第22話 再起
昏い、暗い、闇い、冥い、光すら逃げていく漆黒の沼にひとりの少女が膝を抱え蹲っていた。
虚ろな少女の意識は無く、全ての情報を拒絶し自分自身すら否定する様に、ただただ下へ下へ落ちていく。
一体どれ程の時が流れたか、何分、何時間、何年、将又刹那の時しか流れていないかもしれない、そんな曖昧な時の中依然として虚ろな少女の上から突如として淡い光が明滅し始める。
全てを拒絶しても頭の中に勝手に音が響く。
聞く気は無くとも自然と溶け込む音を感じるとどうやらそれは人らしき声だった。
直接響く割に明瞭とは言い難い、泡が弾けるくらい曖昧な音が身体全体を震わせる。
しかし少女は耳を傾けるどころか溶け込む音すら拒絶し世界を遮断するかの様に意味も無く固く両手で耳を塞ぐ。
強く、強く押さえ手に力を込める。
しかしそれに反比例するかの様に声が徐々に大きく、明瞭になってくる。
温かなその声が非常にゆっくり、だが確実に少女の体内に浸透し始めると虚ろだった少女の顔に徐々に生気が戻り遮断していた世界を優しく解し、心地良い微睡みへと変化させていく。
更には少女の体調に合わせてか、周囲に満たされる漆黒の沼は濾過されるかの様に透明度が高い水に変化しながら嵩を増しながら少女を満たしていった。
声は止む事無く断続的に少女の心を温め、修復していく。
そして次第にその声も聞き取れる様になっていく。
「ーーーー、ーヴさん、ーーて下さい!イヴさん!起きて下さい!」
微睡みの中を揺蕩う心地良い揺籠の中から漸くその声の主が誰なのかハッキリと認識した瞬間、優しく包まれる感覚を味わいながら徐々に水面へと意識が浮上していく。
「ーーんん、こ、ここは……?」
覚醒直後で意識もハッキリせず倦怠感の残る身体を無理矢理起こそうと力を込めるが全身が自分の身体じゃないみたいに全く力が入らない事に目を見開いた。
ボーっとした状態だったので早々に諦念感を漂わせ、仕方が無いと視線だけをあちらこちらに向ける。
ゆっくり見渡すとそこには随分と懐かしいと感じさせる人が慌ただしく作業をしていた。
会えた喜びとまだ夢の中にいるのかという脱力感、そして有り得ないという困惑、様々な感情がイヴに津波の様に襲い掛かる。
それでも現実は無慈悲、そして容赦なく叩きつけてくる。
「あっ!イヴさん、漸く起きたんですね!一週間も寝たきりだったので心配したんですよ?いきなりギルドに現れたのはビックリしましたが、リオンさんは一緒じゃないんですか?」
心配そうに顔を覗き込んでくる狐人族の女性、魔法国家リンドブルム首都リーヴァの冒険者ギルドの受付嬢のマリーさんだ。
そんな事を考えていると徐々に頭がクリアになり身体にも力が入る様になる。
そして思い出す……何が起きたのか、何をしたのか。
「ッッ⁉︎リオンッ!!リオン!!リオンはどこにいるんですかッ⁉︎ねえ、リオン……お願い、うそだよね……また、私をからかってるんだよね?ごめん、ごめんなさいぃぃ……早く出てきてよぉ、わたし、ちゃんと修行もするからぁぁ……弱音も吐かずにがんばるからぁぁ……やだよぉ、いやぁぁぁ、独りにしないで……もう、ひとりはいやぁぁ、いやなの……わたしにはもう、リオンしかいないの……やだよぉぉ。りおん……」
突然取り乱すイヴを驚愕の表情で見ていたマリーは咄嗟にイヴを抱き締めた。
「もう大丈夫よ。貴女は1人じゃないから!私がずっと側に居るから!だからお願い落ち着いて、とりあえず今はゆっくり休んで、お願いよ……イヴ」
再び泣きじゃくり、疲れ果てた末に意識を失い泥の様に眠りに付くイヴ。
しかしその都度記憶の混濁が起きるのか数時間で飛び起き、再び発狂するというサイクルを数度繰り返す。
数十回と繰り返すと漸く発狂しなくなる位には自我を保つ事が出来る様になった。
しかしそれは安定とは言い難い程少女の精神を蝕み続けガリガリと削っていった結果であり、一種の放心状態に近い状態だった。
そこから更に数日ただ呆然と過ごしマリーからの語り掛けにも頷く事もせず、呼吸だけを繰り返して過ごしていた。
