黒髪少女と初恋物語7

「……ん?」


 違和感に気付く。

 今までの全ての準備が振出しに戻りながらも、私はそれを見過ごす事が出来なかった。それ程までに大きな違和感。


「……どうした? ————ッツ」


 和希の訝し気な視線が私の顔に向けられ、勘のいい相方は即座に私と同じ違和感に辿り着く。


「しまった、マズい」


 和希が弾かれた様に背後を振り返る。

 そう鼻歌が聞こえていた方へと。


「えっ、いない」


 しかしそこにいた筈の彼女はもう居なかった。


「———今の話ぃ、本当ですかぁ?」


 代わりに私と和希の間から声がした。

 やたらと語尾が間延びしたのんびりとした喋り方。

 身体どころか魂の奥底まで瞬間冷却される声音。

 感情の全てが消失した彼女の声は驚くほど無機質で、その様は淡々と音を吐き出す機械のようであった。

 さっきまで話していた彼女とは到底同じとは思えない。

 間違いなく彼女の中のが致命的に変わってしまっていた。


「答えてくださいぃ、お二方ぁ」


 眼の前に立つ巳輪恵里はその体から昏いオーラを放つ。

 【千現瞳】を発動させようとして途中でキャンセルしたためか、通常時では見えない生物のオーラが可視化されており。


(———ッツ。この『色』は……)


 そしてその『色』に私は見覚えがあった。




「答えてくれませんかぁ? なら良いですぅ」


「あ———」


 己の口から洩れた声で現在の状況を再認識させられる。

 私は彼女のオーラに関する情報を一旦脳の隅に押しやると再度即座に思考を回し、今の状況を改善するための最適解をはじき出した———筈だった。


 しかし、私よりも早く巳輪さんが行動を起こす。

 私達よりもさらに奥———教室の出口へと彼女は疾駆する。

 ズダンと地面を踏みつけた音が私の耳に届いた時には、彼女は既に出口の目と鼻の先だった。


「和希、張って!」


 一瞬遅れて私の声が部室に響く。


「分かってる!」


 それにノータイムで反応する相方を私は心強く思いながらも視線は巳輪さんに固定。

 彼女の対処は和希に任せる。

 において自分が無力なのは己が一番理解していた。


 【千現瞳】によって拡張された視界。その端に相方の姿を確認する。

 和希が袖から取り出したのは四枚の《符》。それらは和希の手を離れると宙を舞い。

 巳輪さんが部室の扉に手を掛けるよりも先に部室の四隅に張り付いた。


「【我、内ト外ノ敷居ヲ区切リ、世ヲ隔離シ、界ヲ定メルカクリ】」


「ッツ」


 バチッという音共に巳輪さんの腕が扉から弾かれた。

 いつの間にか部室の四隅を起点とし、部室の内側を覆う様に半透明の白い膜が張られていた。

 勿論この現象を起こしたのは隣の和希だ。


「逃がすかッ【我、不浄ナル其ヲ清浄ヲ持ッテ制スシバレ】」


 次いで取り出すのは《符》三枚。

 彼の言葉が引き金トリガーであったかのように、現出したのは幾つもの紙が重なり合った形状———紙垂が三本。

 《符》が変じて形成された紙垂が和希の手元から射出される。

 三方から取り囲むように襲い掛かる紙垂。即座に展開された包囲網に逃げ場は無かった。

 私でさえ眼を凝らさなければ回避は不可能。

 一般人では間違いなく眼で追う事すら困難な紙垂。


「死ッ」


 対して巳輪さんの口から漏れる裂帛の気合。

 刹那、煌めく三つの銀閃。


「ま、マジか」


 和希の声は震えていた。

 だがそれも無理からぬことであった。

 彼女が起こした行動アクションはシンプル。飛来した紙垂をその手に持った出刃包丁で切り落としただけだ。

 言葉にしてみれば単純明快。しかしその実態は言葉にするよりも幾倍も困難である。


「嘘でしょー」


 間の抜けた声が私の口から洩れていた。

 





 ■■■


「チッ」


 俺は小さく舌を打った。

 消音結界すら張らずに内緒話をしていたあの時の俺の顔面を思いっきり殴りつけたい衝動に駆られ———。


(おっと、過去に遡る系の【時魔術クロノス・マジック】はご法度だったな……。———よし、オーケー)


 乱れていた思考が正常に動き出す。

 つまらない冗談を思い起こすくらいには回復した思考に俺は満足する。

 まずは現状把握。


「聖、行けるか」


「無理です」


「知ってた」


 一様の確認であったが、やはりそうだったか。

 聖の能力は特殊であるが、別に汎用性が無いわけではない。

万象事変解析観測術カレイド・スコープ】は観測、演算と段階を分けて発動する為時間が掛かるが【千現瞳】と【全能演算】のそれぞれは違う。


 【千現瞳】の場合は世界全体ではなく一個人を見るだけなら実時間リアルタイムで見続ける事は可能であり、本来眼で見えない情報すら手に得る為対人戦では高いアドバンテージとなるし。

