静かな教室、空虚の時

 「いや、なにしてんのお前。」

 珍しく弦が来て欲しいと懇願するものだから、磯上は仕方なく弦の隠れ家へと足を運んだ。すると驚いたことに、そこには軽井沢がいたのだ。喉には恩恵の烙印がある。俺の姿を見た軽井沢も驚いたのか言葉を失っている。

 「いや、本当に何をしてるんだろうな?彼女は元ワイルドハントなのだが、からかったらまさか本当に裏切るとは。」

 弦は心底参ったという表情でコーヒーの焙煎を始める。彼なりの精神統一ルーティーンである。

 「殺すか。」

 磯上は能力を発動しようとする。いつもの磯上とまったく違う気配に軽井沢は敏感に気づく。それはまさしく亡霊の頭領、いまから禍々しいことが行われるのは一目瞭然。

 「い、磯上っち!あーしらクラスメイトじゃないっすか!そ、そんなことしないで欲しいっすよ!!」

 「嘘だね、お前今の今まで俺のこと、何の感情も抱いていなかったろ?」

 完全に見透かされた言葉に冷や汗が流れる。非常にまずい空気だ。

 「待ち給え。私が君の前に彼女を連れてきたのは、君に処刑してもらうためではない。報告をしたかったのだ。厄介だが新たな仲間が出来たと。」

 コーヒー豆を弄りながら弦は磯上を止めようとする。

 「仲間?まさか宝塚の代わりだと言いたいのか?弦、言葉を慎めよ。失った人の代わりなんて誰にも出来ないし、仲間というのはそんな軽率に務まるものではない。」

 磯上の邪悪な殺意は軽井沢から一転し、弦に移った。返答次第では今にも殺す。そんな気迫すら感じた。

 「いや、現実的な話だよ。彼女を始末するのは容易だ。そもそもこんなの我々に必要ない。あぁそのことについては深く同意するよ。だが、彼女をここで始末するのは悪手だ。単刀直入に言おう。彼女を殺すと仁が動く。」

 その言葉に磯上はガタリと音をたてて立ち上がった。

 「何を言っているんだ、仁はナイが殺しただろう。命を賭して。」

 ナイ神父による命がけの計略。これによりようやくあの怪物、境野仁を殺すことが出来たのだ。だというのに仁が動いている?どんな悪い冗談だ。

 「……これは隠していたんだがね。仁は我々と同じく、魂を操作する技術を持っている。奴は罠を張っているのだ、我々亡霊が網にかかるのをただひたすら。そしてここで、この女を殺すと間違いなくこの女の魂から逆算し、我々を探り当て、何らかの方法であのときいた仲間……"ジョーカー"に伝えるだろう。厄介なのだ。よもや我々のエンゲージリングを、こんな弱く、脆く、無能な女が適合してしまったのだから。」

 弦の真剣な物言いに磯上は黙り込む。仁は我々と同じ技術を有している。それは知っている。だが我々なら例え死しても仁の罠にかかる前に、魂を破壊するだろう。だが……軽井沢を見る。媚びた笑みを浮かべていた。磯上は大きなため息をついた。

 「弦……俺は宝塚の仇を探すのに、忙しいのに、余計な悩みの種を増やさないでくれ。言いたいことは分かった。ジョーカーを探し当てるまでは、その女は殺すに殺せないということだな?」

 弦は黙って頷く。それを見て磯上は諦めたようにコーヒーカップを棚から取り出した。

 「何か急に弦のコーヒーが飲みたくなったよ。淹れてくれないか。」

 「勿論、我らが頭領の頼みとあっては喜んで、承ろう。」

 磯上と弦は席につき、コーヒーを飲んだ。苦味の奥に旨味があり、そしてほんのり甘い。軽井沢はそんな二人の様子を見ておろおろとしている。

 「軽井沢、亡霊は人の目についてはいけない。今日からチョーカーか何かつけて首の烙印を隠せ。お前は弱いんだから、亡霊とバレたら何をされるか分からないぞ。知ってのとおり、恨みを持っているのは山ほどいるのだから。」