しかしそんな日々も何気ないマリーの一言で動き出す。
「ずっとまともに食事も取ってなかったんだから、ゆっくりで良いから少しでも食べてね」
普段から言われていた言葉かもしれない、いつもなら耳にも届かない言葉、多少時間が癒したのかは不明だが今日は不思議と耳に響き、マリーからお粥が入った器を受け取った。
優しい香りが鼻腔を擽る事でイヴが久々に空腹感を取り戻し緩慢な動きで一口、また一口と口に運ぶ。
「おい、しい……」
泣き叫んでいたので声帯を痛め、ろくに声も出ない状況で絞り出した一言にマリーは安堵する。
その後無言で食べ進め、[食べる]という作業が終わると再びポロポロと涙が頬を流れ落ちる。
対面に座っているマリーから飲み物を差し出され、それを手に取り一口飲むと、はぁ、と温かい吐息が零れる。
「ふふ、美味しいでしょう。私の故郷で病などで弱っている時に飲む健康ドリンクよ。リラックス効果もあるから少しは落ち着いたかしら?」
多大な迷惑を掛けていたであろうマリーはそんな様子は微塵も見せる事無く慈愛の篭った表情をイヴに向けている。
そんな表情を見て羞恥の感情が徐々に戻ってきたのかイヴは赤面しながら顔を伏せた。
「あ、ありがとう、ございます。め、迷惑、掛けちゃい、ました……」
あの日から今まで寝ても覚めても思うのは[彼]の事のみで他の事にリソースを割く余裕がまるで無かったが、時間が癒し、人が癒し、場所が癒した結果、漸く目の前の人物を見る事が出来たのだ。
「バカね、迷惑だなんて思ってないわよ。確かにイヴさんと私は冒険者とギルド職員という立場の違いはあるけれど、それ以前に私は貴女の事を友達だと、そう思っているわ」
慈愛、友愛、親愛、マリーの眼差しからは愛が溢れており嫌悪感など全く無いと、先程の発言は全て嘘偽り無い真実なのだと、雄弁に語っていた。
イヴもまたマリーを恋敵だと感じていながらも言葉を幾度重ねた結果、姉であり、友であり、全てを失った彼女に再び出来た大切で掛け替えの無い存在だと認識していた。
再確認したからか今の精神状態かは本人にすら分からないが流す涙が悲しみから喜びの温かい涙に変わっていた。
「ツラいのはここ最近の貴女を見て痛い程知っているけれど、これだけは聞かせて。……あの日に、一体何があったの?」
踏み込むのに勇気が必要だったがマリー自身が事情を知らないと対応にも限界があるのと、何よりここには居ないリオンの存在を気にしての発言だった。
思い出すだけでも身体が震えてくるイヴだが、目の前に居るマリーの目はとても真剣で、とても悲壮感漂う視線を向けていた。
全てを説明すればこの関係も壊れてしまうという恐怖や自らが起こした出来事による恐怖がイヴの心をガリガリと削り咄嗟に目をきつく結ぶ。
本能的に内側に籠る防衛本能が働く。
するとふとした瞬間にあの日最後、意識がぐちゃぐちゃになっていた時のリオンの言葉が突如として思い出される。
『イヴ!強くなれ!』、と。
他にも色々言っていた気がするが今は上手く思い出せない。
普段からリオンがイヴへ向けて言っていた言葉だ。
それが戦闘能力に対して言っているんだと思っていて、事実その通りなのだが今のイヴはそれを拡大解釈して人としての成長として捉えた。
暫く俯いて熟考していたのをマリーがまだ話せないと早合点し口を開く。
「ごめんね、まだ無理だったわね。私も少し焦ってイヴさんの気持ちを疎かにしまったわ。本当にごめんなさい、今日もゆっくりと身体を休めてね」
深々と頭を下げるマリーにイヴがガバッと上げ狼狽する。
「あ、謝らないで下さい!無理、とかではなく……その、怖いんです……。あの日の事を話すのも、話した事でマリーさんに嫌われてしまうのも……マリーさんまで居なくなっちゃったら、今度こそひとりぼっちになっちゃうから……」
自分本位な考えと理解しているイヴは言葉を発しながら再び顔を俯かせる。
仔猫の様に怯え、身体を震わせる彼女を柔らかく温かい感触が包み込む。
