擬人化短編集

華咲薫

第1話 カーナビちゃん

 カーナビゲーションシステム――通称カーナビ。

 ひと昔前ならいざ知らず、現代において多くの人がお世話になっていることだろう。


 何を隠そう――いや、隠すようなことでもないのだけれど、僕も現代人よろしくカーナビにはお世話になっている一人だ。


 これも最近では普通だろうが、僕は一人で色々な飲食店を回るのが趣味なので、特別カーナビの使用頻度が高い。


 別に休日一緒に過ごす相手がいないから、一人で黙々と新地開拓にいそしんでいるわけではない。本当に。


 そんなこんなで、今日も今日とて新しい出会いを求めて目的地をカーナビへ入力し、車を走らせていた。片道一時間半ほどの道のりを、のんびりとカーナビの指示に従いながら。


 予定のルートを半分ほど過ぎると、いい感じにお腹がすいてきた。否応にも頭の中にイメージが浮かんでくる。

 やはり看板メニューの豚骨ラーメンにすべきか。でも写真を見る限りゆず塩ラーメンも捨てがたいんだよなぁ。


「あ、次の信号右ね」


 おっと、あまり妄想にふけってはいけない。運転に集中……しなければ……?


「あのさ、いつも思ってるんだけど、こっちが丁寧に進路を教えてあげてるんだから返事くらいしなさいよね」


 ………………いやいや、いったん落ち着こう。冷静になるんだ僕。聞き覚えのない女の子の声が突然聞こえてくるなんて、どれだけラーメンの妄想から飛躍してしまったんだ。黒歴史を掘り返してもイマジナリーフレンドを生成した覚えはないぞ?


「ちょっと、ぼーっとしてないでさっさと曲がりなさいよ。後ろの車に迷惑でしょ」

「あ、はい…………」


 心の落ち着きを得られぬままに、僕は彼女の指示に従って車を動かす。


「しばらく道なりね」

「…………はい」


 どうにも彼女は物言わなくなったカーナビの代わりに道案内をしてくれているようだ。僕の左側――すなわち助手席から声が聞こえるのだけれど、あまり運転中に目線を逸らすわけにはいかない。かといって、運転に集中できているのかと問われると、それはそれで難しい質問なのだけれど。


 しばらくして、ようやく赤信号で停止することになった。本当ならコンビニとかに停まりたかったが、あいにくと存在を確認できなかったのだ。

 僕は恐る恐る、さっきから声のする助手席へと目を向けた。


「…………君…………誰?」


 するとそこには、まごうことなき女の人が存在していた。当然ながら、見覚えはまるでない。重ねて、車に乗せた覚えもない。


「は? いまさら何言ってんの?」


 ひどく動揺している僕とは対照的に、さも当たり前という風に、彼女は言う。


「カーナビに決まってんじゃん」

「決まってるわけないだろうが! どこの常識だよ!」

「彼女がいたことのない、いつも独り身のアンタの車に載ってるのなんて、カーナビだけでしょ?」

「乗ってる違いだ! それに君が本当にカーナビだったとして、僕の人生で彼女がいたかどうかを判断できるわけないだろ!? まだ数年の付き合いなのに!」

「じゃあいたの?」

「……………………」


 とてもきれいに墓穴を掘った。


「ほら、青信号になったわよ」

「…………はい」


 いわれるがままにアクセルを踏み込む。

 こうして、僕とカーナビ?の世にも奇妙なドライブが始まった。


 ◇ ◆ ◇


 普通なら運転どころではなくなってしまってもおかしくないはずが、どうにも僕の適応力はなかなかどうして秀でているみたいだった。

 画面は真っ暗。うんともすんとも言わないスピーカー。すべての機能を完全に失ってしまった機械の方のカーナビ。


「五十メートル先を左ね」


 かたや無表情。可愛い系の声。しっかりと道案内の役割を果たしてくれる人間の方のカーナビ。…………人間の方って意味が分からないけれど、それでも実際目の横に存在しているのだから仕方がない。僕は噂の幽霊を信じなくとも、遭遇した場合は事実として受け入れるタイプなのだ。


