学内の異変、深淵に潜むものたち

 俺は立ち上がり、その手を払おうと手を伸ばす。

 「刻印はそこにあり、あぁ我らの神よ。答えは得た。」

 背後から声がして振り返る。男が立っていた。男の胸からは血が滴っていた。心臓に釘が刺さっている。

 「淵、淵は王として……一つの星として降り立った。」

 男の足元に黒い孔が広がる。孔からは無数の蟲が湧き出した。これはバッタ……?いや、奴のアタッチメントだろう。虫のようなものを出すアタッチメントは既に知っている。俺は手を振り払い虫全てを叩き落とした。だがバッタの群れは俺だけでなく、夢野やコトネにまで向かっていく。俺はあの時の炎をまたイメージする。飛翔する厄災だけを燃やす炎───燃やし尽くす炎。それは熱く燃え移らない炎、ただ虫だけを燃やし尽くす。

 「寵愛はそこにあるというのに、何故抵抗するのだ?」

 手が急にガラスを貫通して伸びてくる。これは無数の手、まるで触手のようだ。あの時こちらをじっと見つめていた女生徒だ。だがそれは俺を素通りし、コトネへと伸びていった。

 「コトネ!狙いはお前だ!」

 俺が叫んだ瞬間、コトネの身体は分解された。いや、あれは血液で作られた分身。本物はドアの死角へと既に移動しており、そのまま血液を操作し女生徒を拘束していた。女生徒は無理やり拘束を引き剥がそうとして髪が乱れ、隠れていた左目が映る。そこには釘が打ち込まれていた。

 「ぬ、抜いてください!それを!!」

 夢野の叫びに呼応し、女生徒の左目に手を突っ込む。瞬間激痛が走り悲鳴を漏らす。何だこれは、まるで肉体が拒絶しているような……だが、俺は夢野を信じ、思い切りその釘を引き抜いた。女生徒はそのまま倒れ込む。

 「何故だ……何故だ……まだ許されているはずだ。この者たちを苦しめる許可を。災いを降らす星はなったのではないか。」

 男は戸惑い頭を抱え錯乱していた。だが無抵抗だった。俺は胸の釘を引き抜くと、同じようにスイッチが切れたように倒れた。

 「なんなんだこいつら……亡霊……?」

 俺は男の身体を調べる。どこにもタトゥーのようなものは見当たらない。

 「こっちもないわ……でも生徒手帳はあった。三年生、先輩ね。受験勉強で頭がおかしくなったのかしら。」

 受験戦争とはこうも人をおかしくするのか……。まぁそんなわけはなく、この釘に見覚えはあった。剣の言う悪意ある何者……あの時、星空の夜……流星群の亡霊に刺さっていたものと同じものだ。彼らは明確に夢野やコトネを狙っていた。何故だ?俺と違い、彼女たちはただの……一般人の筈だ。記憶のない、訳の分からない力に振り回されている俺とは違う。二人を見る。驚いた様子ではあったが怯えている様子はない。

 「そうだ、高橋は大丈夫なのか!?」

 一人別行動をしている高橋が気になった。根拠はないが俺の周りの人たちが狙われたのなら高橋もその対象となりうる。急いで探さなくては。

 「大丈夫みたいよ、ほらメッセージ。」

 コトネがスマホを俺に見せつける。そこには無事を確認するメッセージがあった。

 「よかった……ってお前たちいつの間に連絡先交換してたのか?」

 「……?当たり前じゃない、一体どのくらい一緒に行動してたと思ってるの?」

 いや、俺は全員の連絡先を知らないんだが……女同士……だからか……?何か疎外感を感じて寂しい。

 「……?あ、確かにあんたの連絡先知らないわね、私たち……どうしてかしら?私はともかく夢野なんて私よりも先に交換してそうなのに……なるほど。」

 ニヤリと笑ってコトネが俺に詰め寄ってきた。

 「私とこうして話をするようになる前から、目をつけていて女子で一番最初の交換相手にしようと今まで我慢してたのね!ふ、ふふ……中々ロマンチストじゃない……いいわ、その殊勝な心がけに免じて私の連絡先を教えてあげようじゃない。」

