黒髪少女と初恋物語8

「やっぱり、中身変わってるわよ。……アレ」


「だよな」


 聖が耳元で呟く。

 好き嫌い占いを始めた辺りから薄々思っていたことだ。


 恋愛相談をしていた時と今の彼女はあまりにも人格自体が違いすぎる。

 決定的なのは今の聖の言葉。これにより俺の考えが確定的となった。

 今彼女の体を動かさしているのはさっきまで俺達が話していた巳輪さんとは別物。


「二重人格か? それとも神卸とか【降霊術ネクロマンシー】の類か?」


「ちょっと、分からない。……でも強いて言うならかな」


(……『どっちも』、か)


【千現瞳】を用いて分からないなら今は気にしてもしょうがない。

 俺は思考を切り替える。今するべきことの優先順位を再確認する。


 待っていたかのように巳輪さんの皮を被った何かが一歩こちらに足を踏み出す。

 通学路を歩く様な自然な動作。

 その一歩が地に着く寸前、彼女の体が加速した。

 いや『加速』などという生ぬるいモノではなかった。それは最早瞬間移動の領域。


 一度消えた彼女が次に姿を現したのは俺のの中だった。


(あ、やばッ)


 引き延ばされる思考の中、突き出された包丁だけが俺の眼に映る。

 咄嗟の判断。

 左足を引き、右手で繰り出された包丁の腹を叩く。


「くッ……」


 叩く場所が悪かったのか右手から僅かに出血するが今は無視。


「疾ッ!」


 俺は即座に左手の掌底を彼女の鳩尾目掛けて叩き込む。女の子相手だからという容赦は既に自分の中から消えていた。

 全身に強化の術理で張り巡らせ放つ正真正銘の本気の一撃。

 

 捉えた。

 俺は自分の手が彼女の鳩尾に深く突き刺さるのを幻視し———それは幻想に沈んだ。


「なッ」

 

 彼女は突き出した包丁ごと右手を引き戻すと同時、前に出していた左足を起点に華麗に回転ターンを決める。

 まるでペアを組んで踊っている様に彼女はごく自然に俺の懐の、さらに深く潜り込み、俺の掌底を回避した。


 攻守交替。

 全神経を彼女の持つ包丁へ集中させる、一切の動きの機微を見逃さないため———にも関わらず彼女の刃は俺の意識を置き去りにした。


 刃が跳ね上がり銀の光の尾を引き引き、神速の一撃が襲い掛かる。


(受け流せない———)


 俺は咄嗟に袖からカッターナイフを取り出す。


(———後は賭け!)


 左手に持ったカッターナイフを心臓の前に掲げる。

 カアンという金属同士がぶつかる音と途方も無い衝撃。


(ラッキー! 当たりッ)


 心臓か首か頭。人間の分かりやすい急所三選どれかに来ると予想し、和希は心臓に一点賭けした。


 結果、賭けは和希が競り勝った。

 そう、『賭け』だけは。


「和希、左!」


 聖の鬼気迫る声が和希の耳朶を叩く。


「は? ———グフツ」


 次いで和希を襲ったのは腹部への突き刺すような痛み。

 そちらに眼を向ける。痛みの震源地である俺の腹部に巳輪さんの左拳が突き刺さっていた。


(素手⁉)


 包丁にばかり気を取られてしまった故にノーマークであった右手。

 彼女の繰り出したボディーブローが俺の腹にクリティカルヒットしていた。


(しまった。術式の維持が)