「バカね、何度でも言うわね。大丈夫、大丈夫よ。何があっても、何が起きても貴女を嫌いになんてならないし、ひとりにしないわ。私はあなたが大好きだもの」
甘く、柔らかく、温かい声や香り、感触で包まれひび割れていた心が少しずつ、だが確実に癒されていく。
「……本当に?」
精神を削られ過ぎて幼児退行しながらイヴが上目遣いでマリーを見ると彼女も微笑んで受け止める。
「本当よ。だから安心して、私はイヴさんが大好きだからどんな事を言われても嫌いになんてならないし、なれないわ」
暫く視線を彷徨わせたイヴは再び俯き、静かに語り始めた。
「……あの日はアイゼンヴァルト侯爵様のお屋敷でリオンに救われた感謝を伝える為の宴が催されたの……。宴に関しては特に問題も無く美味しい料理と美味しい飲み物を堪能してお開きになったんだけど……その後侯爵様を狙った襲撃に巻き込まれたの。でも襲撃に関してはリオンが事前に教えてくれたから大丈夫だったんだけど、わたしが戦った襲撃者は奴隷の亜人が殆どで、わたしはみんな救おうと殺さない様に必死に頑張ったんですよ。……でも、その中の5人は魔人化してしまいました……」
そこで一区切り付け、少し冷静になったイヴが卓上の飲み物を両手に掴みコクンと飲む。
マリーを見ると、魔人化の話が相当衝撃が大きかったらしく目を見開いていた。
「色々、気になる所はあるんだけど、そ、その魔人達に、リオンさんが?」
具体的な話を避けたのか何が、とは聞かなかったが、それでもイヴは首を横に振る。
「いえ……魔人化した人達もリオンにとって遊び相手程度の存在でしかなかったんです……。で、でも、今回殺された魔人化した人達は、死んじゃうと魔人化する前の状態に、戻ったんです……。その姿が以前の友達と重なっちゃって……リ、リオンにやめてって、何度も、何度も言ったけどリオンには聞こえてなくて、最後の1人の時に喉が裂けるくらいに叫びました……そ、そしたら、身体が、勝手に動いたんです!私にも何が何だか分からなくなっちゃって……」
徐々にフラッシュバックしたのか再び頬を涙が伝い両手で自らを掻き抱く。
その状態のままマリーが一番知りたかった情報が開示された。
「わ、わたしが、りおんをころしました……」
電子音の様に感情を殺し、自分の心が崩れるのを無意識に回避する。
対するマリーはイヴの話を聞き、様々な感情の洪水が許容量を超え目を見開いて固まってしまっていた。
だがイヴの状態を見兼ねて自らの状態を度返しすると錆びたブリキ人形の如きぎこちない動きでイヴを抱き寄せた。
お互いの温もりを交換する事で、イヴは拒絶されなかった事への安堵感で脱力してしまい、マリーは自分より過酷な状況だった存在を再確認した事である事を思い出し少し冷静になる。
「私も、ち、ちょっと、情報量が多過ぎて、今は全て処理し切れてないけど、でも……イヴさん、大変だったわね。大丈夫、だなんて無神経な事は言えないけれど、これだけは、最初に言っておくわね。先程言った通り私はあなたから離れたりしないわ、大丈夫よ。あとね、今の話しを聞いたら私からもあの日あなたが急に現れてからの事を話さないといけないわね」
それからの話はイヴにとっても衝撃的な内容だった。
突如ギルド内に現れたイヴを介抱しながら日々を重ねていると当時の王国での事件も伝わってきた。
その内容が、紅蓮の竜人が王都で暴れ回り都市機能の10%を失ったというものだった。
騎士団が派遣されるものの到着した時には既に紅蓮の竜人は忽然と姿を消していた。
周囲の聞き込みを行った結果、金髪と銀髪の童と黒髪の女が竜人を取り押さえ仄暗い沼に呑み込まれる様にして地面に消えていったという。
殆どがこの紅蓮の竜人の話題で持ちきりだったが、小話として流れている話題として奇妙な青白い青年が道端に倒れている所を救出され騎士団詰所で一時預かっていたら忽然と姿を消したらしい。
更に怪しい老人に怪しい魔法を掛けられ警邏隊が出動したなどなど思い当たる人物ばかりの情報で少し頬が緩むイヴだが肝心のリオンの情報は1つもなかった事に不安になる。