 軽井沢の身体に弦の血糸が巻き付く。

 「彼が言ったとおりだ。もし今の命令を破るようならその手足を斬る。」

 それは脅しでも何でもない、ただの事務連絡のような口調で淡々と語られた。軽井沢は部屋を追い出され一人、隠れ家の別室に向かう。

 「それとカルマが死んだ。残念な話だ。」

 磯上の手が止まる。

 「誰にやられたんだ?」

 「ワイルドハントだ。私が助力した上での相討ちだった。あぁ心配はいらない。ワイルドハントはもう全滅したよ。」

 「あの偽物の力にカルマがやられるわけがない。」

 「そのとおりだ。ここからが本題だ。カルマを殺した男……名を確かシンカと言ったか。彼には何か別の力がかかっていた。それは、我々の恩恵と似て非なる者。」

 弦は見ていた。あの禍々しい剣の力の源を。それは怨嗟、気迫の類では説明しきれないほどの神秘的……超常的なもの。端的に言うならば、まるであの時、シンカには何かが取り付いていた。

 「俺たちの知らない敵がいるということか?」

 弦は沈黙する。それは肯定と捉えられる。宝塚の身に起きた出来事と関係性があるのならば、その黒幕は確実に我々を、間接的に手引きし、戦力を削ぎに来ているということだ。

 「いずれにせよ、ワイルドハントは壊滅した。私も本腰を入れて宝塚殺害の真犯人を探そうではないか。」

 弦は自分で淹れたコーヒーを飲み干した。あぁ済まない同志、頭領よ。実は一つ、私は君に隠し事をしている。境野連、稀代の大嘘憑き、計画のイレギュラー。君は彼を友人と呼んでいるが、彼は果たしてどう思っているのかな。あのような底の知れない不気味な相手を友人と呼ぶなんて、私には到底できない。私の糸を燃やしたあの炎、あれはこの世界のものではないのだから。云うならば世界を燃やす原理の炎、狂わす原初の罪、絶望の大火。触れたからこそ分かる、あれは冒涜的で背徳的で悪辣的な罪そのもの。そんなものを平気で……正気で使う彼を、私は同じ人間としては見たくなかった。故に磯上に私のその所見を伝えない。彼にとってはそれでも大切な友人なのだから。だが気をつけるが良い。その友人は、君の思っている以上に、闇が深く、隠し事の多い人物であると───。


 裏切り者の末路はどれも酷いものだ。それが、実力を伴っていないのならばなおさら。だが彼女の目は決して曇っていない。むしろ生き生きとしていた。

 「ジョーカー……?亡霊の目的に何か関係してる予感がするっすね……。」

 とは言え今日から学生では無くなった。自宅にはもう帰してくれないだろうし、新しい服とかを買わなくては。それと……。

 「境野っち……。」

 一瞬ではあったが、亡霊の中でも上位の実力者である弦とも渡り合っていた。そういえば対抗戦で亡霊を倒したのも彼だ。あれほどの実力者がなぜ6班に?考えられるのは磯上同様、レベルとは関係ない力を持っているワイルドハントのような別組織の人間……。磯上は彼のことを何も思っていないようだが、軽井沢の勘が告げていた。彼のことをもっと知る必要があると。外を見ると、そこは森の中だった。森の中の洋館……まったく捻りのない隠れ家だ。自嘲するように軽井沢は失笑した。


 学校で、いつもどおり教室に来る。きっとこの間のことは悪い夢だったのだろうと。だがそれは容易く崩れる。朝一番に橋下先生から軽井沢の転校が伝えられた。いつもいる筈の者がいなくなった喪失感、そこでようやく自覚する。彼女は本当にいなくなり……あまつさえ亡霊となってしまったことに。

 無限谷や二階堂は亡霊のことを知らない。あの後、軽井沢の身に何が起きたのか。適当に誤魔化したが、こうして転校したという事実が残った以上、あの時のことが原因なのは明白で、無限谷は俺を問い詰める。

 「レニー、何か知っているんだろ?軽井沢ちゃんに何があったんだよ!」

 亡霊のことを伝えて良いのか。俺は思い悩んだ。高橋や夢野は半ば巻き込まれる形で、伊集院は元から間接的に関わっていた。だが無限谷や二階堂は違う。まだ目をそらせば、それで終わるのだ。ナイ、ヴィシャ、サドウ……今まで出会った魔人とも言える者たちを思い出す。彼らのような人間が他にもいることを考えると、とてもではないが伝えられないのだ。