 刹那、部室全体を囲っていた結界が乱れる。

《術理》の説明の際にも言ったが《術理》の発動、維持に一番大切なのは正常な思考と精神状態。

 今の和希は腹部の痛みと鈍痛による呼吸困難に伴う酸素の不足によって結界維持が困難になっていた。


「ふふっ」


 眼の前から笑い声が聞こえた。


「に、逃が、すか…」


 巳輪さんは大きくバックステップをすると入り口とは逆側。窓際に走り寄ると右手に持った包丁を結界に突き立てた。

 万全ならビクともしないような一撃。

 しかし今の乱れ切った結界に加えて【九死瞳】の能力である弱点の可視化。

 それによって見抜かれた結界の一番脆い場所を的確に突かれた。


 結界が音を立てて崩れた。

 それを確認した巳輪さんの皮を被った何かは俺達を一瞥すると、窓から外へ飛び降りた。


「大丈夫?」


 聖にしては珍しく俺の安否を確認するような言葉。


「…何とかな。【我、治癒ノ権能ヲ行使スルイヤセ】ッ」


 多少のむず痒さを払うように治癒の《符》を取り出し、治癒の術理を発動する。緑色の光が舞い和希の腹部に纏わりつき痛みを取り除く。


「よし、行くぞ」


「え? ちょ、待って」


「待たん【我、其ノ御身、巌ノ如キ強靭サ、鬼身ノ剛力ヲキョウカ


 痛みが消え去ると同時に立ち上がり、聖の襟首を掴む。今は一刻の猶予も許されない状況。

 聖の静止も聞かずに身体強化の術理を発動。

 そして散々俺を盾にして後ろに居た相方を片手に、そのまま三階の窓から外へ飛び出した。


「ぎゃあああああ!」


 茜色に染まりつつある大空に少女の悲鳴が響き渡った。






 ■■■


 俺達がグラウンドに着いた時には既に人だかりが出来ていた。

 うちの学校は面白い事があるとすぐに今みたく人だかりが出来るから、何かしら問題が発生している場合はとりあえず人の多い場所を探すに限る。


「おい、告白だってよ」


「誰が誰に?」


「宇智田にだって、……相手は巳輪さんだと」


「えー、お似合いじゃん、どうなるかなぁ」


 すると、このように簡単に見つかる。




「あー、ちょっと通してね、急ぎだから、すいませんねー」


 俺は溢れる人の波をかき分け告白現場へと急ぐ。

 本来なら力づくで押し通りたい所だが今の和希が本気で人に触れると冗談抜きでグチャっとしかねない。

 《術理》を解除しようとも考えたが、この後に巳輪さんともう一戦することを考えた場合を想定すると再度発動する隙がデカすぎる。


(———急げ)


 俺は最低限の力で優しく人を押し分ける。


「う、宇智田、くん!」


「どうかしたの? 巳輪さん」


 身体強化の術理によって強化された聴覚が人だかりの奥———巳輪さんと宇智田の声を捉える。

 どうやら既に巳輪さんは宇智田に死刑宣告チェックメイトをかけようとしていた。


「終わった」


「諦めんの早ッ、もう少し頑張れよお前は!」


【千現瞳】によって確認したのか右手にぶら下がった聖は諦めの声を発していた。




「す、すき、好きでしゅッ!」


「え?」


(いや、終わったか?)


 次の瞬間には既に告白という名の断罪の一刀が振り下ろされていた。

 たった一言でありながら四度も噛みまくった告白の言葉も、結末を知らなければ可愛く思えていたかもしれない。


 しかし和希の前の人垣が晴れ、目に映ったそれは確定した死刑裁判の何物でもなかった。勿論、罪人は何も罪のない宇智田。裁く者は罪人の巳輪さんだ。


 「ゴ———」


 宇智田の口が紡いだのは『ゴメン』の『ゴ』。

 それが音として空気を揺らした時には巳輪さんはスタートを切っていた。

 既にその手には何処からか取り出した包丁が握られている。


(アンタも大概諦めんの早いなッ)


 背後に向けて聖を放り捨てると、姿勢を低くする。

 『心臓ハート』『一突きキャッチ』という暴挙を阻止するため、二人の間に割り込もうと走り出そうとし。


「———?」


 巳輪さんと一瞬眼があった。

 既に彼女の眼の色は黒から薄紫に、人格は切り替わっていた。

 つまり今の彼女が今からとる行動は全て最適解。


(俺を見た? いや、違う!)


 彼女は無造作に手を振るう、包丁を握っていた右手を。


「死ッ」


 ボウガン顔負けの速度で飛来する包丁。

 強化された眼がその軌跡を追い、その行先は———。


「あ」


「聖!」


 間一髪。俺は聖と包丁の間に右手を伸ばし飛来する包丁を素手で掴み取った。

 慣性によって引っ張られる右手は聖の額スレスレで止まり、宙に咲いた真紅の花。その花弁の一端が聖の頬を赤く彩る。


「痛ッィ」


「ちょ、大丈夫⁉」


 親指が半ば切り落とされながらも俺は包丁を掴み取っていた。

 聖が寄ってこようとするが、それを俺は手で制すると心の底から歯噛みした。



 全て読まれていた。

 俺達の妨害———敢えて俺ではなく直接的戦闘能力が無い聖を狙ったことも、俺が庇うと予測していたから。

 彼女の行動を妨害をするであろう俺への足止めの為の一手。

 そして彼女の狙い通り俺の足は止まった。致命的なまでに決定的に、もう俺は間に合わない。

 そして彼女の手には二本目の包丁が握られていた。


「———メン」


 ドスッ。


「きゃあああああああ!」


 宇智田の声と刃が肉を貫く音と女性の絹を裂く様な悲鳴が聞こえ、人だかりが混沌に包まれる。流石のお祭り好きの条穂供生でも人が刺されたら悲鳴の一つは上がるんだな。

 現実逃避のつもりか俺はそのことに感慨深さを感じていた。


 そうしてある者は保健委員を呼びに、ある者は生徒会や風紀委員を探しに行こうとして。

 



