1-8

 目の前の海黒と、背後の人影。

 前後から同時に放たれた攻撃に、青太は手を横凪一閃に払う。彼の手を追うように宙に波が生まれ、清流が飛鳥たちを包み込む。

 それは、鉄の弾丸と背後の男が放つ斬撃を相殺して、水が弾ける。

 その時、水の中に秘めていた青い光が閃いて、海黒と男は思わず目をつむった。


 青太はその隙に、飛鳥の手を引いて挟み撃ちの間から抜け出す。しかし、土地勘がないのか、彼の足先はどこへ向かえばいいのか迷っているようだった。


「水島、こっちだ」

「道知ってるのか?」

「さっきマップで見たから」


 引っ張られていた腕を今度は引っ張るようにして、飛鳥は大通りから逆方向へ向かう。旧世継商店街を挟んで大通りの真反対にも、幅の広い一般府道がある。大通りよりは静かだが、そちらにも人通りがあるだろう。それに。


「……多分、こっちに行けば警察がいるはずだ」

「警察……?」


 どうしてそんなことが分かるのか、という顔をする青太に、飛鳥はポケットからスマホを取り出して画面を見せた。

 地図はエリアごとにグラデーションで色分けされ、吹き出し内の数字が一定間隔で更新されている。

 

「府警察の出動情報が見られるアプリ。といっても、今は暴動が発生したら一律で警戒メールが送られてくるから、知らない人も多いけど」


 日本で《COLOR》を使用した犯罪が増え始め、府警警備部に、精鋭の有色coloredで構成される対有色coloredの特殊機動隊が新設されたのと同時期にリリースされたアプリケーションだ。飛鳥が危険な目に遭わないように、と飛鳥を案じる白鳥から、インストールするよう勧められたもの。

 ついさっき、一般府道方面の地区の数字が1つ増えた。何かしらの事件があって、パトカーが出動したのだろう。だから、そちらへ行けば警察と出会える可能性が高い。

 真剣な眼差しで前を見る飛鳥の横顔に、青太は小さく微笑んだ。


「……やっぱり、さすがだな」


 そう言って、力強く飛鳥の腕を握り直す。

 嫌味でも何でもない、ただ純粋な尊敬の言葉だった。けれど飛鳥はどうしようもなくいたたまれなくなって、返事ひとつできなかった。


 しかしその時、2人の間を割くようにして、鉄のやじりが飛来する。

 咄嗟に青太は手を離して飛鳥を逆方向へ押し、それを回避する。

 2人はバランスを崩してアスファルト上に倒れ込むが、すぐに上体を起こして、周りを確認する。海黒の姿は見えない。だが、後方から体重の軽い足音がするのが聞こえた。

 彼女の射撃性能は厄介だ。さっきは鏃が纏う風が頬を掠めただけだったが、照準が僅かにでもずれていれば、きっとどちらかの肌を裂いていた。

 それに、この暗闇では、彼女の黒鉄を目視できない。


 外は危険だと飛鳥は判断して、青太に目配せすると、横道の空き店舗内に身を潜めた。

 2人は放置された家具の陰に身を隠し、外の音に聴覚を集中させる。

 ぴん、と危うい緊張の糸が張り詰める。

 間もなく、海黒の足音がして少しの間止まった後、どこかへと遠ざかっていった。


「行ったか……?」

「ひとまずは、そうみたいだね」


 緊張が少し解けると、心拍数も少しだけ緩やかになる。とはいえ、警察が署に戻る前に府道の方に移動しなければならない。飛鳥はすぐに気を引き締め直して、店舗外の様子を確認する。

 青太も飛鳥にならって周囲の状況に目を向ける。けれど、落ち着きのない様子で、しきりに右手を開いたり握り締めたりしていた。《COLOR》を連発していたから、手に痺れでも残っているのだろうか。


「……そういえば、さっき海黒さんが言ってた『心の揺れは《COLOR》に直結する』って、本当なのかい。僕は聞いたことがないんだけど」


 飛鳥が知る限り、《COLOR》と精神状態の相関関係が語られたことはない。身体が不調だと《COLOR》も低出力になる、という説はあるが、心の揺らぎがそれに関係しているなんて聞いたことがなかった。