一頻り話し終えると一息付く為に空になっていたイヴの飲み物と自分の飲み物を用意して一口飲む。
「これが今王都で起きてる事件で特徴的なものね。この金髪と銀髪はオピスちゃんとルプちゃんで黒髪の女性はツバサさんで間違い無いと思うわ。紅蓮の竜人に関しては殆ど謎だけどイヴさんは何か知ってる?」
「多分ですけど、紅蓮の竜人はロンさんですね」
意外にもすんなりと口を開くイヴにマリーは若干戸惑いながら問い掛ける。
「えぇと……私から聞いた事だからアレなんだけど、それ言っても大丈夫だったの?」
少し小首を傾げ、考える仕草をするがすぐにコクコクと頷く。
「まあ、大丈夫だと思いますよ。知ってどうにかなる問題じゃありませんからね。あの人達を止められるのはあの人達にしか出来ないと思います。……ふぅ……ごめんなさい、少し疲れてしまいました、今日はもう休んでもいいですか?」
「そうね……久々に話したもんね。私も少し情報を整理したいしイヴさんもまだまだ回復には時間が掛かるものね」
ここ数日はマリーの家の一室を借りお世話になっており、挨拶をして部屋を後にするマリーを呼び止める事なく、「おやすみ」、と見送る。
ベッドで横になり今日マリーから聞いた内容を反芻する。
(マリーさんから聞いた情報にリオンの事がひとつも無かった……。やっぱりリオンは私が……ううん、死ぬ訳ない……でもあんなに身体が……大丈夫、大丈夫だよリオンだもん。お願い、生きていてリオン……。ん?……あれは?)
再度負の感情が押し寄せてきたが不意に天井付近の空間が歪み、一枚の紙がイヴの顔に落ちた。
慌てて起き上がり紙を見ると、透明人間が目の前で書いている様に徐々に文字が浮き上がってくるこの状況に驚愕したものの、それを上回る衝撃の内容に涙を流す。
「あ、あぁぁぁリオン、やっぱり……生きてた……、良かった、ホントに良かったよぉぉ。はい……分かりました、暫く会えないのは辛いし悲しいし淋しいですけど、私強くなります!今度こそ貴方の側に寄り添える様に、そして誰も殺めずに済む様に……貴方に相応しい存在になるために……」
手紙はリオン本人からでは無かったが、代筆でツバサさんが書いている事、リオンは死んでない事、更に何故か私がずっと泣きじゃくっていたのを知っていて茶化されたり、今合流してもルプちゃんが私を殺そうと暴走するだろう事、私が色々弱過ぎるのでこのまま魔法学院と冒険者、リオンから貰った修行メニューで鍛錬を続け強くなれという旨の内容だった。
少し過保護だなとクスッと思ったのは手紙を読み終えると再び空間が歪み金銀銅貨が止め処なく降り注いできたからだ。
降り止みせっせと全て集めてみると、ある程度豪遊しながら暮らしても何回か人生を送れる量があり、ここまでの大金を初めて見たイヴは暫く眺めていた。
イヴはリオンが普段何処から金を稼いでいるのか不明であまり興味も無かったが、この金は全てアルザスを消滅させた際にちゃっかり回収していた金銀銅貨なのだが、その事を知る者は猫一派のみであった。
その1つの街の財源が全てイヴの元に集合した。
「ダメだなホント……私は本当に1人じゃしっかり立って歩く事も出来ない、弱くて情けない存在なんですね。でも、それでも、私を、そんな私でも助けてくれるマリーさん、いつも厳しくて怖くて、でも何だかんだ優しい、私の家族になってくれたリオン。いつまでも助けられてばかりじゃダメだよね……私がリオンを助ける光景は全然浮かばないけど、少しずつ返していきます。その為にも、強くなります!」
これまでの弱い自分から決別し、強くなり助けられた方々への恩返し、一生側に寄り添う為気持ちを新たに前進していく事を決める。
ひとつの山を越え充足感で満たされると次には睡魔が襲ってきてイヴは抗う事無く布団に身を委ね、久々の安眠に頬が緩みながら意識が落ちていく。
翌朝、マリーは目の前の光景に驚愕し口を魚の如くパクパクさせていた。
その姿に眉根を寄せたイヴが指摘する。
