奈落の底で、あなただけが

 授業終わりのチャイムが鳴り、いつもどおり伊集院が駆けつけて早くカラオケに行こうと誘ってくるので、高橋と夢野を連れてまたカラオケに向かった。こんなやりとりも今日で最後になるのだな……そう思うと感慨深い。カラオケルームに入ると終始テンションが高い伊集院は乾杯をした。

 「知ってると思うけど、もうカラオケルームでこそこそ話をしなくてもいいんだけど……。」

 俺の念押しに知っていると言わんとばかりに、伊集院は得意げな顔で含み笑いをする。そしてバッグの中をごそごそと漁り、何かを取り出してテーブルに置いた。これは……チャイナドレスだ。

 「あ、あなたの好みは分かったわ!こういうのが好きなのね、ず、ずっとあの女を夢野みたいに抱きしめてていやらしい……!つまりこれを私に着てほしかったのでしょう!?こ、この変態……でも仕方ないわ、礼はしなくてはならないもの……。」

 またこの話になるのか……。とはいえユーシーのことは高橋も夢野も知っているので、チャイナドレスを見て、すぐに気がついてくれた。もっとも伊集院は合意の上だったの!?と更に間違った方向へと勘違いを加速させていったが。

 「ともかくヴィシャはいなくなったんだ、伊集院はあいつに悩まされることはない。礼なんていらないよ。」

 そう、俺たちは亡霊を何とかしなくてはならないが、伊集院はもう自由なのだ。束縛されることはない。だというのに伊集院は何か不満げに目を伏せていた。

 「……それってもうヴィシャの問題が解決したから、私とは関わらないということ?もし私に何かあっても守ってくれないの?」

 切実な頼みだった。ヴィシャの言葉を思い出した。彼女の心は壊れ妄想癖の気があるという。ヴィシャがいなくなっても見えない敵にしばらくは苦しむのではないだろうか。

 「何言ってるんだ、同じ6班なんだし、これからも一緒に仲良くすれば良いだろ。」

 日記を読んで同情的になっていたというのもある。だがそれ以前に同じ6班のメンバーなのだ。これで関係は終わりというわけではない。俺の言葉に伊集院は素直に喜んでいた。

 「……はっ!な、仲良くってまさかこいつらみたいに身体を捧げ」

 「そういえば、高橋は別の班に移るって聞いたけど本当なのか?」

 いつもの流れになりそうなので無理やり打ち切って気になっていたことを高橋に聞いた。磯上から聞いた噂話、それが本当なのか確認したかった。夢野は全然知らなかったようで、高橋様はいなくなるんですかと驚いている。

 「あ?んだよ、もうそんな噂流れてんのか、そういう話は確かに今日あったけど断ったよ。」

 高橋はあっさりとそう答えた。伊集院がどうしてそんなもったいないことをしたのよ!と詰め寄る。高橋からしてみれば今更変わるのは面倒だし、今のメンバーで特に不満はないからということだ。そういえば伊集院はどうなんだろう。ヴィシャがいなくなった今、実力を隠す必要はないのではないか。

 「い、いや……わたしもしばらく6班にいるわ……。」

 意味深に俺の方をチラリと見て伊集院はそう呟く。その態度は何か隠し事があるように見えた。高橋もそんな伊集院の態度に気づいたのか、何か隠してないかと聞くが、伊集院は答えなかった。そして答えの代わりにカバンから昨日見せてきたコスプレ衣装……更に増えている……を見せつけてさぁどれにするか決めなさいよと俺に迫ってきた。何か変だ、そういえばヴィシャは伊集院をどういうことで脅していたんだろう。それが今の態度に関係するんじゃないか。敢えてそれを黙っているとしたら?この場でそれを追求するのはやめて、伊集院の誘いを適当にこの場は流すことにした。

 祝勝会が終わり伊集院と二人きりになれないか誘った。俺があの日記帳を読んでいるのは既に知られているだろう。高橋や夢野の前では話しづらいはずだ。ヴィシャのことについて何か隠している点があるのなら、確認しなくてはならない。例えば……ヴィシャを追跡していたあの謎の爪痕は何なのか、とか。伊集院は待っていたと思わんばかりに頬を染めながらも俯いた。九割くらい誤解してそうだ。しかし内容的に密談が望ましい、それでいて変な誤解がされない場所……俺は公園を選んだ。開放されたこの場所は周囲に誰かいれば気がつくし、それでいてこの時間は人気もない。

