1-2
放課後に雨は本降りになった。雨雲は分厚く、しばらくは晴れないだろうと思えた。
雨の線が音もなく、色褪せた校庭に降っていた。
「瀬川、体調悪いのか?」
通学鞄に荷物をまとめていると、飛鳥の顔を見ていた青太が首を傾げて尋ねてきた。
「いや、元気だよ。どうして?」
飛鳥は小さく息を吸って、努めて、笑顔を作る。それでも青太の目を直視することはできなかった。
「なんか、英語の授業の後から、ずっとぼんやりしてただろ。授業とかいつも真面目に聞いてるから、珍しいなと思ってさ。だから、もしかしたら体調悪いのかなって」
「ああ……ちょっと疲れてるのかな。でも平気だよ」
「そっか。ならよかった。お大事に」
一応な、と付け加えて、青太がにこりと笑う。優しいやつなんだろうな。けれど、これ以上彼と言葉を交わすのは苦痛だった。
飛鳥はいつもより早く帰り支度を終えて、椅子を入れる。その時、スマホが短く鳴った。飛鳥のだけではない、教室に残っている生徒や廊下で駄弁っていた生徒の鞄の端末、そして青太が右手に持っているスマホが、一斉に同じメール着信音を告げたのだ。
「……最近、警戒メール多いな」
「そうだね」
どこか溜息混じりの青太に小さく相槌を打って、2人は慣れた手付きでメールの文面を確認する。飾り気のないシンプルな文面には、事実だけが淡々と示されていた。
16時ごろ、《COLOR》を使用した暴力行為が発生。機動隊が現場に臨場する。
「『警戒区域として、東西は大華駅前交差点から鏡大附属高校前交差点を指定』……、すぐそこじゃないか」
青太が驚いたように、窓の外を確認する。飛鳥も
全ての信号機は、すでに警戒色を灯している。誰一人としてその中へ侵入してはいけないという合図だ。路上を走行していた車も、警戒区域から出ようと次々に脇道へ逸れていく。
「でも、何も聞こえないよな」
「かなり広めに警戒区域を指定するからね。ここまで戦闘音が聞こえるってことはないと思うよ。交通規制を敷くのは、民間人の安全を守るためだけど、もうひとつ──」
飛鳥が続きを話すより早く、警察のサイレンと鋭いエンジン音が、そこにいる全員の注目を集めた。
規則正しく並び立つ警戒色の光の中を、水飛沫を巻き上げながら3台編成の白銀のバイクが貫いていく。飛鳥はその姿を、憧憬の眼差しで追った。
「機動隊の現場急行を妨げないためでもあるんだ」
暴力行為に及んだ『有色』の《COLOR》については、3分後に新着情報が入った。
曰く。
直径1センチの物体を生成し、四方へ乱射する能力、と。
◆
およそ50年前、人々は突然不思議な力を手に入れた。
それは何もないところから物体を生成する力だった。固体、液体、有機物、無機物、プラスチック、水泡、雪の結晶、火の粉、と人によって生成できる物も様々だ。
元々は、海外から輸入された遺伝子組み換えの小麦が原因だったらしい。日本人の体質上消化できず蓄積された物質が病気を引き起こし、病気に対する抗体が能力の発現を引き起こしたというのが現在主流の学説だ。
しかし、人によって違うからこそ体系化するのが困難で、研究は数十年に渡って難航している。だから今でも、その力の大部分が謎に包まれているのだ。
ただ、現段階で明確に証明されていることが2つある。
1つ目に、その力はほとんど必ず親から子へ遺伝するということ。だから、若者のおよそ全員がその力を持っている。
2つ目に、その力は人体の色素に変化を与えるということ。髪の毛や瞳が、黄色人種のそれではない色へ変化する。
しかも、巨大な物量を生成したり、それを自由に形状変化させたり──要は、その力を意のままに操れる人間ほど、色彩は一瞬で網膜に焼き付くほど鮮やかになる。
