それはいつまでも続く夢のようで

 男に特徴は無かった。普通の背丈、普通のスーツ、片手にはスーツケースを持っている。だが高橋の印象は最悪だった。貼り付いたような能面のような笑顔がただ不気味で、この男はきっと本気で何かを想ったことなんて無いのだろうなと勝手に思った。

 「なんだねその目は?あぁなるほど、私はこの一連の出来事の黒幕で、境野くんの死は君のせいではないと思いたいのだね。ふむ、では答えてあげよう。境野くんが死んだのは間違いなく君のせいだよ。だってほら君、思い切り首を絞めてたじゃないか、無抵抗の彼を。君の手で、殺したんだよ。」

 男は淡々と事実を述べた。そのとおりだ、高橋に言い訳の余地はない。今も抱きかかえている境野の温もりが、少しずつ失われていく。彼の暖かさが。

 「私がここに来たのはサービスだよ、君はこの世界から帰れないだろ?ああ死体を持って帰るかは君が決めたまえ。ここに残せば完全犯罪の成立、よくある行方不明者に境野くんは仲間入りするだけだし、外に出すのなら君はめでたく犯罪者の仲間入りだ。日本警察の捜査能力をなめてはいけないよ?すぐに捕まると思うので自首するといい。自首すると刑が軽くなるんだ、ましてや君は未成年、きっと情状酌量の余地か何かで大した罰を受けないさ。いやぁ若いって素晴らしいね。」

 男が何かを言っていたが聞きたくもなかった。境野の死体に触れる。あたしのことを何一つ憎まないで最後まで信じてくれた……。それなのにあたしは……。

 「あー感傷に浸るのはいいんだけどね?私はもう境野くんには興味ないんだ。死んでるからね。早く帰らない?」

 男は境野の死体を挟んであたしの前にしゃがみこむ。男の表情が見えた。男は笑っていた。最初の能面のような表情とはかけ離れ、心底愉快そうに。口角を鋭く曲げて、目はとても活き活きと、頬は上がり、あたしが失意のどん底に落ちている姿を見て、笑っていたのだ。だが怒りはわかない、全てはあたしが招いたことなのだから。目を伏せた。歪な世界、不完全で、淀んだ景色。きっとここはあたしの醜い心をうつしたものなんだろう。ぴったりな世界だ。このまま境野と一緒に死のう。この醜い世界で、せめて境野が一人でも寂しくないように。そう思った矢先だった。

 「ん、むご、むごごごごごこ!!むごぉ!!」

 変な声がしたので顔を上げるとそこには先程の男の口が手で塞がれ、持ち上げられていた。誰に?また他に来訪者が来たのだろうか。いや、これは違う……夢だろうか。

 男はそのまま投げ飛ばされる。そしてあたしはその男を見た。瞬間、心が困惑と喜びに満ちる。そして一縷の不安が。

 「さ、さ、境野くん!!なんで!!?君は今死んでたよね!!?どういうトリックなんだい!!!?」

 あたしの目の前には境野が立っていた。あぁ幻なら、夢なら永遠に覚めないで欲しい。

 境野は周囲を見渡していた。歪な世界、かつて見たナイ神父が展開したのと同じ世界。

 「KBF……?いや何か違うなこれは。おいそこのスーツ野郎、説明しろ。これは何だ。」

 境野はスーツの男に詰め寄り胸ぐらを掴んで無理やり立たせた。

 「き、君こそそれは何だい!?反魂の術!?高度な道術の類かなぁ!?目をつけてたんだ、そんなことができる人がいる」

 嫌な音がした。骨の折れた音だ。スーツの男の悲鳴が聞こえた。

 「あのな、質問をしているのは俺の方だ。拷問は受けたことあるか?」

 境野の足元でうめき声をあげながらスーツの男は転がる。

 「は、はぁはぁ……あは!あはははは!!あはははははははは!!!うん、いいよ!凄くいい境野くん!!その容赦のなさ凄く私は大好きだ!!KBFを知ってるなら細かい説明は不要だよね!!!これはKBFを独自に改良し作り出した空間操術、簡易的なものでKBFのような力はないけど、このように隔離したいときとかには最適なんだよ!!どうだい、凄いだろう!!?専門家の君はどう思う!!!!?」

 「ただの劣化品じゃねぇかアホらしい、でもまぁ基本はできてる。KBFだからこんなことになったのか。おいスーツ、お前もKBFを知ってるなら死んだ俺が生き返った理由を察してるだろ。反魂の術?バカが、もっとシンプルな話だ。KBFとはなんだったかもう一度考えてみろ。」

