もう少しだけ、みんなには秘密

あいはらまひろ

もう少しだけ、みんなには秘密



美汐みしお、彼氏のお迎え来てるよー」

「彼氏じゃないって。単なる幼なじみ」

「だったら、さっさとつきあっちゃいなよー」

「だから、そんなんじゃないんだって」

「いいのー? そんなこと言ってると、だれかにとられちゃうぞー」

 もはやお約束となったやりとりをしながら、私はひとあし先に陸上部の部室をあとにする。

「おまたせ」

「おう。じゃあ、帰ろうぜ」

 そして夕闇が迫るグラウンドで亮太と落ち合い、一緒に学校を出た。


 私たち、成海なるみ美汐みしお長谷部はせべ亮太りょうたは、いわゆる幼なじみ。同じ団地で育ち、同じ公園で遊び、同じ小学校に通って、同じ中学に入学した。今年の春で中学2年生、幼なじみ歴14年の関係だ。


 中学で私は陸上部、亮太は美術部に入った。

 部活のある日は帰りが遅くなるし、通学路は街灯が少なくて薄暗い。そこで親同士の取り決めにより、部活のあとはふたりで一緒に帰る約束になっていた。


 亮太とはクラスが違うけれど、今でも仲はいい。

 本やゲームの貸し借りをしたり、夜中にくだらないメッセージを送りあったり、買い物につきあってもらうこともある。

 お互いに性格もよくわかっているから、一緒にいて気が楽だし、信頼もしている。もし困ったことがあれば、私はだれよりもまず亮太に相談するだろう。


 そんな関係だから、他の男の子よりも親しいのはたしかだ。

 それを見て、まわりがつきあっていると誤解するのもわかる。小学生の頃から、こうした誤解やひやかしはよくあることだった。



「亮太。最近、また背伸びた?」

 並んで歩くと、最近少しだけ視線が上に向くようになった。

「4月に計ったら、去年より5センチ伸びてた」

「そんなに? どこまで伸びるんだろーね」

 お互い成長期。亮太は声もいつの間にか低くなって、運動部でもないのに体もごつごつとしてきた。爆発したみたいな、ツンツンした髪型だけは変わらないけど。


「ところで、絵は完成したの?」

「いーや、まだ全然だな」

 亮太は美術部で「夢と未来と宇宙を一晩煮込んだ」とかいう壮大なテーマの絵を描いている。

「たしか、入学した頃に描きはじめたんだよね?」

「そうだよ。今はちょっと放置してて、別の絵を描いてるけど」

「あはは。相変わらずー」


 せっかちな私と違って、亮太はのんびり屋でマイペースな性格だ。でも一度はじめたら、途中で投げ出したりはしない。だから、あの絵もいつかはちゃんと完成させるのだろう。私も「早く完成させなよ」なんてことは言わない。卒業までに完成するといいね、くらいに思っている。