「———君にその言葉を言わせてしまって」


 は言葉を繋げた。


「……え?」


「「「「は?」」」」


 その場にいた全ての生徒の足が止まる。

 混沌極まるその場を支配した声の主。

 それは現在に刺突を喰らい、息も絶え絶えの宇智田諭志であった。


「……本来なら、告白というモノは、男から行わなければ、……い、いけないのに———」


 苦しそうに顔を歪めながら喋る宇智田。

 『いや、お前もう喋んなよ……』とはその場にいた誰もが思ったことだろう。

 ギリギリ致命傷で無かったからこそ、今でも意識はあるが現在進行形で彼の傷口からは血が溢れ出している。

 しかし生命の危機にも関わらず、彼は喋るのをやめようとはしなかった。


「……だから、改めて言わせて欲しい。はぁ、はぁ———」


 文字通り命を削り、宇智田は気持ちを伝えようとする。

 彼の中の男としての矜持、プライドが今の彼を突き動かす唯一の原動力だった。


 「———好きだ。……僕と、付き合ってくれ。巳輪恵里さん」


 「…は、はいぃ」


 彼は己が伝えたかったこと、そして巳輪さん(元の人格)の答えを聞くと、その場に崩れ落ちた。


 「「「うおおおおおおおおお!」」」


 巳輪さんは泣き崩れ、二度と離さないと言わんばかりに宇智田を抱きしめる。

 宇智田への敬意と新な条穂供カップル誕生に感極まったやじ馬どもの雄叫びが条穂供校内の空に上がった。




 「何だコレ」


 その後俺は宇智田に手早く応急処置だけ済ますとそそくさとその場から撤収した。

 





 ■■■


 今回の結末。


「———で、被告人。弁解はあるか?」


「……私は無罪です」


「宜しい死刑」


「ちょ、待って待って」


 部室には天上から逆さ吊りにされた藍色の髪の少女と、椅子に座り《符》をチラつかせる少年しかいなかった。

 あの後巳輪さんは遅れてやってきた保健委員と一緒に保健室に向かった。

 勿論宇智田に付き添うためだ。それを見送った俺はどさくさ紛れに逃げようとした聖を捕縛し、部室に戻ってきた。

 理由は勿論今回の件についてだ。


「私が見た時は間違いなく宇智田の心臓を突き刺してた。即死だった!」


「あー、そういえばそんなこと言ってたな」


「でもさっきの巳輪さんは宇智田の腹部を刺してた! 既に未来は変わっていたの!」


「……。ああ。そういうことか。納得」


 既にあの時には彼女の見た未来から外れていたのだ。何かしらの行動がきっかけでレールの分帰路が切り替わっていた。

 そして何処で変わったのか。特異点ターニングポイントにも心当たりがあった。


(俺が心臓への一撃を防いだ、あの時か……)


 おそらくは彼女の心臓への刺突をカッターナイフで防いだ時。あの時に未来が変わった。

 あまりにも最適化されていた彼女の行動シークエンス。

 それによって遂行された一撃が俺に防がれてしまい、そこにエラーが生じたのだ。

 心臓への刺突による確殺という『絶対』が彼女の中で揺らいでしまった。

 宇智田に突貫したあの瞬間。彼女はギリギリまで心臓を狙い、おそらくは土壇場でノイズが走った。

 俺との戦闘の際に己の絶対が防がれたという記憶が彼女の脳裏を過ったのだろう。

 故に彼女の刃は寸前で鈍って腹部に逸れた。

 今回は結果的にそれがプラスに働き、宇智田の死は免れた訳だ。


 まあ、最悪【賢者の石】でも使って宇智田を蘇生させれば良いのだが。それは言わずが花だろう。

 

「……あのー、そろそろ下ろしてもらっていいですか?」


「……」


 俺は謎が解けた余韻に浸りながら、部室の出口に向かっていた。


「あの、聞いてます?」


「……」


「和希ぃ! ねえ、置いてこうとしないでぇ! 無言で帰ろうとしないでよぉ!」


 俺は聖の静止を無視して、部室を後にした。

 勿論、部室を出た後に捕縛の術理は解除してあげた。あれでも同じ部の仲間である。流石の俺でもそれ位の優しさはあった。

 ただし。


「グヘエぇ」


 扉の向こう側からアマガエルの断末魔みたいな声が聞こえてきたが気のせいだろう。

 何か今日はもう疲れた。

 腹は刺されるし、リア充カップル誕生の瞬間の立会人になった……。

 体も精神もボロボロだよ。


「はぁ、適当にスーパーで総菜でも買って。さっさと飯食って寝よ」


 今からの予定を素早く立てると俺は帰路に就くのであった。


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