『最強』の弟子5

「「「「「GUGYAAAAAAA!」」」」」


 馬鹿か、阿呆か。

 逸希に【大狼】と【大鼠ラット】合わせて五匹が一斉に襲い掛かる。彼の周囲の張りつめた空気に耐えられなかったのか、溢れる恐怖を振り払うように鬼気迫る雄叫びを上げながら。

 それが魔獣達の最期の言葉になることも知らずに。


 リンッ。鈴の鳴る音。それは刀の柄頭に吊っていた銀の鈴が揺れた音であった。

 彼が母から送られた思い出の品であるそれが。それらに対する手向けであった。

 ボトボトボトと肉が床を叩く音が、彼の周囲を取り囲むように響く。後に残ったのは魔獣であった肉片が五つ。

 逸希は刀を一度体の前で左右に振るい血糊を飛ばし、抜いた刀を鞘にもどした


「おい、本当に七か月か?」


 俺は隣の相方に再度確認する。


「はい、間違いないですよ」


 彼女は眼を細め、舌なめずりする。絶好の餌を前にした肉食獣の顔。端正な顔であるにも関わらずその顔は彼女によく似合っていた。


「たった七ヶ月でのか。あの域に」


 その横顔に頬を引き攣らせながら俺は言葉を続ける。


「凄いでしょう、まだは斬れませんが、今でも十分強いですよ」


「……だろうな。———ん?」


『反応アリ、敵影多数———』ブツッ


「どうかしました」


「はあ、どうやらマズイ事になりそうだ」


 俺は漣との会話を切り上げる。今脳に直接送られてきたのは索敵用の式神からの信号だった。式神からの信号は途絶えていることから、既に式神は破壊されていることが分かる。


(確か今の式神を放ったのは……)


 対角線上に眼を向ける。そこにあるのは四つあるうちの通路の一つ。出口とは反対に位置する、下の階層へ続く通路であった。


 「数は?」


 必要最低限の問い。

 俺は袖から取り出した《符》を手放す。ゆらゆらと宙を揺蕩い、枯れ葉のように地面に優しく落下した。トンと一度左足のつま先で《符》を叩く。同時に《符》から周囲に音と【霊力】の波が伝播する。音響と【霊力】の反響による二重仕掛けのエコーローケーション。


 「半径二百以内に一八四匹。明らかにこの層じゃない魔獣ヤツも混ざってるな」


 「成程、第一波はどれ位で来そうですか?」


 「二秒後」


 俺の言葉に狂いは無く、言葉を発した二秒後。

 奥の通路から【迷宮虎ダンジョンタイガー】が飛び出した。一番近くにいたローブを纏った少女に向かって。

 



 「———ぇえ?」


 少女が眼にしたのは大きく開いた顎。鋭くとがった牙はそれが肉食獣であることを示唆し、今この瞬間にも己の頭をかみ砕こうとしていることが分かった。


 今まで遭遇したことが無い状況。

 現在の自分程、絶体絶命という言葉が似合う者はこの世界に居ない。そう確信できた。

 何もかもが手遅れ。詠唱は間に合わず、仲間のカバーも届かない。


 「喩紗ゆさ!」


 その声はひどく遠くから聞こえた気がした。

 実際は五メートルも離れていないのに。この時の親友の切迫した声はとても小さく聞こえた。

 視界が暗くなる。死という現実から眼を逸らすように。指先が冷たくなり身体が強張る。


 「……あぁ」


 私はその時死ぬはずだった。


 「【一刀花弁・枝垂れ桜Cherry blossoms】」


 しかしその運命を断ち切る者がいた。

 何処からか斬撃が【迷宮虎】に向かって降ってきた。言葉の通り、六本の斬撃が垂れる桜の枝を模す。

 それは一斉に虎を撫で、斬撃の軌跡に沿うように別たれた虎はその体を七つの肉片に変えた。

 断末魔などは無かった。いや、そんな猶予など与えられなかった。


 「下がっていてください———」


 死を与えようとした虎は死に魅入られたのだ。


「ぁあ———」


 私の耳に鈴の音色が聞こえた。それだけで小刻みに震えていた足に力が入り、破裂しそうな程に波打っていた心臓が凪ぐ。


「———僕の後ろに」


 彼は私と怪物の軍勢の間に立ちはだかる。

 私と変わらない背丈しかないのに、その背中は何よりも私を安心させた。


「い、彩羽、さん…?」


 いつもは頼りない彼の背中から私は眼を離せなかった。




 【迷宮虎】に続くように通路の奥から次から次へと魔獣が溢れてくる。次鋒で来たのは【小鬼ゴブリン】と【犬頭人コボルト】の二体。岩の棍棒を片手に左右から挟み込むように接近してくる。

 対してこちらは一人。武装は刀一本。多対一は確実に不利。


『甘えるんじゃありません、私の弟子なら千は一人で相手にしなさい』


 僕の中にいる脳内師匠はそう言った。実際にはそんな事言われたことないが……。


(師匠なら言いそうだな)


 一週間———体感七ヶ月というそこそこ長い時間を過ごした今では脳内再生余裕だった。

 刀を構える。左半身はんみで腰を落とし居合の型をとった。二体との距離は未だ五メートルはある。明らかに刀の有効射程外であったが。


「ッツ!」


 僕は気にせず刃を抜いた。

 。刃を淡い光が包み込み、勢いそのまま振り抜いた。

 師匠と比べてまだ未熟な自分の剣閃。その軌跡を視線でなぞり。


「「GYUU……?」」


 次いで向けた二体の魔獣。その頭部は胴体から既に滑り落ちていた。

 それぞれの首の断面は左から右、右から左に斬り落とされた痕跡が残っている。

 僕が振ったのは間違いなく一太刀。故に魔獣達に刻まれた残痕は、物理的にありえない一撃だった。


「さて、次は誰ですか? ああ、並ばなくて結構です。団体様もウェルカムですよ」


 僕は満面の笑みで通路の奥の魔獣達に語り掛けた。

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