終末の時、沈む太陽

 動画には老人と弦が言い争いをしている様子が映されていた。しばらく言い争いをした後に、老人は無残に弦に殺害される。それも見せつけるように。確実に殺したと見せるように。

 軽井沢の肩は震えていた。それは普段の彼女からは想像できない姿だった。弦はそんな軽井沢の肩を叩いて「プレゼントだ。」と渡す。それは人間の目玉だった。「ひぃっ!」と軽井沢は悲鳴をあげる。

 「念入りに殺したから、それしか残っていないんだ。悪く思わないでくれよ。かくしてワイルドハントの頭領は死に、今、頼りの臥榻シンカも死んだ。だがチャンスをあげよう。ワイルドハントは皆、我々に立ち向かい死んでいった。先程のシンカという男など我々の同胞を倒すという偉業を成し遂げたのだ。であるならば……お前のすることは分かるだろう、私はそれを受け入れよう。」

 弦は上着を脱いで左腕を見せつける。刻印が鈍く輝いていた。それが意味することは一つ。

 「まさかとは思ったけど、あんたは亡霊だったのか……。」

 「そのとおりだ境野くん。今となっては隠す必要もあるまい。もう私は伊集院家の当主ではないからね。そしてこれを見せたのは敬意、一人のワイルドハントを亡霊の一人として倒してあげようという気遣いだ。」

 この場で残党を倒すが、一人のワイルドハントとして敬意を払い倒すと。軽井沢は肩を震わせ、今までのことが脳裏に去来する。ワイルドハントとして迎え要られたこと。自分と同じ目標を掲げた者たちがこれだけいることに心震わせたこと。それはとても大切な思い出だった。ヴォーダンはかつて私が亡霊に全てを奪われ絶望したときに、手を差し伸べてくれた。私に戦い方を教えてくれた。弱き者ではないことを教えてくれた。そのヴォーダンが……今はもうこの目玉だけで……。

 「軽井沢……。」

 肩を震わせる軽井沢の心中は察せるものだった。彼らの関係は分からない。だが、自分の所属していた組織が全滅し、彼女一人となった今、その絶望は計り知れないだろう。

 「ふっ……あは……あはははははははははははは!!!」

 突然軽井沢は壊れたかのように笑い出した。それはまるで狂気が入り混じっているようで。

 「あはははは!!あー……はははッ……はぁはぁ……なんなんすか、やられてるじゃないすか、結局……結局……!何をするか……?そんなこと……分かりきっているじゃないっすか!!!!」

 突然笑い出した軽井沢を見て、少し怪訝な表情を弦は浮かべていたが、その言葉を待っていたと言わんとばかりに、地面に滴る血液が細長い糸となって周囲に展開される。

 「こんなものは……ッ!どうでもいいんすよ!!何でもするから……あーしを亡霊に……忠実な下僕として仲間になるっす!!!!」

 そして軽井沢はヴォーダンの目玉を握りつぶした。

 「軽井沢……?」

 軽井沢の変貌ぶりに誰もが閉口していた。一人を除いて。

 「くっ……くはっ……くはははははははははは!!!何だこいつは!!!仲間を殺されて、惨殺され、命乞いだと?そのくせ殺した相手に対して仲間にしろ?なんと見苦しい、あぁこんなに笑ったのは初めてだ。あまりにも惨めで、道化にも程がある。」

 弦は胸ポケットから何かを取り出した。それは指輪だった。だが普通の指輪ではないのは明白であろう。

 「エンゲージリングの由来をご存知かな?今では婚姻を約束する女性に送るものだが、本来は別の意味である。それは自分の全てを捧げる約束の烙印。かつて古代の神々がその信徒に誓わせた魂の契約、それがエンゲージリングだ。即ち、このリングは亡霊に全てを捧げるという意味合い。」

 そして弦は軽井沢にそれを手渡す。

 「私はそれを貴様の指に通さない。通すのは貴様の意思だ。その指輪に強制力はない、本人の意思をもって効果をなすのだ。貴様が本気で我々の仲間になるというのなら、右手の薬指にはめると良い。酷たらしく生きたいからと適当な言い訳をしたのではなく、それをもって証明するのだ。真実を。」

 軽井沢は震える手で、しかしその表情は口角が歪み、悦んでいるように見えた。

 「やめろ軽井沢!それは駄目だ!それは何かまずい気がする!!」

 俺は指輪の禍々しさを感じ取った。普通の指輪にしか見えないのに、何故かそれはとても恐ろしく感じた。目の前にいる弦よりも。俺は軽井沢を無理やり止めるために走る。だが目の前に血の壁が出来上がった。

 「早くしろ、その男の邪魔を防ぐのは数秒しかできない。指輪をはめるのは一瞬だろう?」

 俺は血の壁を叩き壊した。崩れた先には、右手の薬指に自らの意思で指輪をはめた軽井沢がいた。瞬間嫌な気配が辺りを支配する。何なんだこれは。

 変わっていく。軽井沢の肉体が、魂レベルで全て。何もかもが別のものに塗りつぶされていく。だが不思議と怖くはなかった。全て分かっていたことだから。指輪はやがて自分の指の中に埋まっていった。それは永遠に外されないエンゲージの証。そして喉に浮かび上がる恩恵の刻印。最早、明白であった。ここに新たな亡霊が産まれたのだ。

