思う。何も知らないことが幸福なら、知ることで回避できた取り返しのつかない不幸はどうやって回避すれば良いの?

 ───これは何も知らないで、世界の常識に振り回され狂っていった憐れなピエロの物語。




 梅雨が好きな人間なんているのだろうか。雨が降っている。傘をさして登校する煩わしさ、動きが制限されたような気分がして嫌気が差す。でも雨の音は正直嫌いではない。一定のリズムでザーザーと降る音、それはこちらの世界でも変わりなく、不変の事実。例え世界がどうなっても変わりない安心感。ひょっとしたら人は変わらぬものに安心感を求めるのかもしれない。まぁそれはそれとして、やはりじめじめとした気分は好かない。それにこの時期から暑くなるというのもあるから余計である。


 「おう、おはようさん境野。」


 教室に入ると高橋が挨拶をしてきた。そしていつもどおりの世間話……俺たちはもう悪意ある何者かについて完全に頭の隅に行っていた。テストが終わったという開放感もある。この間だって、いつ襲われるか分からない口では注意しあいながらも、テストが終わったからと言って、カラオケだのゲーセンだの遊び呆けたのだ。

 もっとも俺は一つだけ話していない気がかりなことがあった。ユーシーに渡した、軽井沢の残した軍手と木の枝である。察しはついていたが、あれだけで特定するといっても中々難しいものがあるのだろう。そんなことを考えつつも、いつもどおり授業を受けて、いつもどおりの放課後がやってきた。


 「今日は雨だし、まっすぐ帰るのが一番かなぁ。」


 外を見るとまだ雨は降り続いていた。曇天で何とも言えない天気だ。突然スマホが震える。ユーシーからだった。


 「例の場所が分かったわ、詳細は事務所で。」


 それだけ伝えると電話が切れた。盗聴対策だろう。雨の中、事務所まで行くのは正直気が引けるが、ようやく亡霊の住処がわかったのだ。行かないわけにはいかない。


 「どうしたのよ電話なんかして、試験も終わったんだし帰宅部の私たちは帰るわよ。」


 話しかけてきた皆に対して俺は亡霊の居場所が分かったことを伝えた。恐らくそのまま向かうことになるだろう。危険が伴うのは目に見えている。


 「だから今更、そんな話はなしだって言ったろ?それに釘の奴らもいるんだ。とっとと亡霊を倒して少しでも敵を減らそうぜ。」

 「そ、そうですね……高橋様の言うとおりです……わ、私も行きます!」


 高橋と夢野は乗り気のようだが、意外にもコトネは黙っていた。弦は亡霊だったのだから、むしろこの中で一番確執が深いと思っていたが……。


 「コトネは行かないのか?」

 「い、いや行くわよ勿論!ただ……改めてあいつを追い詰めるって話になると緊張しただけ。」


 実の兄の前に立ちはだかることになるのだ。言われてみればそれは確かにそれなりの覚悟がいるのかもしれない。だが、コトネは問題ないと言って我先にと教室の出口へと向かった。俺たちはそれを追いかけるように向かう。無明探偵事務所へと。


 

 探偵事務所に着いた俺たちは早速ユーシーに亡霊の居場所を教えてもらった。場所は山の奥深く、人里離れた場所だが、とある富豪所有の別荘があるらしい。山の中にも関わらず、ガス電気水道下水道インターネット完備で目の前には大きな池もあるらしい。外観は洋風となっておりちょっとしたホテルのようだと言う。金持ちの道楽、周辺の人たちは皆そう呼んでいた。


 「決め手はこの木の枝ね。品種改良されたオリーブの枝。こんな珍しいものそうそう無いわ。」


 ユーシーはゴルフバッグのようなものを抱えた。あの中に武器を大量に積み込んでいるらしい。


 「バイクに乗るのか?」

 「バカね、亡霊のアジトに乗り込むのよ?一人で行くわけないじゃない。幸い、亡霊に恨みを持つ連中なら、知ってるでしょ?」


 ユーシーはスマホのメッセージ履歴を見せた。龍星会、彼らが車を出すらしい。更に後方支援までしてくれるという話だ。まさに総力戦、決戦の時というわけだ。


 「勿論、あなたやあなたの連れの同行は構わないわ。でもあなたはともかく、後ろの子たちは……後ろで見ていたほうが安全だと思うけど?」


 ユーシーに嫌味はない。純粋に心配してのことだったのだが、それにコトネは反応する。


 「はぁぁ?なにそれ?足手まといって言いたいの?良いわよ、そんな話なら私は行かないから!!」


 いきなりヒステリックになって事務所を立ち去った。


 「ユーシー今のは……。」

 「無配慮だったかしら、ごめんなさい、どうも日本人の会話文化?みたいなの未だによく分からなくて。」


 ともかく今は争っている場合ではない。コトネには後で愚痴を聞いてあげよう。軽井沢がくれた痕跡、それは恐らく亡霊を倒してほしいというメッセージなのだ。思えば彼女の行動は不自然だった。だが全てはこの時の為だというのなら……その期待に応えなくてはならない。



