黒き幕引き、確信の瞬間

 「は、早く逃げましょう……境野さんは急いで来ると思いますけど……念のため……。」

 高橋を拘束している縄を夢野は持っていたナイフで切る。使い慣れていないのか、それとも単純に力が弱いのか、ぎこちない手付きだったが何とか全ての拘束が解けた。

 床に転がり悲鳴を上げる凜花を見る。マトモに催涙スプレーを喰らったのだ。しばらくは動けないだろう。好意を受けるのは悪い気分ではないが、行き過ぎた行動は不快でしかない。同情の余地がない行為。世の中にはこんな人間がいるのだなと改めて思い知らされる。


 夢野から連絡があった。メッセージの内容は簡潔で

 『高橋様が襲われてます。場所は~~』

 別れてからすぐのことだった。夢野はひどく高橋とコトネのことを心配していたのだ。そして俺にこう伝えた。

 「襲ってくる敵が危険なのはどちらかというと伊集院さんの方なので任せます。」

 正直、よくわからなかった。未来予知できっと伊集院も襲われた未来を見たのだろうが……どちらかというと、という言葉が気になった。今になって分かる。夢野は高橋もコトネも両方襲われる未来を見ていたのだ。だからより危険なコトネを俺に任せた。だが結果として、襲われたのは高橋だった。急がなくては。間に合わなくなっては意味がない。俺はコトネを抱えて夢野が指示した場所へと走り出した。コトネは何事かと驚いていたが、これが一番早く、かつ夢野との約束も守れるからだ。

 「高橋、大丈夫か!?」

 ドタバタと物音がする。境野もやってきた。

 「おせぇよ境野、夢野が全部やっちまった。」

 無事であることを示すために高橋は笑顔を向ける。そんな姿を見て俺は胸を撫で下ろした。

 「アドベンターの力を得ているなら、釘が刺さってるはず……苦しんでいるところ悪いが抜かせてもらうぞ。」

 倒れている少女、凜花に近寄る。だが突然、こちらを向いて俺の手を掴む。あまりにも速い動きに俺は反応が遅れた。

 「はは……あはははははは……掴んだ!つかんだつかんだ!!害虫の身体!!やっぱり最初から!!!こうすれば良かったのよ!!!!!!!!」

 高橋の悲鳴が聞こえる。能力の発動、触れた者の精神を蝕み、記憶操作、催眠能力。条件を満たしたそれは容赦なく境野を襲う……はずだった。

 「ん?額にあるのか、大丈夫なのかなこれ、あの時みたいに灰になったりしないよね?」

 「……は?」

 凜花の能力に対して意も介さず境野は額に手を近づける。それがたまらなく恐ろしくて、思わず掴んだ手を離して距離をとった。

 凜花という少女は怯えた様子でこちらを見ていた。本当に高橋を襲った犯人なのか?そう思うくらいに。部屋を見渡すと、普通の部屋だった。女子の部屋なんて見たことはないが。きっと、こんな感じなんだろうと思えるくらい、それは極々普通の部屋だった。だが、釘が刺さっているという事実。これは確かなことだ。早くそれを抜かなくてはならない。

 「諦めろ。お前は知らないかもしれないが、剣っていう仲間も向かってきている。別に危害を加えるつもりはないよ。その額に刺さっている釘を引き抜くだけだ。」

 大人しくしていれば傷つけるつもりはない。そう諭したつもりだったのだが凜花は聞く耳を持たなかった。むしろ警戒心を強め、臨戦態勢をとる。充血した目で涙と鼻水を垂らしながら。夢野が一人で彼女に何をしたのかはそれで察した。恐らく防犯グッズの類を使用したのだろう。

 「はっ!!」

 突然腹部に衝撃が入る。掌打だった。打たれたその時まで気が付かなかった。だがそこまでだった。ダメージはまるでない。俺は打たれたまま凜花を捕まえようとするが距離をとられ躱される。そんなやりとりがしばらく続いた。

 「……は、はは……能力が効かなくたって……こうしていればいつかは倒れるでしょう?どういうアタッチメントなのか知らないけど、能力無効化だったのならとんだ計算違いね。」