 【全能演算アル・マハト】の場合は【千現瞳】よりも単純で、戦闘の際の思考の高速化。

 《術理》発動の際に必須である演算を高速且つ膨大な量を行う事ができるようになる。

 彼女は一通り【魔術】も習得してあるし《術師》としては高い実力を保有していた。


 だが今の彼女に直接的な戦闘力を求めるのは無理なのはおおよそ分かっていた。


 彼女の主な攻撃手段は【魔術】による攻撃。近接戦闘はからっきしである。

 しかし魔術の方も今の彼女では先程の【万象事変解析観測】の副作用———というか余韻で、どんなに下位の魔術を発動しても全て大規模殲滅魔術相当の破壊力に変わってしまう。

 そのためこんな狭い場所で発動されたら部室はおろか校舎がひとたまりもない。

 故に彼女にはバックアップをしてもらい正面戦闘は俺一人で行う必要があった。


(こういう時に限って我が部最強の近接戦闘家クロスレンジがいないんだよなぁ)


 今この場にいない刀使いの部員が脳裏を過る。


(まあ、いないものはしょうがない、か!)


 俺は両手左右の袖からそれぞれ新たに二枚づつ《符》を取り出す。今まで取り出した《符》とは違う形状。

 胴を模した逆三角錐に頭を模した丸と二本の手が付いた形状の《符》。人を簡易形状化デフォルメしたようなその《符》を俺は宙に放ち。


「【我、声ニ応ジ従エ、白キ異形カタシロ】」


 術式発動の引き金を引く。

 声に呼応し、放たれた《符》が変化した。

 人の形をした《符》が大きく広がる。


「……?」


 巳輪さんが警戒した様子で周囲を見回す。

 彼女の周りには先程までいなかった何かが立っていた。


 身長約二メートル。天井スレスレの白い何かは紋様の浮かぶ体を静かに揺らし、巳輪さんを睥睨する。


(取り敢えず動きを封じる事が優先。『押さえろ』)


 難しい事は何もいらない。短く単調に最低限の命令を下す。

 速やかに命令を受諾した、彼女を取り囲む白い何か———【形代カタシロ】達が一斉に襲い掛かる。


 和希が使ったのは式神の中で最も簡単で下位に位置する【形代】。

 しかし如何に下位といえど、その力と速度は一般男性を軽く凌駕する。加えて和希が施した術式の改造。

 本来ならの女子高生一人を相手にするにはいささか過剰戦力であった。

 そしてそれが四体。一斉に巳輪さんに詰め寄る。

 大きく広げられた【形代】の腕。合計八本が彼女の体に触れようとした———瞬間。


 彼女の体がブレた。


「なッ」


 今度の挙動に足音は無かった。

 完全な無予備動作ノーモーションからの高速機動。


「死ッ」


 踊るように、舞うように、彼女の体が八本の腕を搔い潜る。

 呼吸を忘れる程に見惚れるその動き。

 そこから繰り出される彼女の斬撃。

 それらが相まって剣舞を舞う踊り子に見えた。

 再び宙を走る銀閃。


「お、おいおい」


 一撃必殺。

 繰り出されたのはたったの四撃。

 またしても一刀一殺。

 彼女の包丁が一度宙に銀閃を描くたび【形代】が一体崩れ去る。


 流石の俺もその光景には絶句するしかなかった。

 彼女が今戦っていたのは人間ではない。

 腕や足を切られても動き続ける式神だ。原型なく細切れにするか、込められた【霊力】が尽きるまで止まることは無い。


 それを彼女は一刀で一体の【形代】の核を潰して無力化したのだ。

 『核』とは【形代】の心臓部とでもいうモノ。

 込めた霊力の貯蔵庫で【形代】を動かす上で欠かせないモノであった。

 人間でいう所の心臓。ただ式神の核は決して心臓と同じように全ての式神が同じ場所に持っているとは限らない。


 和希の場合は【形代】を制作するにあたり、核の生成は術式発動と同時にランダムで生成されるように設計している。

 つまりは和希でさえ術式発動時の核の初期位置を把握していないのだ。

 別に知れないことは無い。その気になれば調べることは可能だ。

 だが四体の【形代】を相手取りながらという場合は話が別だ。

 思考は単調とはいえ身体能力自体はそこまで低くはない【形代】を相手にする場合。俺ならわざわざ核を探し、潰すという選択肢よりも形残さず消し去るという方法をとる。


 それ位に彼女が今行った芸当はイカレていた。

 一瞬で急所を見抜く観察眼と最適解ともいえる機動と攻撃。


(———まさか)


「げぇ、【九死瞳クリティカル・サイト】」


「やっぱりかぁ」


 背後に控えた聖の口から聞こえてきたのは聞き覚えのある《魔眼》の名だった。


「【九死瞳あれ】ってさ確か馬鹿みたいに生き物殺さないと身に付かない《魔眼》じゃなかったっけ?」


「……もう少し言葉をオブラートに包め。はぁ、それと。それは後天性の場合の話———」


 俺達は揃って一人の男を思い浮かべていた。

 世界最高の暗殺者にして生徒会副会長の優男の顔。

 今の巳輪さんの姿が誰かと重なって見えていたが、それがはっきりした瞬間だった。

 最適化された動きとか纏う雰囲気の冷たさとかそっくりだった。




「———生まれつき持っていた場合は別だ」


「あー、なるほど…」


【形代】であった残骸の中心に佇む少女は恐ろしく冷たい眼でこちらを見ていた。

 黒曜石のように真っ黒だった彼女の瞳。

 しかし、今はその瞳の色が変わり、薄紫色の光を湛えていた。

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