 

 誤魔化すことはできただろうか。演技にはあまり自信がない。伊集院コトネは走りながらスマホで実家に連絡をして車を手配していた。弦の居場所が分かった。ユーシーとかいうチャイナドレスの女性はマフィアを使って大々的に攻めるらしい。そんなことをすれば流石の弦も年貢の納め時だろう。確実に殺される。かつてレンが言っていたことを思い出していた。弦には償いをさせる。それは社会的な制裁を受け、法の下で裁きを受けさせること。

 伊集院兄妹は今でこそ仲は最悪だが、昔はそうでは無かった。何でも完璧にこなす兄。多くの人に慕われ、妹の自分には時には厳しく、時には優しく、両親からしても仲睦まじい自慢の兄妹だった。そんな兄を私も尊敬していた。あのビデオが届くまでは。

 思えば両親が事故死してから兄はおかしくなっていった。富と権力に囚われていた。それは両親を失い、たった二人となってしまった伊集院家を守るため、ただ必死になっていたのかもしれない。無論、兄のしたことは、決して許されるものではないが。

 願わくば、レンの言うとおり、罪を認め改心し、元の優しかった兄に戻ってはくれないかと思うことは、伊集院コトネの本心であった。

 ───だって、この世界で残された唯一の家族なのだから。

 故に伊集院コトネは一人、弦の居場所に向かうのだった。今ならまだ引き返せることを、妹の訴えが届くことを信じて。まだ兄に人の心が残っていることを祈りながら。




 ユーシーから教えられた場所は覚えがあった。昔、両親によく連れてこられた別荘。売り払い解体したと聞いていたが、それは当時のまま残っていた。おそらく万が一のために弦が潜伏先として確保していたのだろう。私たちの大切な思い出の場所。だからすぐに、そこに弦がいると断定できた。

 オリーブは父の好物だった。この環境下でもよく育つオリーブの木をわざわざ取り寄せて植林したのだ。母は湖の景色が好きだった。森の中できらきらと輝き、水鳥が優雅に泳ぐ様を見ながら、幼少の私と一緒にピクニックのような気分で弁当を持ってきて食べていた。兄は父と一緒に、虫取りをしたり、湖にボートを出して、よく私と母に手を振って声をかけていた。

 意味の分からない涙が溢れていた。かつてあったはずの景色。風景だけは当時のままだが、もうそこには私しかいない。私は兄を糾弾しにきたのだ。この思い出の地で。


 

 屋敷の中へは驚くほどスムーズに入ることが出来た。奥へ進む。兄はきっとあそこにいるだろう。ここに来るといつも入っていた、兄のお気に入りの場所。父の書斎。迷わず書斎の前に辿り着いた私はきしむ音を立てて書斎のドアが開く。


 「……えっ?」


 そこには当時の面影など無かった。埃まみれで、カーテンは締め切ってある。まるでもう何年も主がいなかったようだった。


 「潜伏先としては使っているがね、使わない部屋は特に片付けはしないんだ。使用人もいないし、この屋敷は広いからね。」


 急に後ろから声がした。間違いない弦の声、私は咄嗟に距離をとり振り向き警戒態勢をとる。


 「侵入者が来たのは知っていた。一人しか感知はしていないが、まさか本当に一人で来たのか?」


 辺りをきょろきょろと見回しながら弦は尋ねる。


 「あ、あんたに警告にきたのよ!もうお終い、レンが、レンたちがあんたを始末しに大勢の仲間とやってくるわ!妹として忠告にきたのよ!全ての罪を認め自首なさい!!」

 「レン……?境野レンか?奴がここを特定したというのか?仁とは別の意味で危険な男だとは思っていたが、よもやこんなことをするとは。」


 弦は困ったなと顎に手を当てる。そんな姿を見たのは久しぶりだった。いつも余裕な態度をとっていた弦が、初めて見せる困惑の姿。


 「そういえば、お前は確かレンの恋人だと言っていたな?」

 「ふぇっ!!?」


 頭の中が一瞬真っ白になったが、思い出した。弦主催のパーティーにレンを参加させるために、恋人だと説明したのだった。確かにレンからは熱烈で変態的な性的アピールを日々受けており、それにまんざらではないとも思っているので実質恋人と言っても良いのだが、思えば私は彼の求愛にはっきりと答えていなかった。とはいえ、改めて他人の口から、ましてや兄の口からそういったことを言われると、照れて恥ずかしくなる。


 「……なるほど?奴に人の心があるとは思えないが、そこに賭けてみる価値はあるか。」


 弦は意味深なことを口走る。そしてアタッチメントを展開した。コトネがその意味を理解するには、あまりにも時間がなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る