1-3
雨雲の切れ間に差しかかったのか、雨が止んだ。幾重の厚い雲の間から光がこぼれて、彼女の白髪をさらに白く見せる。
彼女──
真っ黒なライダースーツの左胸に刻印された銀の旭紋は、彼女が警察の人間である証。
府警警備部特殊機動隊、白鳥はその中でも実質エース格として頭角を現している。
少しでもハンドリングを誤れば腕1本飛びかねないワイルドな着地をしてみせたにも関わらず、ヘルメットを脱いだ彼女の顔は涼しいものだった。
情動は揺れず、汗ひとつ流さず、彼女は拘束対象の動きを冷静に観察する。
白鳥が前方に現れたことで、男は一気に減速した。その両手はブレーキグリップをしっかりと握り込んでいる。
それを見計らって、白鳥は指先に3本の細い
3本を地面に突き立てた。
次の瞬間、金属同士がぶつかるのにも似た音がして。氷が地面を抉るように膨張。
3つの始点から、白い稲妻がコンクリートを駆け抜ける。
霜を舞い上げながら、収束するのはただひとつの獲物へ。
──回転の緩やかになったネイキッドバイクの前輪へ、喰らいついた!
ブレーキグリップから手を離せない男は反撃の手段を持たない。《COLOR》は、人間の身体で最も器用に動かせる「手」を起点に発動するからだ。
ネイキッドバイクは白鳥の氷によって、完全に地面に固定されてしまった。
男は舌打ちをして、バイクから飛び降りると、再び手を掲げて宙に3つの円を生成する。そして、苛立たしげに振り下ろし、3つの円を同時に発散させる。球は四方八方へ運動エネルギーを纏って飛び散る。
が、男の反撃に備えていた白鳥の氷壁に、またもや全てが砕かれた。
「……すげぇ」
隣で青太が思わず嘆息するのが聞こえた。それはそうだ。弟として贔屓目を抜いても、白鳥は特別なのだから。
《COLOR》を持っていても、全員が強大な力を得られるわけではない。大抵は自分の手のひらより少し大きい程度の物体しか生成できないし、他より適正の高い
だが、その中にも1割ほどの例外は存在する。そして白鳥は、例外の中でも特例的だ。
白鳥は自身の体重の2倍、3倍はある氷を一瞬で創造できる。一般人とは物量が桁違いなのだ。
それが──もちろん、理由はそれだけではないが──彼女を若くして精鋭揃いの機動隊のエースたらしめている。
「……でも2人とも、あんなに《COLOR》を使って疲れないのか? あれだけの生成量と生成スピードだと、体力の消耗もかなり激しいよな」
「見た目ほど出力はしてないんだろうね。姉さんも、相手の《COLOR》をちょうど打ち消せるだけの出力で抑えてるはずだよ」
「姉さん?」
青太が少しにやっとしてこっちを見てくる。察してたくせに、と思いつつ、照れ隠しに咳ばらいをひとつして、飛鳥は再び戦闘を繰り広げる2人へと目を向けた。
ふと感じた違和感には、気付かないふりをして。
青太の言うとおり、《COLOR》の行使は身体的疲労につながるらしい。そもそも物体の生成には体力を使うし、それをコントロールするには集中力が削られる。手のひらや指先から生成物を放てば、銃と同じように反作用で肩や腰にダメージが蓄積する。
だからこそ《COLOR》は使い方が重要になる。男は直径1センチほどの小さい球体に速度を与えることで、物量という弱点を補強している。対する白鳥も、体力や気力を温存するため、相手が放つ質量✕運動エネルギーをちょうど相殺するだけの防御壁で守りに徹底していた。
もし白鳥が男への攻撃へ転じたら、力量の差ですぐに男を制圧できるだろう。
しかし、彼女はそうしない。
彼女の任務は現行犯を叩きのめすことではなく、善良な市民を守り、街の施設や公共物を保護し、対象を捜査一課へ引き渡すために五体満足で拘束することだからだ。
辺り一帯で氷が砕け、細雪が降っている。雨粒を含んだ大気の中で、それらは日の光で白く煙って見えた。
《COLOR》のコントロールが徐々に荒くなって、男が焦っているのが素人の飛鳥にも分かった。
一方の白鳥は、やはり表情を一切崩さない。金色の目で、男の一挙手一投足、呼吸のひとつすら逃すまいと彼を見据えている。
その時、男は天高くを掴むように、最も高い所へ手を掲げた。男の乱射と白鳥の迎撃で、空間は既に白い粒子で互いの姿をくらませていた。