――
それが、人間が新たに手にした力の名前で。
それを持つ人々を
◆
警戒メールが鳴り止まない。
飛鳥たちの通う私立鏡大学附属高校の校舎も警戒区域内に指定され、飛鳥と青太は校外へ避難を余儀なくされた。
外には「KEEP OUT」の規制線が張られ、物々しい雰囲気の中、さっきまで好奇心から大華駅方面を覗き込んでいた生徒達も大人しく警官の指示に従っている。
飛鳥も流れに沿って歩きながら、しかし片手では、マスコミの公式情報発信アカウントをしきりに確認していた。絶えず更新されていく情報の中に、けれど飛鳥の見たい姿はなかった。『彼女』の管轄は隣の市だから、まだ現場へは臨場していないのかもしれない。
ふと、画面に夢中になるあまり、青太の背中にぶつかってしまった。飛鳥が「ごめん」を口にするよりも早く、青太が振り返る。
「瀬川、大丈夫? ごめん、歩くの遅かったか?」
「大丈夫。ちょっとよそ見してた」
「そっか。何か気になることでも」
突如。
キィン、と甲高い音がその続きを断ち切った。
同時に、足元が
どうしたの、と飛鳥が理由を訊く前に、さらに高音が2つ3つと連続し、響き渡りながら空気を冷やしていく。
全員の視線は一斉に後方斜め上空へ吸い寄せられ、そして、その美しさに目を瞬かせた。
空中に、ダイヤモンドダストが煌めいている。
静かな雨の中、雨雲を透過したわずかな日の光と、大気に充満する水の粒を含んで、ビルとビルの間に真冬の細氷が輝く。
誰もが息を呑んで、揃ってその光景に見入った。
ああ『彼女』だ、と飛鳥は確信した。体温が少し上がって、傘の柄を握る手にぎゅっと力が入る。
眼の前の大通り、大華駅方面から2台のバイクが姿を現す。一方は市販のネイキッドバイクに乗った男、もう一方は白銀のバイクに乗った全身ライダースーツの人物だった。
ネイキッドバイクの方が手のひらを上空へ掲げると、宙に細い円が描かれる。否、それは小さな直径1センチほどの球が円状に並び、公転するように高速回転しているのだ。
そして、男が手を振り下ろすと同時、円に整列していた球が四方へ飛散する。球は発射の勢いのまま、ビル群の壁やガラス窓の方向へ貫通する。
しかし『彼女』はそれを許さない。
球のさらに外側を包囲するように、白い大円の帯が一瞬で展開される。突然眼前に出現した帯を前に、球の時速はゼロへ。北風のような断末魔と共に1つ残らず粒子に還る。
その粒子すら包み込んで、彼女の生成した白い氷の残滓が、砕氷が道路に降り注いだ。
『彼女』は止まらない。男の追撃の生成が遅れた隙に、エンジンを唸らせ急加速。氷が綻び、白い粒子が落ちて消える前に再生成、地面から天へ駆け上るように氷の帯を形成すると、上体を低くしてそれに車体ごと突っ込む。
無抵抗の滑走路は、スマートな車体を空へ押し上げた。
『彼女』は速度超超過で走行する男の上を飛び越えて、そいつの目の前へ躍り出る。ブレーキではなく、ハンドリングとラジアルタイヤの摩擦で無理矢理バイクを止めると、フルフェイスヘルメットを脱ぎ捨てた。
まるで白鳥が翼を広げるように、彼女の白い長髪が背中に流れ落ちた。長い睫毛に縁どられた美しい金色の瞳は、強い光を湛えて、真っ直ぐに男を睨みつける。
飛鳥はそんな彼女に見惚れながら、しかしこめかみのあたりに青太からの視線を感じていた。
聞かずとも、その理由は分かっていた。
府警警備部特殊機動隊のライダースーツを身に纏った彼女の、白い髪に金色の目。
それは、飛鳥とお揃いの色だからだ。
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