 リサと軽井沢の連絡先が入っているのは黙っておこう。多分こじれるだろう。コトネと夢野の連絡先を交換した。

 「というかグループみたいなのはないのか?」

 「一応あるけど駄目よ、女子会に混ざって何をする気なの?」

 ご尤もだ。なら新しく6班グループを作ろうという話になり、高橋も誘った。磯上や剣にも後で教えてもらおう。しかし何だろうこのもやもやとした気分、言いようもない不安……。

 「その釘はどうするの?剣関連……よね多分。」

 俺は握っていた二本の釘を見つめる。確かにあの時と同じものだ。確かに剣はこれが専門なら話すべきだろう。しかしもうこんな時間、剣に会うのは明日以降になるのは明らかだ。

 「とりあえず、救急車かな?この人たちをどうにかしないと……。」

 二人を担いで、図書室の外へ出ると丁度、渡り廊下を走る高橋がいた。俺と目が合うと、駆け寄ってくる。

 「あれ高橋、後輩との話はもう良いのか?」

 「ああ、まぁ特に大事な話でもないからな、陸上に戻らないかってそんな話。でもしばらくは、少なくとも境野の一件が終わるまでは戻るつもりはねぇよ。それより……誰だそいつら?」

 高橋は俺が担いでいる二人の生徒を不思議そうに見ている。俺が事情を説明すると当然のことながら高橋は驚く。敵は学内にもいるということなのだから。いや、仁さんの話だと元々学内に亡霊はいたようだが、直接襲ってきたのは始めてだからだ。救急車が来るまでまだ時間がある。

 「そうだ高橋、連絡先教えてくれないか?」

 「えっ!!?い、いきなりどうしたんだよ境野……。そんなこと言われても……。」

 しどろもどろな態度を見せながらもポケットからスマホを取り出す。しばらく画面を操作して、ようやくグループに招待されていることに気が付いたようだ。後ろでコトネが失笑する。

 「あ、あーそういう……やつね?ほら、これでいいだろ!ちゃんと登録してるか見せろよ。」

 ぐいっと顔を近づけて俺のスマホを覗き見ようとしてきたのでホーム画面に瞬時に戻した。危ない危ない。

 「なんで隠すんだよ、いいじゃねぇか。」

 高橋は不満げに俺を見つめるが、メッセージアプリの更新順は確か高橋、6班グループ、夢野、コトネ、そして軽井沢となっているはずだ。つまり普通に軽井沢とやりとりをしているのが分かる。隠し事は極力避けたいが、今、軽井沢に無理やりとはいえ連絡をとっている関係と思われるのは────。スマホが突然振動する。マナーモードになっているからだ。これは着信の振動。俺は冷や汗をかく。こんなことする奴は一人しか思いつかないからだ。

 「ちょっと着信が来てるけどいいの?私たちのことなら気にしなくてもいいけど。」

 「そうだな、早く出てやれよ。」

 「境野さん……ご、ごめんなさい……。」

 夢野の未来予知は便利だがどうしようもないこともあるのだと本当に実感する。俺は観念して通話に出た。

 「こらぁぁぁぁぁぁ!!駄目っすよぉぉぉ!!!女の子からの着信を三秒以上待たせるなんてルール違反っすよぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 滅茶苦茶な大声で軽井沢が叫んだ。高橋とコトネが何事かと俺の方へと視線を向ける。夢野は申し訳無さそうに頭を下げていた。