 青太は飛鳥の問いに、困ったように眉を下げた。


「確証はないんだけど、そんな気がするんだ。……本当は《COLOR》を使うのも、怖いんだ」

「怖い……?」

「──昨日、無色colorlessはそんなにだめか、って言っただろ」


 美しい《COLOR》を以て飛鳥を助けた青太が、あの時、最後に呟いたその一言。


「瀬川を嫌な気持ちにさせておいて、こんなこと言ったら、もっと嫌われるかもしれないけど。でも、本当は、自分が有色coloredであることがいやなんだ。《COLOR》が暴走することがあるんだ。力ばかりが強くて、オレの手には負えなくて……いつか誰かを傷つけるんじゃないかって、怖かった。《COLOR》を使うのが怖かった。そんなモノが自分の中にあるのが怖かった。人を傷つけるような力なんて欲しくなかった」


 飛鳥は何も返さない。

 青太はまるで、見えない何かに許しを請うように、話し続ける。

 飛鳥が思うより、彼は臆病だった。そして、そんな恐怖を抱えながら、昨日も、今も、自分を助けようとしてくれる青太はきっと――。


「……それでも、瀬川が傷つかないようにオレが戦うから、だから……オレの手を、振り解かないでいて」


 カラーコンタクトの黒では隠しようもない鮮やかすぎる青色が、真っ直ぐに飛鳥を見つめる。

 その色が飛鳥の心を苛むことを、彼はきっと理解できない。

 彼は清廉な水を生み出せるというのに、飛鳥の喉は渇いて、呼吸ができなくなりそうだった。

 それでも、何か言わなければと、飛鳥は小さく息を吸った。


「みぃつけた」


 だが、2人が聞いたのは、彼らのものではない別の声だった。

 裏口から侵入された、と察するがもう遅い。ソイツはドアを蹴破ると、手にした刀を大きく振りかぶる。切先の向こうにいるのは、飛鳥だ。


「危ない!」


 瞬時に青太が水泡を撃つ。その歪な刀身を叩き、軌道を逸らす。刃が飛鳥の体側を過ぎ、床に突き刺さる。衝撃でそれは中ほどでばきりと折れるが、ソイツは気にせず、再び振り上げた。

 粒子を纏いながら、刀身が再形成されていく。否、元ある刀身が膨張して、同じ形に形成しているのだ。

 ソイツの手元を見れば、握られているのは刀の柄ではなく、ナイフのグリップだった。おそらく、既存の物質の形質を変化させる《COLOR》だろう。


 ソイツは続けざまに刀を振るう。飛鳥は寸でのところで見切って、足一歩分でかわす。

 刀は荒い残像を描いて、床にぶつかり、簡単に砕ける。ナイフの刃を何度も無理矢理引き延ばせば、その分強度が失われるからだ。根元近くから折れたソレをまた伸ばすには、時間がかかる。

 ソイツが刃を形成するインターバルを狙って、2人は店外へと走り出した。


 多分青太だけなら、ソイツをいなすことは容易い。けれど、無色colorlessの飛鳥が身を守る手段を持たないから、一刻も早くここから離れなければならなかった。

 だが2人を追うソイツは、刀での追撃の代わりに、首から提げたブザーに手をかけた。

 瞬間、パトカーのサイレン音に似た音がけたたましく鳴り響き、闇を震わせる。


 ──そもそも、岬海黒が1人で行動するのは合理的ではない。

 彼女は《COLOR》を、拳銃を撃つのと同じように使う。だから、標的に動き回られると面倒なはずで、屋内だとか狭いところに相手を追い詰めるはずだ。

 もしくは。


 飛鳥と青太の前方に巣食う闇から、3つの散弾が貫く。

 1つ、青太の水泡で撃ち落とす。

 1つ、連撃する水泡で軌道を逸らす。

 1つ、上空から放物線を描きながら飛んでくる鉄塊が、防ぎきれず青太の腕を斬りつけた。


 痛みで顔を顰める青太を見て、飛鳥は自分の軽率さに歯噛みした。

 少し考えれば予測できたはずだ。

 海黒は標的の動きを封じるために、挟み撃ちをしてくる。だから、必ず2人1組で行動するし、離れないように動く。


 退路を封じられた飛鳥たちに、海黒は純黒の弾幕を放った。

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