 「そ、外でやるなんてどれだけ変態なの……せめて着替えくらいはそこのトイレで」

 「伊集院、言いたくないなら良いけど、ひょっとしてヴィシャだけじゃないのか?」

 俺の言葉に伊集院の手が止まった。そして大人しくなり、しばしの沈黙が流れ口を開いた。

 「家族の問題だから、それは言えないわ……。」

 気まずい空気が流れる。触れてはいけない問題だったようだ。俺は話題を変える。

 「悪い、それともう一つ。見ていたと思うけど、ヴィシャを高速道路で襲った奴に心当たりはあるか?」

 あれだけ派手に暴れまわった相手だ。もしかすると伊集院に何かそんな存在を示唆していたのかもしれない。

 「あ、あの道路の多数の傷跡のことよね……知らないわ……あんなのに狙われてたなんてまったく……い、いやまさか……そんな……。」

 伊集院は何か思い当たりがあるようだが言葉を言いよどむ。それはもしかすると亡霊のことかもしれない。俺は何とか教えてくれないか伊集院に頼み込む。

 「……いや、し、信用できないわ……。だって、あなたはもう私と付き合うメリットがないんですもの、自分が危険となったら見捨てるんじゃないの?い、いや待てよ……ふ、ふふ……あ……いや、でもこんな変態に渡したら絶対に……うぅ……。」

 恥ずかしそうにもじもじとしながら伊集院は思い悩んだが、やがて決心をしたのかカバンの中から手提げ袋を取り出した。そしてそれを俺に渡す。どうやらくれるようだ。中を見ると体操服だった。触ると少し湿り気を感じた。俺の唖然とした表情を見ると伊集院は満足そうに笑った。

 「やっぱり好きなのね!表情を見たら分かるわ!この変態!!私たちの体育の授業を覗き見した上に私が汗ばむ姿を見て興奮したんでしょう!そ、それはその時に着ていた体操服よ!」

 「なん……だと……!?」

 磯上に誘われたあれか!しかし何故……いやそういえば伊集院の血液、解除したとは聞いていなかった!つまり……あの様子を全て伊集院は知っていたのだ!言い訳のしようもないあの行為を!俺は初めて、伊集院との会話で冷や汗をかいた。

 「ふ、ふふ……心配しなくても高橋や夢野には言うつもりはないわ、そ、それを毎回貸してあげるわ、好きなだけつ、つ、使うといいわ!それでもう少しだけ私と協力関係でいなさいよ。」

 洗濯して返せということらしい。家では……絶対に出来ないな。コインランドリーを使うしか無い。伊集院は本気で俺がこれを欲しがっていると思っている。そしてそのために自分との約束を果たすと……。不名誉ではあるが、亡霊の手がかりになるかもしれない。甘んじて受け入れ話を聞くことにした。

 「恐らくヴィシャを追跡していたのはあいつ……兄よ……兄なんて呼ぶのも悍ましい、あんたは変態だけどあいつはただの外道、それに比べたらかわいいものなんだから。」

 伊集院には兄がいるという。名前は伊集院弦。表向きの顔は資産家で慈善活動家、その顔は広く周囲からの評判も高い。だがその裏では、口にもしたくないおぞましいことをしていて、それがヴィシャにバレて脅迫をされていたらしい。兄の悪事をバラされたくなければ従えと。そしてそんな兄だから当然、危険な組織とも繋がっていると考え、今回ヴィシャを襲ったのはその刺客ではないかということだ。実際、伊集院は自宅に見知らぬ人が来客するのをよく見るらしい。資産家で慈善活動家ならそれは珍しくはないと思うが……。というか、その話だと伊集院は名家のお嬢様ということになる。その点も驚きだ、そういうのは東郷だけだと思っていたから。

 「でも兄なら伊集院に危険はないんじゃないか?いや俺はその兄が凄い気になるけど。」

 「だからあんなの、兄でもなんでも無いわ汚らわしい。わたしはヴィシャが死んでから誓ったの。兄の悪事を世間に公表して社会的に裁かせるって。そしてそれには変態、あんたの力が必要なのよ。ヴィシャを倒した、その実力が。」

 実の兄を倒すというのか。彼女をそこまで突き動かす動機はなんなのだ。気にはなったがそれはさておき理由は分かった。これでもしゲンが亡霊であったとしたら……伊集院の身が危険なのは明白だろう。社会的に裁かせるためには動かぬ証拠が必要だと伊集院は言う。伊集院家の根は深く、そして広い。生半可なものだと握りつぶされるからだ。