 「それは……。」

 言い淀む俺の態度に無限谷は察したかのように、黙り込む。

 「何か言えない事情があるってことかよ……畜生……。」

 それ以上、無限谷は言及しなかった。彼はあの場にいたからこそ、下手に知っているからこそ分かっているのだ。謎の二人組が死闘を繰り広げ、殺し合いをしたこと、指名手配中の伊集院弦が現れたこと。いくらなんでも材料が多すぎる。只ならぬことが起きているという事態に。だからこそ、自分の無力感に打ちひしがれ、嘆くことしか出来ないのだ。それは二階堂も同じだった。敢えて触れない方が良いものもある。無限谷のように直接的な行動には出なかったが、彼もまたあの異常事態の場にいたのだ。軽井沢には悪いが関わるには危険すぎる。そう考えたのだ。

 「だらしないわね……あんな連中、私たちが出会ったのに比べればマシな方なのに。」

 気を落とす無限谷と二階堂を見てコトネはそう呟いた。

 「足をガクガク震わせて涙と鼻水垂れ流しながら嘆いてた奴がよく言うぜ。」

 その言葉を皮切りに高橋とコトネは取っ組み合いを始めた。

 「で、でも二人には悪いですけど、本当のことは言わないほうが良いと思います……。だってもし亡霊になったのならもう……。」

 夢野の言うとおりだ。下手に希望を持てばその反動はかえって辛いだけだ。俺たちは次に軽井沢と出会った時、覚悟を決めなくてはならないと誓い合うのだった。


 「ただいまー。」

 その後、適当にいつものメンバーで時間を潰し帰宅した。磯上も剣も相変わらず付き合いが悪いがもう慣れた。彼らとは授業のときに親交を深めるとしよう。もっとも剣については……いつか二人きりで話してみたくはあるが。悪意ある何者か……。剣は巻き込みたくはないと言うが、亡霊とはまた別の組織、あんなものが身近にいるだなんて、恐ろしくて仕方ない。

 「おかえり連、ふふ、しかし連も隅に置けないわね。」

 母さんが含みのある笑みを浮かべていた。よく見ると玄関口には見知らぬ靴がある。女物だ。俺を誰かが尋ねてきたのか……?つい先程まで高橋、夢野、コトネとは一緒にいたので除外されるとして……あとあり得るのはリサか?

 「よっすー、境野っち。元気にしてた?」

 リビングにいたのは軽井沢だった。首にチョーカーを巻いていること以外は、あの時の制服姿のままで。俺は気がつくと彼女の胸ぐらを掴み、壁に押し付けていた。

 「ちょ、ちょっと何してるの連!クラスの女子に!!」

 母さんの声を聞いてハッとなり意識が戻る。何故俺は今、軽井沢の胸ぐらを掴んでいるんだ?無意識に……?亡霊への警戒感、あるいは自宅という聖域に踏み入ってきた外敵への防衛本能からか。手を離して「ごめん、ちょっと色々あって……。」と母さんと軽井沢に謝る。

 「よ、容赦ないっすね、ついさっきまで同じクラスだったのに?それにしても若くて綺麗な母親っすね、二児の母とはとても思えないっすよ~」

 「軽井沢、最初に言っておくが家族に手を出すようなら次は本当に容赦しない。」

 「ちょ、ちょっと喧嘩しに来たわけじゃないっすよ!そもそも玄関で待ってたのに、お母さんが家に入れてくれたんす!学校に行かなかった理由は察して欲しいっすよ~」

 俺に用事があったという軽井沢は、ここが嫌ならと外に一緒に来るよう提案をしてきた。無論ここには家族がいる。何をするか分からない亡霊と一緒にいさせるわけには行かない。俺は軽井沢とともに、外へと出た。

 「とりあえず街に行くっすよ、こんなところで立ち話なんてのも不審っすよね?」

 黙って頷き、軽井沢についていった。行き先は……街の中心街、多くの商店が並んでいる。もう夕方だというのに人が多い。逆にこれだけ多いのは好都合だ。亡霊は目立つことを嫌う。ここでなら何も出来ないだろう。俺はそう思いながら、更に商業ビルへと案内された。さて何を話すつもりなのか。俺は緊張感を持って、いつでも戦えるよう神経を研ぎ澄まして、ビルへと入る。

 「どうっすかこれ?中々似合うと思わないっすか~?」

 試着室で軽井沢はくるりと回った。俺は、軽井沢の服選びに付き合わされている。何でだよ。

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