「おはようございますマリーさん。勝手に調理場を使ったのは謝りますが……そんな驚かなくても良いと思うんですけど……あ、いえ、そうですね、ここ最近の私こそどうかしてたので仕方ないですね、ハハハ。……改めて、ですけど、ご迷惑お掛けしてすみませんでした、それとありがとうございます。私はもう大丈夫です。朝食も出来上がりましたので、後程ちゃんと説明させて下さい」
昨日の夜別れてから数時間しか経っていないにも関わらずこの変貌ぶりはマリーに少なくない衝撃を与えたが、そんな事よりも今は目の前でニコニコと普段から知っている愛らしい笑顔を振り撒く少女に安堵と歓喜の波が押し寄せ瞳を潤ませ抱き寄せる。
「おはよう!そう、良かった……本当に良かったわ。もう、大丈夫なのね?」
マリーの勢いに感化され、イヴも泣き笑いの形で「はい!」、と元気良く応えた。
その後暫く抱き合い、泣き合うという2人の青春ページを埋めながら時間が過ぎていく。
「あ、あはは、そろそろご飯にしましょう」
「そ、そうね、ふふ」
お互い気恥ずかしさの為頬を染めながら朝食を食べ進め、話しは食後にする事にした。
「ふぅ、それじゃあ早速話しをしてもらおうかしら」
食後にお茶を一口含みほっこりしながら説明を求めるとイヴも頷きポツポツと語り出す。
「昨日マリーさんと別れ、部屋で休んでいたら手紙が届きました、見て頂いた方が早いですね。これです」
スッとテーブルの上に出された手紙をマリーは少し逡巡してから受け取り、緊張した面持ちで開いた。
数分間繰り返し何度も何度も読み返した後、手紙を丁寧に折り畳みイヴの前に置いた。
「……リオンさんは生きている、のね」
それだけを言うと目を閉じ、それでも抑え切れない滴が止め処なく流れ落ちる。
その姿を微笑み見守るイヴ。
再び落ち着きを取り戻したのを確認するとイヴが口を開く。
「私はこれまで通り冒険者を続けながら魔法学院にも通います。それで誰にも負けないくらい強くなります!」
迷いの無い真っ直ぐな目を向けるとマリーは苦笑しながらも納得してくれた。
「そう、分かったわ。でもこれだけは約束して、命の危機がある時はあなたのその命を最優先にしてね」
「はい!分かりました、約束します!」
その返答に満足気に頷くが、すぐに何かを考え始めたマリーに困惑する。
「あ、あの、どうかしましたか?」
覗き込みながら尋ねると、ハッとした様子でブンブン両手を左右に振った。
「あぁ、いや、何でもない、って事は無いんだけど……もしかしてイヴさん、ジョブ未加入ですか?」
「ん〜確かにいつもリオンと一緒に回っていたのでジョブは決めた記憶はありませんが、ジョブを決めると強くなれるんですか?」
「えぇ、そうですね。ジョブを決める事で身体能力に補正が掛かりますので有るのと無いのとでは差が生まれますね。初めは[見習い剣士]などの下位ジョブから始まり一定の熟練度に達すると次のジョブが派生していきます。ちなみに補正値は上位のジョブに行くにつれ顕著な差として現れますので、下位ジョブの[見習い]が付くジョブはお守り程度にしか補正が受けられません。なのでイヴさんにはジョブを決める事をオススメします。……それにしてもリオンさんもジョブ未加入なの?それで聞いた通りの強さだと説明付かない点が多すぎるんだけど……」
説明を受けて、なるほどと納得して頷き、善は急げという事で早速マリーの出勤に合わせてイヴも一緒にギルド向かう事にした。
そして当然の事の様にリオンの話題にはスルーを決め込んだイヴだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[災難即滅]
その日ルークスルドルフ王国の王城にいる人達は怱忙の中、事態の収集と収束の為至る所を走り回っていた。
その様な状況に関わらず1人の男性が立ち上がると全ての人の視線を釘付けにし跪かせる。
「一体今状況はどうなっておるのだ!!誰か現時点での情報を伝えよ!」
疲労が目元に浮かび上がり豪奢な衣服を身に纏い豪華な椅子から立ち上がるこの男こそ、ルークスルドルフ王国の王サリバン・ヴィクター・ルークスルドルフその人である。
彼の発言を受け文官と武官が頭を垂れ、恭しく口を開く。