そんな中で、男はバベルの塔を積み上げるように、天上に向かって5つの円を創造する。そして、手を振り下ろすのではなく、手のひらを白鳥へ向けると、ぐっと握り締めて──全体重を乗せて拳ごと打ち込んだ。
それは散弾銃の如く、飛び散りながらも一点の目標へ貫いていく。
狙うのは、静かに手のひらを正面に向ける、白鳥の剥き出しの頭部へ。
彼女の頭蓋骨を砕かんと、5つの連撃が襲い掛かる。
「あっ」と青太が声を漏らした。
悲壮の声ではない。何かに気付いたような声だった。
飛鳥も、白鳥の前に薄い壁が生成されていくのを見ていた。まるでパラボラアンテナのように湾曲した壁。
男は何も気付いていないのだろう。彼らのいる空間は白くぼやけているから、白い壁が形成されるのに気付けない。
だから推察できないのだ。なぜ白鳥が、危険を顧みずフルフェイスヘルメットを脱いだのか。
だから予想できないのだ。パラボラアンテナの壁に、散弾がぶつかればどうなるか。
だから自覚できないのだ。渾身の必殺技が、すべて白鳥の策略において誘発されたものであることが。
球が衝突し、破裂した刹那。白鳥は瞬間的に《COLOR》の出力を上げ、球の弾雨を跳ね返す。
パラボラアンテナで受け止めた球は、一点に収束して反射し、男に向かって飛んでいく。その運動エネルギーを利用して、壁は跳ね返る球を呑み込み、氷の柱となって男への方向へ突き抜ける。
そして、始点である男の右手を氷漬けにした。
そのまま右腕、右肩、右脚、左脚と氷で侵食し、最後にはネイキッドバイクと同じように、男の身体を地面に拘束する。
男は観念したのか、それ以上は抵抗しなかった。白鳥は男の様子を確認すると、柱部分の氷を解除し、耳に装着された通信機に二、三言話しかける。
その後は早かった。他の機動隊員がバイクに乗って急行し、男の手に《COLOR》発動防止用のグローブと手錠をはめ、パトカーに乗せる。規制線が撤去され、信号機が元の3色を点灯させると、道路には車両が戻ってきた。
間もなく、飛鳥たちのスマホにも規制解除のメールが入り、他の生徒たちもほっとした様子でそれぞれ帰途につき始める。
「……意外と呆気ないんだな」
「まあ、警察も地域住民も慣れてるからね。さすがに、ここまでの規模の戦闘は見たことなかったけど」
「慣れてる、かあ」
青太は複雑そうな顔をして、平穏を取り戻した街並みを見ていた。
たしかに、本来なら、こんな暴力行為そうそう発生してはいけない。けれど2ヶ月ほど前、ちょうど新年度になったあたりから、
最初は一つ一つの事件が発生するたびに、街には緊張の糸が張り詰めていた。それが事件が続けざまに発生し、警察の連携体制が強化されるほど、皮肉にも街は非日常を受容していく。
──最近、いやに暴力事件が多いのよね。
──それも、学生が巻き込まれたり、現行犯が学生だったりすることが多くて。
──飛鳥も十分に気を付けてね。
夜のニュース番組を見ながら、夜勤の支度をする白鳥にそう言葉をかけられたのを思い出した。
その時は、分かってるよ姉さん、と小さな胸の痛みを飲み込んで答えた。
「うわ、もう結構な時間になってるな」
「ああ、本当だね」
「早く帰らないと……瀬川もこれから帰るのか?」
「うん。塾があるから、駅から電車じゃなくてバスに乗るけど」
「そうなんだ。それなら、駅まで一緒に行こうぜ」
一瞬、逡巡する。
青太のことが嫌なわけじゃないが、ずっと一緒にいると息ができなくなりそうなのだ。特に、その深海のような黒い瞳に見つめられると。
とは言え、これからしばらくは隣同士になるのだし、彼のことを知っておくのはいいかもしれないなと思った。
それで、彼の黒い髪と黒い目が生まれつきのもので、彼がそうなのだと分かれば、これからはいいクラスメイト、いい友達としてやっていけるかもしれない。
水島は優しくていいやつだから、きっと友達になれたら楽しいだろうな。
飛鳥は『少女』と出会うまでは、心の底からそう思っていた。
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