 「軽井沢か今の声……!?」

 はい、そのとおりです……。俺は観念しどうすれば良いのか言い訳を考えるしか無かった。

 「今忙しいから話すことがあるなら明日にしてくれないか。」

 「何いってんすか?毎日寝落ち通話するのがノルマじゃないすか?」

 そんなことしたくないし、寝る時は普通に寝たいのだ。無理やり通話を切っても再度かけてくる。仕方ないので一度スマホの電源を落とした。

 「……。いや、無理やり連絡先を交換させられてそのまま何故か向こうから絡んでくるんだ。」

 仕方なしに正直に話すが、やはり呆れた目で見られてるには変わりない。よりにもよって亡霊となった者と交流を持ち続けるなんてどうかしている。それは今まで出会った亡霊の関係者を見れば分かることだった。危険極まりないということに。

 「……まぁ、元々同じクラスメイトだし無碍にするのは難しいかな、あたしも同じ立場だと断りづらくはあるか……。でも深入りはやめといた方がいいと思うぜ、亡霊なら、いずれ命を狙ってくるんだろ?」

 その時、果たして俺は軽井沢に対して抵抗が出来るか、命をみすみす奪われないようにすることができるか。高橋はただその点が心配だった。……もちろん打算的な考えも無きにはあらずだが。

 「そうだな……線引きはする。距離はちゃんと置くことにするよ。」

 正直な話、軽井沢に目的は無いのだろう。単純に暇で仕方ないのではないだろうか。

 「……い、いや消しなさいよ。消しなさいよ、それは。」

 コトネは納得がいかない様子で、肩を震わせて俺のスマホを指差す。やはりコトネにとっては実の兄が亡霊だったということもあって受け入れられないものなのだろうか……。

 「無理やりされたからってノーカンのつもりなの……!?私が一番じゃないとおかしいじゃない!!」

 いや、そこは気にしてないから大丈夫なのだ、そう言って取り乱すコトネをなだめた。

 


 ───和気藹々と談笑する彼らの姿を遠くで、校舎の窓から見つめているものがいた。高橋と先程まで話をしていた女生徒、陸原凜花おかはらりんかである。彼女は先程の高橋との会話を思い出していた。

 「今はやることがあるから、陸上に戻る気はねぇよ。悪いな。」

 高橋先輩のことは中学の頃から知っていた。気丈で凛としていて、それでいて先輩の立場だからといって鼻にかけず後輩にも優しくて、孤高で……尊敬していた。だから、これだけ私が陸上にも戻るよう懇願しているのに、頑なに断るのは、きっとそれは、とても大切な用事があるのだろうと。諦めたくはなかったが、そんな先輩もまた素敵だと思っていた。だが……。

 「あれは……なに……?」

 先輩は図書室へと駆け出していた。見たこともない表情だった。その先に男がいたのに気づいた。男と話しているときの先輩はとても嬉しそうだった。ああ、先輩は……あの男を見つけて一目散に駆け出したんだな。媚びた顔だ、男にすり寄り距離が近い。あれはなんだ、あれではまるで……まるでクラスによくいる恋愛脳の雌豚と同じではないか。でも私は知っている。きっと先輩は悪くない、全部あの男が原因だって、理解している。

 「駄目だよ、あの男に手を出したら、きっと君は高橋さんに一生嫌われちゃうよ。」

 その言葉を思い出した。そうだ、そのとおりなんだ。残念ながらそれは事実。それに、あの男がいなくなっても、また他の男に先輩は騙される可能性がある。だから、先輩を変えてあげないと駄目なんだ、先輩のために。

 私は渡された釘のようなものを見つめる。「雑だった───。」先程の……誰だったっけ?誰かがそう言っていた。やるならきちんとした信念を持っている相手じゃないと駄目だって、だから、どうしても限界が、どうしても許せなくなったとき、強い心を持って、強い理性と静かな情熱をもってこれを突き刺すと良いと教えてくれた。胡散臭い話だと言うのに、それが私には、神の啓示に聞こえたんだ。私はその釘を、自らに突き刺す。深く深く。鈍い痛みも無視して、身体の一部になるように。


 そうして新しい世界が、扉が開かれたんだ。

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