 凜花は落ち着きを取り戻し、自身の有利を確信した。確かに捕まえられない以上、ジリ貧ではある。勿論無理やり倒す手段はあるが、彼女は悪意ある何者かに接触している可能性が高い。話を聞きたいのだ。それに……やはり同じ学校の生徒を傷つけるのは抵抗を感じる。だから俺は、まだ使っていない能力を試すことにした。

 「久しぶりだし、人に使ったことはないから上手くいくか分からないが……。」

 俺の言葉に凜花は疑いを持つ。何かをしてくる。防御の構えをとる。何があっても対応できるように。だがその攻撃は突然で、対応できるようなものではなかった。

 「ゴボッッ!!?」

 突然、水中に沈んだ。いや、違う。水の向こうに見える景色や身体の感覚から察するに、自分の頭部周辺に水が発生している。いや違う。これは水ではない。水のような流動性を持つだけで、その本質は……。境野を睨み意識を失う。今ようやく、あの人が境野に手を出さないように言っていた理由が分かった。───こんな化け物、敵う筈がない。

 凜花は倒れた。発生させた水を解除する。もうだいぶ前のように感じる、山の中で色々試した成果の一つ。まさかこんな使い方をするなんて思いもよらなかったが、人を傷つけずに拘束するには便利だ。倒れた凜花に近づいて、今度こそ釘を引っこ抜いた。図書室で襲ってきた二人のように、釘の傷跡がすっと消えていく。

 「すいません遅くなりました。警備中だったもので……もう終わったみたいですね。」

 全てが終わり、剣がやってきた。釘を抜かれ横になっている凜花に視線を移す。

 「彼女が例の?」

 「そうだ、とりあえず気絶させただけだから直に目を覚ますよ。」

 だからしばらく待って欲しい。という意味合いだったのだが、剣は凜花を無理やり引っ叩き、目を覚まさせる。おいそれはやりすぎ……と止めるが、剣は俺たちの声など無視して凜花の覚醒を促した。しばらくして凜花は目を覚ます。

 「目を覚ましましたか。単刀直入に聞きます。貴方にこの釘を渡したのは誰ですか。その人間は邪悪な存在です。早く対処しないと、貴方の命が危ない。」

 焦った様子で剣は凜花に問い詰める。だが凜花は「あ……う……。」とまだ意識が混濁している様子で上手く話せないようだった。

 「早く!!死にたいのか!!!!」

 珍しく剣は怒鳴った。その剣幕に凜花はビクリとし正気を取り戻す。

 「わ、わたしに釘を渡したのは……ゴボッ……えっ……なにこれ……?」

 凜花は突然口から血を吹き出す。そして苦しみだした。酷く咳き込み、血を吐き出し続ける。

 「ゴボッ……あ……ッ!ゴボッ……!あぐっ……。」

 そして倒れ込む。彼女の身体は動かなくなった。明らかに異常な死に方だった。まるで口封じをされたような、そんな露骨な死に方。剣は拳を握りしめ床を叩く。遅すぎた。そう一言だけ呟き、肩を震わせていた。

 「すいません、取り乱しました。彼女の処理は私たちがしておきます。不幸な事故として処理されるでしょう。皆様はここから早く離れてください。」

 しばらくして平静さを取り戻した剣は後処理をするということで俺たちを部屋から追い出した。何が起こったのかまだ頭の中で整理しきれていない俺たちは言われるがままに外に出る。

 「なぁ境野……あいつ……凜花はさ……許せないことをしたのは分かるけど、いざこうして死んでしまうと……なんていうか、酷いことを言ってしまったって、もっと別の言葉をかけるべきだったって思うのは変なのかな?」

 高橋は落ち込んだ様子で俺を見つめる。高橋は凜花に対して色々とされた被害者だ。きっと俺たちの知らないところで、ひどい言葉をかけてしまったのだろう。そしてそれを今更ながら後悔しているのだ。

 「変じゃないさ。誰だってあんな姿を見たら同情的になる。でも、高橋がしたことも決して間違いじゃない。だって、酷い目にあったのは高橋も同じなんだから。許せないのは、そんな風に人の命を弄んだ黒幕だよ。」

 そう言うと高橋は少し気が楽になったのか、張り詰めていた表情が和らいだ気がした。後味の悪い思いをしながら俺たちは今度こそ、各々の帰路につく。少なくともこれで、しばらくは悪意ある何者かは襲ってこないだろうと、安心であると、根拠のない言い訳をして。

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