 「───は。」

 生まれ変わった気分だった。何もかもが。アタッチメントで周囲の様子を探ると信じられないくらい正確でそれでいて広範囲まで分かる。レベルまで急上昇している。あぁなんだ……こんなに差が出るなんて、ワイルドハントの連中が亡霊に勝てるわけがなかったんだ。

 「軽井沢、お前……なんてことを……。」

 「うっさいすねぇ……境野っちは黙っててくんないっすか?」

 発した音は空気に反響し、大きな衝撃波になって境野を吹き飛ばした。攻撃をしたつもりはないのに、ただ脅かそうとしただけでこの威力だ。自分の能力に心がざわつく。

 「レニー!なんてことを……軽井沢ちゃん、どうしたの!おかしいっしょ、こんなこと!!」

 無限谷は吹き飛ばされた境野を支えて叫ぶ。どうしたもない。どうせ正体がバレたのだから、学校にいられない。自分の居場所はないのだ。

 「大丈夫だ、無限谷。ありがとう、冷静になれたよ。とりあえず軽井沢はここで捕まえる。」

 境野は立ち上がり、向かってくる。学習をしないのだろうか?先程圧倒的な力を見せつけたというのに。

 「ふむ、境野くん。君は嘘つきだな。」

 弦が何かを言った気がするが、私はもう一度、次は明確に意思を持って容赦なく音撃を浴びせた。強大な衝撃波が飛ばされる。大気が揺れる。だが……。

 「えっ。」

 衝撃波をもろともせず、自分の寸前まで境野の手が伸びる。一瞬のところで弦の血鎖が境野の動きを止めたのだ。だがそれも一瞬、振り払うと鎖はあっという間に砕け散った。

 「な、な、なんなんすか!!おかしいじゃないっすか!!亡霊の力を!!」

 「何が怪力だ、まったくバカバカしい力をもっているな君は。」

 血の糸が周囲を一瞬にして展開した。その糸は弦と軽井沢を包み高く上がる。

 「君を相手にしても良いが、流石に君レベルの能力者と戦うには足手まといを抱えていては遅れをとりそうだ。失礼するよ。」

 逃しはしない。俺は糸の束を掴み、そしてイメージした。あの時の炎を。あの星空の夜、蜘蛛の糸を燃やしたあの炎を。血の糸は瞬く間に燃え上がり、弦と軽井沢はバランスを崩し、落ちる。

 「これは……この炎は……君は……何者だ?」

 弦は炎を見つめ明らかに動揺していた。それはただ単に突然現れた炎を見て驚いたのではなく、もっと別の、まるで理解できない、ありえないものを見たような姿だった。だが、俺はそんな弦を無視して、傍にあった観葉植物を投げ槍のように投げつける。だが槍は明後日の方向に飛び図書館の壁に突き刺さる。そして伊集院の周囲が歪み始めた。あれは……あの様子は……。

 「容赦のない子だ。ここまでするつもりはなかったんだがね。ひらけ、赤縄如洗せきじょうじょせん。愛しき我が心と光よ。」

 歪んだ空間は辺り一面を覆い別世界が顕現した。これで三度目だ。頭がおかしくなりそうだ。それは血の地獄だった。無数の人々が串刺しにされ嘆いている光景、そして血の池がいくつも点在している。

 「伊集院家はね、代々血に関わるアタッチメントを持つんだ。そして私のアタッチメントは……この間も説明したね。血を操る能力。それは私の血液に限った話ではない。だが……ふふ、境野くん。君は……。いや、今は何も言うまい。」

 血の池から巨大な蛇が出てきた。血液で作られた巨大な蛇。何十体も現れ、一斉に俺に襲いかかる。

 「今更こんなもの……!」

 襲いかかる蛇を叩き割る。爆散。更に襲い来る蛇を蹴飛ばす。後ろの蛇を巻き込み吹き飛ぶ。空からも蛇が降ってくる。俺はいつもの要領で手から光線を発射した。蛇は光の藻屑となった。無防備になった弦を睨みつける。弦はいつも通り、余裕めいた表情でこちらを見ている。地を蹴り距離を詰める。能力の根底がコトネと同じなら打撃は通じるはずだ。俺は思い切り弦を殴りつける。だがその感触はまるでなく、弦は液体……否、もとの血液となって零れ落ちた。空間は少しずつ図書館の景色に侵食されるように戻っていき、そして元の図書館に戻った。

 「しまった……ッ!」

 そこには既に弦と軽井沢が既にいなくなっていた。これはただの時間稼ぎ。逃げるために作られたダミーだったのだ。図書館はいつも通りの静寂に戻る。いつものメンバーが俺に駆け寄ってくる。ただそこには、軽井沢はいなかった。

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