「その何メートル先って結構わかりづらいんだけど、もうちょっとわかりやすくならないの?」


 だからこうして、せっかくの機会なので常日頃の思いをぶつけてみる。


「距離が一番正確なのよ」

「それはそうかもしれないけどさ。十メートルも離れていない信号が並んでると、迷う時があるんだよ。さっきみたいに、次の信号って言ってくれた方がわかりやすくないか?」

「じゃあさ、訊くけどわたしって最新版だと思う?」

「……思わない」


 購入してこの方、カーナビの情報を更新した記憶はない。


「正解。じゃあ次の質問。工事とかで信号が追加されてる可能性は?」

「……ゼロじゃない」

「そういうこと。次の信号とか曲がり角って案内は不正確になる可能性があるの。だから普段は変動しにくい距離で伝えるよにしてるってわけ。オーケー?」

「……オーケー」


 なんてことだ。いかにカーナビが普及した現代といえど、カーナビに論破された人間は世界初だろう。貴重な体験をしてしまった。


「あ、そろそろ目的地だから案内終わるわね」

「待て! 距離の問題は納得したが、これについては異議ありだ! 目的地周辺になったからって急に任務を放棄するな! きちんと最後まで仕事を全うしやがれ!」

「………………」

「自分の都合が悪くなったからって黙るんじゃねえ!」

「……うるさいわね。じゃあ目的地を再入力してくれたら、もっかい案内するわよ」

「再入力しようにも、画面が消えてるんだけど!?」

「あ、今のとこ左だったわよ」

「おせええぇぇぇぇ!!!!」


 そんなこんなでぐるぐると二週して、ようやく目的のラーメン屋にたどり着いた。


「はい、お疲れ様」


 エンジンを切ると同時に、義務感満載で労いの言葉を告げるカーナビちゃん。

 やれやれ、無駄に疲れた気がするけれど、とにもかくにもお楽しみはこれからだ。ずっと口を動かしていたせいで、なおのことお腹は空いている。

 シートベルトを外し、車から出ようとする僕に向かって、


「にんにくは控えめにしてよね。いつもいつもにおいを嗅がされるこっちの身にもなりなさい」


 シートベルトを着けたまま、助手席から動こうとはせずに彼女は言った。

 ……なんだろう。こういった場面に縁のなかった僕だけれど、どうにも彼女を置いていくことに抵抗を覚えた。


「……あのさ」

「ん?」


 なに? と首を傾げる彼女へ向けて、僕は少しばかりの勇気を振り絞って――


「……よかったら、一緒に食べる?」


 生まれて初めて、女性を食事に誘った。


「何言ってんの? カーナビが車から降りられるわけないじゃん」

「……ですよね」


 至極当然の回答だった。


「ま、気持ちだけもらっておくわ。あとで感想を聞かせてくれれば、わたしはそれで満足だから」


 窓から店を流し見つつ、そう言う彼女の表情にはどこか諦めの感情が込められている気がして。


「わかった。じゃあちょっと待って」


 僕はある決意をして、車を後にした。


 ◇ ◆ ◇


「お待たせ」

「あれ? どうしたのよ。やけに早いじゃない」


 十分ほどで戻ってきた僕を見て、不思議そうにするカーナビちゃん。一方の僕と言えば、まだ彼女が存在していたことに安心していた。

 カーナビが人間として存在していることに安心するなんておかしな話だけれど、いてもらわなければ困ったのだ。僕は大食いじゃないからさ。


「ほら」

「…………なにこれ」

「なにって、見ての通りラーメンだけど」

「……これがラーメン」


 そっか。ずっと車の中にいる彼女には、『ラーメン』という食べ物の情報はあっても実物を見たことは無いのか。


「いやー、豚骨ラーメンとゆず塩ラーメンで迷っちゃってさ。なかなか決められなかったんだけど、それなら両方頼んじゃえって思ってね。テイクアウトやっていて助かったよ。でも僕一人じゃ二杯分は食べきれないから、君にも協力して欲しいんだ」


 ダメかな? と訊くと、別にいいけど、とぶっきらぼうな返事をする。

 でも、僕にはわかる。おいしそうな食べ物を目の前にして、目を輝かせていることが。


「それじゃ、いただきます」

「……いただきます」


 割りばしでずずっと麺をすする。彼女は僕の様子を真似して、同じように人生? 初めてのラーメンを口に運ぶ。

 どう? と感想を訊くまでもなかった。運転中、ずっと無表情だった彼女の顔が、だれが見てもわかるほどに変化していた。


「……おいしい」


 それは彼女の言葉か、はたまた僕の言葉か、自分でもよくわからない。

 初めて訪れた店だったけれど、これまで一人でめぐったどのお店の料理よりもおいしく感じたのだ。

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