「美汐はどうなんだ。夏の大会、長距離に出場するんだろ?」

「そうなんだけど。ペースランが苦手でね」

「なんだそりゃ」

「決まった速度ペースで走る練習のこと。前を走ってる人がいると、つい速度ペースをあげちゃうんだ。なんか追い越したくなっちゃうんだよね」


「美汐らしいな。だけど、どうして長距離にしたんだ?」

「いつかマラソンを走ってみたいなって思って。長距離走っていると、頭がぽかーんって空っぽになる瞬間があるの。それが好きなんだ」


「ランナーズハイ、だっけ?」

「そう、それそれ。この前も1度、それっぽい感じになって……」

 そうやって話しているうちに、見慣れた団地が見えてくる。

 ひとりで歩くと長く感じる通学路も、亮太と一緒だとあっという間だ。いつも話し終わらないうちについてしまう。


「また明日な」

「ばいばーい」

 今日も話したりない気持ちで手を振って、亮太と別れる。

 こんな関係が、この先もずっと続いていくんだろうな。

 なんて、そんなことを思った。



「美汐さん、ペース速いよー!」

 走っていたら、ふとコーチの叫ぶ声が聞こえた。

 私はあわてて速度ペースをゆるめた。考え事をしていたせいで、うっかり半周先を走っている先輩に追いつこうとしてしまった。

 今日は、練習に集中できなかった。走っていても、心が空っぽになるどころか、いつまでたっても落ち着かない。

 原因は、わかっていた。


『成海さんって、長谷部くんとつきあってるの?』

 ついさっき、隣のクラスの女の子に呼び止められてそんなことを聞かれたのだ。

 目がくりくりと大きくて、長い髪をきれいにまとめた、私とは全然違うタイプの子だった。


『ううん、違うよ。亮太とは単なる幼なじみ』

 私はいつものように否定した。そこまではいつもどおりだった。

『そうなんだ。よかった!』

 私の返事を聞いて、彼女はぱあっと顔を明るくさせた。

 ああ、そっか。

 彼女は亮太のことが好きなんだ。

 そう気づいた瞬間、なぜかモヤモヤとした重たい気持ちが胸にひろがった。そしてそのモヤモヤが、まだ消えずに残っているのだ。


「どした? 今日は元気ないな」

 部活のあと、いつものように亮太と歩く帰り道。ずっと黙ったままでいる私に、亮太が心配そうに言った。

「なんか疲れちゃって」

 重い口を開いて、やっとの思いでそう答える。胸のモヤモヤはまだ消えない。あの女の子のことも言ってはいけない気がして、私はなにも言えなかった。


「そっか。まあ、そんな日もあるよなー」

 そう言うと、亮太はそれっきり黙った。

 亮太は優しい。こうやって相手の様子に気づいて、優しい言葉をかけてくれる。

 そんな亮太のことを好きになる子がいても不思議じゃない。いや、私が気づいていなかっただけで、今までもどこかにいたのかもしれない。

 そう考えると、胸のモヤモヤはますます重みを増していった。


「また明日な」

「うん」

 結局それっきりなにも話さないまま、団地についてしまった。

 見送る亮太の背中が、少し遠くに感じた。



『好きなら、デートに誘っちゃいなって』

『でも、告白するのが先なんじゃない?』

『どっちでもいいから早くしなって! 他に狙ってる子いるかもよ?』

 休み時間、後ろからそんな会話が聞こえてきくる。


 私は恋愛に興味がない子と思われているのか、あまり恋バナには誘われない。別にそんなつもりはないんだけど、今は勉強と陸上でいっぱいいっぱいで、それ以外のことを考えている余裕がないっていうのが正直なところ。


 そんな私の耳にも、恋のうわさ話は入ってくる。告白したとか、デートしたとか、手をつないだとか、その他いろいろと。でも、あれから2週間が過ぎているのに、亮太のうわさは聞こえてこなかった。


 あの子は、亮太に告白したのかな。

 もし告白したのなら、亮太はなんて答えたのかな。

 もしふたりがつきあうことになったら、もう一緒に帰ることもできなくなるのかな。

 ずっと消えない胸のモヤモヤをもてあましながら、私はそんなことをぐるぐると考え続けていた。


 あの日から、私は亮太のことを避けるようになっていた。

 約束があるから、部活がある日は亮太と一緒に帰っている。でも亮太の口から、あの子の話を聞きたくなくて、なるべく会話が続かないようにした。本やゲームの貸し借りも、夜中のくだらないメッセージも減った。この2週間で、亮太との距離はどんどん遠くなっていった。