 「分かった、喜んで協力するよ。俺も何か分かったら連絡することにする。」

 答えは決まっている。伊集院に協力する。それが亡霊の手がかりに繋がるのなら。俺の答えを聞いて伊集院は「当然ね!」と鼻息を荒くした。こうして俺たちは同盟を組むことになり、伊集院の体操服を毎回洗うという雑務も任されてしまったのだ。別れ際、思い出すように伊集院は振り向き俺を呼び止める。

 「言い忘れてた、ヴィシャのこと。本当にありがとう。私のため……その……日記のことも。日記はあげるわ。帰りに新しいのを買うから。それじゃあ、また明日ね。」

 照れくさそうに少し目をそらして髪の毛をいじり、はにかみながら、伊集院はそう答えて俺の帰路とは反対方向へ立ち去っていった。やはり知っていたのだ。いや、そんなことより……。

 「あぁ、日記をつけるのは大事なことだもんな。」

 夕暮れ時、茜色に染まる空。彼女の悪夢は終わったのだ。安らかな夜を迎えることができるのだ。俺は彼女の言葉を思い出した。そして願った。彼女の日記がこれからずっと続くことを……。


 ───繁華街の奥地、人気のいない暗がりに彼女はいた。この場に似つかわしくない学生服、こんなところで待ち合わせなんて本当に最悪だ。

 「いやー悪い悪い。そこのかわいいお姉ちゃんに呼び止められて、待たせている娘がいるって言ってんのに離してくれなくて。」

 正直言って、この男は生理的に無理なタイプだ。仲間でなければ付き合いたくもない。というか関わりたくすらないし視界にも入れたくない。

 「あのさぁ、あーし学生なんっすからこんなところで待ち合わせするのやめてくれないっすか?デリカシーっていうか社会常識ないんすか?」

 不満をストレートに口にするが、男はまるで意に介さず。地面を指差す。

 「ここ見てみ?とても不思議なものがあるよ。」

 男に言われて地面をよく見た。よく見ると水たまりのようなものが出来ている。少し異臭もする。

 「これは……なんすか?」

 「今、俺が立ち小便をした後だ。」

 「はぁ?きっしょ……殺していいっすか?」

 アタッチメントを展開する。きもすぎるし殺そう。

 「ちょっと待って、落ち着いて。まずは冷静になって。小便したのはただの目印だって。落ち着かない?これね、よく見るとキノコのようなものが生えてんだよこの辺には生息してないやつね。」

 男は説明する。この場所には空間操術の痕跡がある。つまりヴィシャが手引きをしたのだ。だが、そんな報告は聞いていない。つまり空間操術を展開した上で何者かにここでやられたのだ。キノコ?はその痕跡であると。それだけではない、ヴィシャが死亡したとされる高速道路、そしてもぬけの空となった彼の自宅。その手口は全て違う。つまりヴィシャを倒したのは一人ではないということだ。ヴィシャは複数人と敵対していた?いやそんな報告はない。

 「亡霊にやられた……?」

 「そりゃないね、亡霊が殺す気ならこんな何回も分けないよ。単独のはず。仮に亡霊にやられたとしても他に犯人がいるってことよ。特に高速道路の怪物。」

 ───高速道路の怪物。それはニュースでつけられた異名だ。目撃者は口を揃えて突然刃物が飛んできて車を傷つけたという。姿のない怪物……。亡霊の手口とはまったく異なる。連中はそんな杜撰に活動の証拠を残さないからだ。

 「俺たちが来たのはそういうこと、敵は亡霊だけじゃない。それなりに戦力がいるだろぉん?」

 「ちょっと待って、俺たち?他にいるんすか?」

 男は勿体つけて何も言わない。ただこう述べた。

 「だからお前は今まで通り、行動してくれていいよ。あーでも境野連……だっけ?ヴィシャの報告見たけどそいつお前の同級生だろ?そいつ露骨すぎるから逆に亡霊ではないけど、なーんか危険な奴だから要監視しといて。」

 境野連……境野っち?え、何で彼の名前が突然出てくるの?私は混乱した。話に脈絡がない。でも亡霊ではないと言ってた。え、じゃあ何でわざわざ監視するの……?理由は教えてくれそうにもない。

 「不満そうだね〜、でもしょうがないでしょ。お前は今ん所、ヴィシャの部下なんだからよくわかんないもん。まぁ……これからも期待してるよ、えーっと……軽井沢ちゃん?」

 軽井沢詩は男の言葉に「分かりましたっす」と返答するしかなかった。ヴィシャがいなくなり新たに与えられた命令に戸惑いながらも。

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