 境野に言われてスーツの男は大げさに考える仕草を見せる。そして境野を見つめてあることに気がついたのか、目を見開き一つの答えが出たのか頭の上に電球が出てきた。

 「ああ、なるほど。そういうことか。つまらない……いや、この場合はおもしろい、というべきか?境野くん、君はそれを知っていてこんなことをしたのかな?死なないとは言え確信もないだろう。この空間はKBFを模したものではあるが完全ではない、それはつまり。」

 「偶然だろうな、俺が出てきているのがその証拠だ。」

 「出てきている?あぁ記憶が欠落していたのか、それでその女と戦っている時と雰囲気が違うわけだ。面白い!なるほど魂の加工!まさかそれがこのような形で現れるとは!じゃあもうそろそろ君はいなくなるの?残念だなぁ。」

 スーツの男は心底残念そうに腕を組んでうなった。

 「いいや……安心しろ、ここからいなくなるのはお前のが先さ。」

 「アハ」

 境野が手を払った。すると光の粒子のようなものが流れスーツの男は爆散し消滅した。そして唖然としている少女のもとへ戻る。

 「おま……え……誰だ……境野はどうしたんだ……。」

 この男は境野ではない、それは明白だった。境野の姿をした別の何かだ。それが高橋にとっては不愉快で不気味で許せなかった。

 「心配するな、しばらくしたらあいつは戻るよ。わざわざ俺がお前と話をするのは俺のフォローだよ。」

 境野を名乗る男は高橋に説明をした。まずスーツの男、奴は本体ではなくただの分身であるということ。そういう能力の類だということ。だがここでの記憶は本体には渡らないので状況は悪くならないということ。そして、境野を名乗る男は高橋の頬に触れた。すると頬から赤黒いシートのようなものが出てきた。そして思い出す、スーツの男との出会いを。そうだ、カラオケのとき……割ってしまったグラスを交換して飲み物を入れてるときにスーツの男に絡まれて……。

 ─

 ──

 ───。

 זה לא צריך להיזכרזה לא צריך להיזכרזה לא צריך להיזכרזה לא צריך להיזכרזה לא צריך להיזכרזה לא צריך להיזכרזה לא צריך להיזכר

 「随分といらついているね、見ていてとてもハラハラするよ。」

 「安心してくれ、私は敵ではない。ただ君のその姿を見てちょっと心を痛めているのさ。」

 「おまじないをしてあげよう、勇気の出るおまじない。大丈夫、君の想いは必ず伝わるさ。」

 「だから君も私のためにちょっとだけ力を貸してくれないかな。」

 「───────────────。」

 「君の蝿を境野くんの口から身体の中に入れるんだ、そうすれば永遠に彼は君のものだよ。」

 זה לא צריך להיזכרזה לא צריך להיזכרזה לא צריך להיזכרזה לא צריך להיזכרזה לא צריך להיזכרזה לא צריך להיזכרזה לא צריך להיזכר


 「思い出したか?こいつによりお前は操作されたんだ。そしてこれは恩恵に近い能力を与える。本物の恩恵に比べりゃ屁みたいなもんだけどな。まぁ操られてた時の記憶もあるんだろうけど気にするな。」

 厳密には違う。この赤黒いシートは操作するものではなく感情を暴走させるもの。スーツの男はそれに加えて暗示をかけていたのだ。空間に閉じ込めて境野を殺せと。二重の暗示、実質操作されているようなものなのだが、おそらく真実を伝えるとこの少女は自分の行動に責任を感じ、境野から離れようとするだろう。それは困る。利用できる駒は多いほうがいいと、境野を名乗る男は考えているからだ。

 「ぐっ……つっ……もう戻りそうだな。あぁ……折角記憶が戻るなら仁……と話が……。」

 頭を抱え、境野を名乗る男は倒れた。高橋は境野の身体を支える。温かい。心臓の音が聞こえる。呼吸もしている。生きている。

 「うっ……。」

 目を覚ました。一体どちらだ、先程の男か、それともまた別の……。

 「な、なんだ……あれ高橋、お前ハエはどうしたんだ?」

 その瞬間、高橋は境野を抱きしめた。目を覚ました境野は紛れもなく境野本人だったのだ。もう二度と戻らないと思っていた。自分の手で殺してしまった、誰よりも大切な男がもう一度戻ってきてくれたことに今はただ何者にでもなく、この世界に、運命に感謝をした。

 醜く歪つなこの世界で二人きり、もう二度と離さないと思うくらい強く抱きしめる。そっと手が背中に優しく触れるのを感じた。こんな時間が永遠に続いてほしいと思う。離れてしまうと、また失ってしまいそうで怖かったから。

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