 だれにも相談できなかった。

 あれだけ亮太との関係をキッパリと否定してきて、今さらだれにも言えなかった。

 私はひとり悩み続けて、そうしてさらに1週間が過ぎた。



「よお、美汐」

 校門を出たところで、聞きなれた声が私を呼び止めた。

 さすがに無視できなくて足を止める。

 油断した。まさか部活のない日に、亮太が待っているとは思わなかった。


「ちょっと時間あるか? 帰りに公園に寄っていこうぜ」

 軽い口調だったけれど、その目は真剣で、断れる雰囲気ではなかった。

 私はこくりと小さくうなずいた。


「団地の公園に飽きると、よくここに来たよな」

 私たちは通学路沿いにある、大きな公園に立ち寄った。団地の公園よりも広くて遊具もたくさんあって、子どもたちには人気の公園だ。

 木陰になった隅っこのベンチに並んで座る。夕方の太陽が差し込む広場で、子どもたちが鬼ごっこをしていた。


「なあ、美汐。どうして俺のこと避けてるんだ?」

 亮太はなんの前置きもなしに、いきなり本題に入った。

 私はドキリとした。

 それから、亮太らしいな、とも思った。


「俺、なんか怒らせるようなことした?」

「……してない」

「よかった。まあ美汐は怒ったら、まずパンチだもんな」

「それは昔の話でしょ」

 私は少しだけ笑った。

「じゃあ、なにがあったんだ?」


 そうだよね。

 もし困ったことがあれば、私はだれよりもまず亮太に相談するんだから。

 もうなにもかもぜんぶ、正直に打ち明けてしまおう。

 私は覚悟を決めた。


「亮太、だれかに告白された?」

 私も前置きはやめて、ズバッと本題に入る。

 亮太がはっと驚いた表情でこちらを見た。久しぶりに間近で亮太の顔を見た。


「あー、その話か。でもなんで美汐がそれ、知ってんだ?」

「それはどうでもいいから。それでどうなの? 告白されたの?」

「……されたよ。一昨日おとといの放課後、中庭に呼び出されて」

「それで? なんて返事したの?」

「断った。無理だって」

 その一言を聞いて、緊張していた力がふーっと抜けた。

「そっか」

 よかった、とでかかった言葉をギリギリで飲みこむ。


「いきなり、つきあってください、なんて言われても困るよな。相手のことよく知らないのに、そんなの無理だって」

「もし相手のことよく知ってたら……つきあった?」

「どうかな。それでも断ったかもな」

「どうして?」

「つきあうとか言われても、それでなにすりゃいいの?って感じだし。それに、もしだれかとつきあって、それで美汐と一緒に帰れなくなったら嫌だなって思って……」


 なあんだ、亮太も同じことを考えてたんだ。

 そう思ったとたん、胸のモヤモヤがふわっと消えた。そして抱えていた気持ちが、さらさらと言葉になってあふれだした。


「私も同じこと思ったよ。もし亮太の隣にあの子がいて、もう一緒に帰れないって言われたら嫌だなって。それに、よかったねって言える自信もなかった。だから告白の結果が知りたくなくて、それで亮太のこと避けてたんだ……」

「なんだ、そういうことか」

「亮太はなにも悪くないよ。ごめんね」

「いいよ、別に」

 亮太は照れくさそうに頭をかく。

「俺、美汐と話してるときが一番楽しいよ。つきあうとか言われてもよくわからないけど……もしだれかとつきあうなら、相手は美汐がいいなって思うし」


「……え?」

 一瞬、言葉の意味がわからなかった。じわじわと遅れてその意味がわかって、私の胸はドキドキと痛いほど高鳴った。でも亮太は平然としていた。自分がなにを言ったのかわかっていないみたいだった。

「だったら、つきあおうよ。私たち」

 私は我慢できなくて、気づくとそう言っていた。

 あのモヤモヤの正体も、このドキドキの理由も同じだ。今頃になってやっと気づいた。私はとっくに亮太のことが好きだったんだ。


「いや、もしもの話だって」

「じゃあ、今がそのもしもだよ! だって私も同じだから。もしもだれかとつきあうなら、相手は亮太がいいなって思うよ」

「……俺と美汐が、つきあうの!?」

「どうする? やめとく?」

「いや、だから、なんで?」

「これからも亮太と一緒に帰りたいから。一緒に遊んだり、くだらないメッセージを送りあったりしたいから。それが理由じゃダメ?」

 もう後には引けない。私は亮太の目を見て、強気で攻めた。


「それなら、まあ……いっか。なんか、よくわかんないけど」

「いいよ、よくわかんなくても。はい、じゃあ決まり」

 言い終えると、お腹の底から小刻みな笑いがこみあげてきた。私は笑いがこらえられなくて、思わず吹きだしてしまう。


「なんで笑ってんだよー」

「ごめん。なんか、おかしくて」

 よくわからないけど、なんて言う相手に、じゃあ決まりなんて押し切って。告白ってもう少しロマンチックなものだと思ってたけど、これじゃいつもの私たちと全然変わらない。でも、それも私たちらしくていいのかもしれない。


「なんだよ。美汐、笑いすぎ!」

 亮太の頬も、私につられてぴくぴくと震えている。

「亮太だって、笑ってるし!」

 とうとう亮太も吹きだして、私たちはお腹を抱えて笑いだす。

 そんな私たちを、鬼ごっこをしていた子どもたちがきょとんした顔で見ていた。



「ねえ、亮太ー」

「なんだ?」

 私たちは笑い疲れて、ベンチにぐったりとよりかかっていた。


「このことはもう少しだけ、みんなには秘密にしようよ」

「いいけど。なんで?」

「私たちがつきあってるって知ったら、絶対みんな大騒ぎになる」

「たしかに、面倒そうだな」

「それに、まわりにかされるのは嫌だなって思って」

「そうだな。それは俺も嫌だよ」

 まわりに「まだ手もつないでないの?」なんて言われたら、あせって手をつなごうとしちゃうかもしれない。でもそれは、なんか違うと思う。


 一緒に帰って、本やゲームの貸し借りをして、くだらないメッセージを送りあって、たまに買い物につきあってもらう。今はそれでいい。

 そのうち、なにか変化もあるかもしれない。

 耳に入ってくるうわさ話のおかげで、私も告白のあとに続くいろんなことを知っている。でもそれは、まだ先の話。これからゆっくり考えればいい。


 長距離走と同じで、先をいそいだら途中で息切れする。

 この恋、リタイヤなんてしたくない。

 でも亮太の絵みたいに、いつまでたっても進まないのも困る。

 だからまずは、せっかちな私とマイペースな亮太の、ちょうどいい速度ペースを見つけることからはじめよう。


「そろそろ、帰ろうぜ」

「うん」

 亮太の隣に立つと、いつもより距離をちょっとだけ縮めてみた。もう少しで手が触れそうな、そのほんのちょっと手前まで。

 また、胸がドキドキしはじめる。

 でもまだ手はつながない。それは、次の機会に。


 これは、私たちの恋だから。

 14年かかってはじまった私の初恋だから。

 大切にしたい、かされたくない。

 だからもう少しだけ、みんなには秘密。

 私たちが私たちの速度ペースで歩き出す、その時まで。



 おしまい

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