分岐点、求められていた答えは

 もうすっかり夜遅くなってしまった。だがこのくらい遅いなら存分に能力を駆使して移動できる。夜の街を一瞬にして抜けて、数分で自宅前まで辿り着いた。能力って本当に素晴らしい。

 「ただいまー……。」

 家の明かりはついていたが、何となく静かにこっそりとドアを開けた。遅くなったことへの罪悪感だ。

 「おかえりなさい、ご飯はできてるわよ。」

 母さんが出迎えてくれた。食事をすると伝えたはずなのに。

 「あの……メッセージ呼んでなかった?外食するって。」

 「呼んだわ、でも折角作ったんだから食べてよ。余ると大変なんだから。大丈夫、量は少なめだから。」

 見ると、確かに夕飯というより、ちょっとした夜食のようなものだった。まぁ確かにこの程度なら行けるか。折角作ってくれたご飯を残すのも悪いし、突然外食することになった俺に非がある。快く夜食を完食し、部屋に戻った。

 「部屋間違えてるぞ。」

 自室のベッドでサキがパジャマ姿で寝転がっていた。

 「えーやだよ、ここで寝るー。」

 寝ぼけてるのか、サキは俺の布団にしがみついている。無理やり引っ張り出すと布団が滅茶苦茶になりそうだ。

 「じゃあ俺はお前の部屋で寝るから。」

 電気を消して部屋から立ち去ろうとすると思い切り服を引っ張られた。

 「ちょ、ちょっとお兄ちゃん、そこはもうちょっと粘るところじゃないの!?」

 流石に自分の部屋に兄が押し入りあまつさえベッドを占有されるのには抵抗があるのか、焦った様子だった。

 「もう夜も遅いから、俺も眠いんだよ……。早く寝させてくれ。」

 「誰と一緒にいたの?そんな夜遅くなるまで。」

 「軽井沢っていう元同級生だよ。もう転校したけどな。」

 そう言うとサキは手に刃物を持っていた。それは暗い室内の僅かな光に反射して、鋭く光っている。

 「ふーん、また別の女の人とデートしたんだ。この間とはまた別の人だよね?私には何もしないのに……。」

 それはナイフだった。刃渡り12cmほどの。ゆらゆらと揺れるサキはまるで幽鬼のようだ。

 「お兄ちゃん……動いちゃだめだよ?確実に決めたいから。」

 そもそも動く余裕すらなく、サキは機敏な動きで迷いなく、俺の腕を斬り落とすようにナイフを振り回した。だがそのナイフは腕で止まる。そしてナイフから血のような赤い液体が出てきた。

 「どう、これ!手品道具で面白そうだったから買ったの!びっくりした?」

 いつもの笑顔に戻ったサキは自慢気にナイフを見せつけている。

 「あ、あぁ……迫真すぎて冷や汗が出たよ……次から手品の練習するときは事前に言ってほしいかな……。」

 はーいと言ってサキは部屋を出ていった。俺は寝間着に着替えてサキのいたベッドに潜り込む。少し生暖かい……。そして俺は沈むように眠った。


 軽井沢が転校するという話から一日経ち、クラスの話題はもう別のものになっていた。新しいクラスの仲間……その話題の方が皆、関心が高い。そんなこと考えていると突然スマホにメッセージが来た。

 『暇っす〜構ってくんないすか〜通話通話〜』

 軽井沢からだった。俺は焦りながら返信した。

 『何で俺の連絡先を知っているんだ。』

 『昨日、買い物したときにこっそり交換しといたんすよ〜』

 溜め息をつく。いつの間にそんなことを……。だが同時に何故か安心感もあった。亡霊は敵で、倒さなくてはならないというのに、彼女が変わらずにいたということが何よりも嬉しかった。

 『学業で忙しいから今は無理だ。』

 両手を合わせて涙目のスタンプが三つくらい飛んできた。駄目なのは駄目なのだ。

 「キミ、何してるの?それ……詩ちゃん?いつの間にそんな仲良かったんだ……。」

 驚き振り向くとそこにはリサがいた。今の会話を見られていたのか。あぁクソっ、今気づいたんだが軽井沢詩って思いっきりメッセージウィンドウに書いてある。

 「転校する前に連絡先を交換したんだ。」

 「へぇ、抜け目ないんだね。キミには意外だって思わせることばかり。」

 しまった。確かに今の言い方だと、俺が転校する軽井沢に声をかけて交換したとしかとれない。軟派な男だと思われても仕方ないではないか。

 「まぁそれより、見てほら。ようやく取れたの!」

 リサが机に一枚のプリントを置いた。再審査申請書と書かれている。内容を読むと、レベルの再審査を要求するもののようだ。

 「キミ、この間の試験で十分な実績もあるから、申請は簡単に通ると思うんだ。」

 リサは俺が1レベルなことをずっと気にかけていたらしく、総合試験、対抗戦の成果から満を持して学校に抗議したという。今度は間違いのないように正確な数値を出させて適切な班に所属させることも約束させたとか。

 「ほら、早く書いて、キミがサインするだけで済むようにしてあげたから。ここまでしてあげるのは本当に特別なんだよ?」

 リサは上機嫌そうな表情で俺にペンを渡してサインをせがむ。だが俺は……どうしてもそれにサインをする気がわかなかった。リサがこれまで手を尽くしてくれたのは分かるし、申し訳ない気持ちで一杯だというのに。何故かサインをする気が起きないのだ。

 「ごめん、お膳立てしてくれて嬉しいんだけど、別に良いよ。」


 「なんで?」


 それは明確な怒りの現れだった。教室が一瞬静まった気がする。だが彼女の怒りはもっともだろう。今まで積み重ねてきて、さぁこれでおしまいといったところで、根本から覆されたのだ。