「只今集まっている情報ですが、被害が発生した場所が貴族区でしたが、中心部から外れていた事もありそこまでの被害は出ておりません。しかしながら先刻送り出した調査部隊からの連絡が途絶えました。現時点でこの被害を齎らした者は紅蓮の竜人であるという事です。強さから考えて大罪系の暴走も視野に入れて第一か第二騎士団を当てるのが確実かと思われます!」
報告を聞き終え、暫く思案した後口を開いた。
「第一騎士団は後方待機、第二騎士団へ出立の伝令を行うのだ!状況の把握と原因の排除だ!急げ!」
王の言葉に全員が忙しなく動き回る。
その光景を眺めながらストンと玉座に腰を落とすサリバン。
(一体何が起こっているのだ。秘密裏に進軍準備をしていたのを悟られたか?いや、内部不和の影響か?分からぬ……だが、被害状況から見て敢えて中心では無く境界側に置いた強硬派の子爵達の居住区が消滅したのは偶然なのか?しかし竜人などという希少種まで使って襲撃を行う理由はなんなのだ?大罪系の暴走にしては現時点の被害が少な過ぎる、さすがに情報が少な過ぎるな。ふむ……)
目を瞑り今回の事件について熟考していると不意に扉が勢いよく開き息も絶え絶えの兵士が駆け込んできた。
「何だ!王の御前じゃぞ!」
文官の叱責を王が手を振り遮り、「何用だ?」、と言葉を投げると兵士は勢いよく頭を垂れ、「緊急の用件にございます!」と言い放った。
「良かろう、では早速その用件とやらを聞こうではないか」
「ハッ!現場からの伝令で、紅蓮の竜人が突如消えたとの事です!」
この発言を受け王の間に居た殆どの人が驚愕するが、王が動揺を声に乗せない様にゆっくり話し掛ける。
「なるほど……詳細な情報を聞いても良いかな?消えたという事は第二騎士団が討伐したという事か?」
「い、いえ、第二騎士団はまだ出立しておりません。現場の兵士や民間人の話では……あの……」
急に口籠もり始めた兵士に全員が訝し気な反応をして文官武官からは罵声が飛ぶ始末。
「えぇい!静かにせよ!その者どうした?早く事の顛末を語るが良い!」
王の一喝で場に静寂が訪れると兵士が「信じられない事ですが……」と前置きしてから数秒溜め込み口を開く。
「件の紅蓮の竜人ですが、その……金髪と銀髪の童、並びに黒髪の女の3人によって拘束され、その後地面に漆黒の沼の様なモノが出現、その後3人諸共竜人も沈んでいったとの事です……」
話が終わった事で王の間は静まり返った。
誰もが固まり王ですら口を開き呆然としていた。
報告し終えた兵士は頭を垂れているので何も反応が無い周囲に冷や汗を流している。
たっぷりと時間を使い、漸く1人の武官がか細い声で「ありえん……」と呟いたのを皮切りに次々に場が騒然となる。
その中でも王だけは冷静に頭を働かせていた。
(身体の大小、性別がどちらだろうが、それが強さの因果に繋がる訳では無い。そもそも人族とは限らないのだから問題はそこでは無い。3人掛かりではあるものの強力な竜人を無力化した事が重要だ。ワシの見立てでは大罪系でない場合、第二騎士団が全員で挑んでも勝率は五分五分だと思っておったのだ。つまりその3人だけで我が王国騎士団を上回る戦力という事になる。もしや竜人と3人は協力関係、又は仲間という線も考えられる。むぅぅぅ……取り敢えず今は情報を集め、行方も捜索するくらいしか出来んな。仕方が無い……進軍計画は延期せざるを得んな)
王の意識が戻ってくるが未だに場は喧しく騒いでいる。
「いい加減にせよ!事態は常に動いておるのだぞ!第二騎士団に追加の伝令を行う、情報の収集並びに先程報告にあった竜人と金髪と銀髪の童、黒髪の女の行方を捜索、発見した場合は監視までに止め接触は禁ずる!第三騎士団以下は現場復興に尽力せよ!」
矢継ぎ早に指示を飛ばすと再び慌ただしく動き回る部下達を眺めながら玉座に腰を落とし周囲に気付かれない程小さくため息を吐くのだった。
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