 「リサ……俺のことを気にかけてくれたのは本当に嬉しいよ。本当さ。だけど俺は別に今の境遇に不満はないし、6班の皆が気に入っているんだ。だからさ……こうして無理する必要なんてないんだ。」

 俺の言葉をリサは顔を俯かせたまま聞いていた。やがて顔を上げて俺の机の上に置いたプリントをとる。

 「……レベルっていうのは社会的地位にも関係するの。いくらキミが努力を重ねても、大多数の人はキミを評価しないよ?」

 それはまるで忠告……いや最後通告のようだった。まだ引き返せるという、リサの必死な思いも感じられた。だがそれでも、俺は首を横に振る。サインはしない。

 「知らない、ばか。」

 不機嫌そうにリサは俺の席から離れていき、プリントをゴミ箱に捨てて不貞腐れたように自席に座った。胸がズキズキと痛む。きっとこれは罪悪感だろう。俺のために手を尽くしてくれた彼女を裏切ったことへの。

 橋下先生がやってきた。授業が始まる。新しいクラスは明日からなので、移動するものは準備をしておけとのことだった。移動するのは俺の顔馴染みだと鬼龍だけだが、対抗戦で少しだけ一緒に戦っただけだが、彼がいなくなるのは、寂しく感じた。

 軽井沢のことも含めて今後のことについて話をしなくてはならない。亡霊の脅威はなくなったのかもしれないが、事態は解決していないのだ。つまり俺が亡霊に狙われているという事実。放課後、そのことについて話をしようとすると、高橋が女子に呼ばれた。あのリボンの色は下級生だ。一体何の用事なのだろうか。高橋はこちらに戻ってくる。

 「悪い、ちょっと急用ができた。あいつ中学ん時の後輩何だけどよ、また陸上に戻らないのかってしつこくてよ。」

 そう言って高橋はカバンを持って後輩のもとへと行った。

 「ふーん、あいつ元陸上部だったんだ。アタッチメントは性格が出るっていうけど、脚力に関係してるのもその辺なのかしら。」

 コトネはそう呟きながら夢野の方をチラチラ見ていた。

 「ど、どうかしたんですか伊集院さん……?」

 「ほ、ほら!あんたから夢野に何か言いなさいよ!」

 俺に視線を移してコトネは何かを急かすように合図する。

 「え、何を……?」

 「分からないの……?意中の女の子と二人きりになるチャンスなのに、一緒にいられると困るって……!ふ、ふふ……そういうことなの夢野……残念だけど今日は」

 「無限谷や二階堂を誘う空気じゃないし、二班との勉強会は今度にして俺たちでやるか、一応磯上と剣にも声をかけにいくよ。」

 磯上も剣も予想通りというか勉強会は断った。二人とも用事があるらしい。まぁ磯上に関しては飲食店にテスト休みなんて無いだろうし剣は……あんなのと戦っていて大変なんだろうな。

 「やっぱり駄目だった。三人だし学校の図書室にしようか。」

 「な、な、なるほど?あ、あくまで焦らすわけね!?い、いいわあんたの変態趣味はもう理解しているもの!」

 一人別世界に突入しているコトネを生暖かい目で見守り図書室へと向かう。

 学校の図書室は図書室というより図書館と言ってもいいほど規模の大きいものだ。慣例的に皆、図書室と呼んでいる。元々、学長がそういうものに熱心で趣味も兼ねているものだとか。校舎から渡り廊下を渡ると別の建物が見える。この建物が通称図書室。どう見ても図書館だが図書室なのだ。地下二階と四階建ての建物となっており、地下は蔵書室となっている。一階から四階まで吹き抜けとなっており外観以上に中の広さを感じて、開放感が凄い。

 「図書室の利用って何時までだっけ?」

 「た、確か18時までです……でもテスト期間中は部活同様20時まで開館してるらしいですよ……。図書委員の人もこの時だけは事務員の人が代わりにしてくれるみたいです……。」

 何ともありがたい話だ。受付で個室利用の受付をする。当然のことながらテスト期間は個室利用率が高いのだが、今日は奇跡的に空きがあるようだ。普通に机で勉強しても良いのだが、やはり個室の方が落ち着くというものだ。それに図書室は原則飲食コーナー以外、飲食禁止だが、個室は飲食コーナーに含まれているので、その優位性は極めて高い。

 「ゆ、夢だったんですよね……こうしてみんなで勉強するの……。」

 「なんてしょうもない夢なの……ぼっちは大変なのね……。」

 感無量といった様子で教科書を広げる夢野にコトネは茶々を入れる。

 「でもコトネもぼっちだったじゃないか。」

 「は、はぁぁ?私はぼっちにならざるをえなかっただけだから!別にやろうと思ったらぼっちじゃないし、その証拠に今はあんたたちと一緒にいるじゃない!」

 確かにそのとおりだ。俺たちは普通なら絡むことなどなく、きっと一度も会話せずに卒業していっただろう。少なくともかつての俺はそうだったから。この奇妙な世界で、奇妙な縁により出来上がってしまった関係は……大切にしていくべきなのだろう。

 「なぁ……夢野、コトネ……。」

 改めて、今後もよろしく頼む───そう言いかけた瞬間、ドアガラスにいた奇妙な存在に気が付いた。それは女生徒のようでこちらをじっと見つめている。たまたま?そんなことがあるのだろうか。遠くの本棚で目玉が動いている。あぁ、そうか。何故奇妙なのか分かった。だってそれは遠く離れている筈なのに、なぜだかその手は、ガラスに貼り付いて、まるでこちらの会話を盗み聞きしているようなのだから。

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