黒髪少女と初恋物語4
「そ、それで、この記事がどうかしたの?」
仕切り直して聖が巳輪さんに問いかけた。
お互いの前にはそれぞれティーカップが置かれ、カップからは白い湯気が上がっていた。
「じ、実はこの中に私の、す、好きな人がいまして……」
半泣きだった彼女は一口紅茶を啜ると、少し落ち着いた様子で話し始めた。
この時ばかりはこのティーセットの持ち主である
「へぇ、好きな人ですか」
「はい、この人なんですが」
彼女は『キャピッ♪ 普通の条穂供ガール百人に聞いた『彼ピ』にしたい男の子ランキング!』の第三位の少年を指さした。
咄嗟に喉元まで出た『あ、一位じゃないんだ』という言葉を、和希は必死に飲み込むと三位の少年の見出しを確認した。
本名は
雑誌に掲載されている写真の彼を一言で表すなら『ポカリス〇ェットとかアクエ〇アスのCM?』だった。
茶色の髪と茶色の瞳。
本来なら何処かチャラさが出てしまいそうになる姿にも関わらず、写真から溢れ出るのは圧倒的清潔感と清涼感。
絵にかいたような完璧な爽やかイケメンだった。
条穂供学園一年A組の十六歳。
(へー、俺達と
所属部活はサッカー部。付け加えると彼は次期レギュラー候補でポジションはフォワードとの事であった。
「……はぁ、いるんだねぇ、やっぱこういう『人間』って……」
和希はそこまで読むと、絵にかいたような王子様設定に思わず苦笑した。
(なーにが『神は平等だ』だよ……)
途中まで読み進めそのあまりの高スペックぶりに嫌になり雑誌から視線を外すと、ソファの背もたれに深く倒れ込む。
「いーち、にー、さーん」
「あ、あのぅ?」
「ああ、気にしないでね巳輪さん。大方この宇智田って人と今の自分を比べて絶望しに打ちひしがれているだけだからこの雑魚は。———それで話を戻すけど。貴方はこの宇智田って奴と恋人になりたいの?」
放心し天井のシミを数え始めた和希の代わりに、聖が話を続けた。
「……(コクッ)」
彼女は返答のつもりか、熟れた林檎のように顔を真っ赤にしながら小さく頷いた。
もじもじと小さな体を縮こまらせ、さらに顔を赤く染める。
(えー、何あれカワイイ)
その光景を慈愛に溢れた瞳で和希は見つめると。
「見ろよ聖、あれが普通のJKだ。好きな人の話で一喜一憂できる彼女こそ普通のJKのお手本だな」
「ぶっ飛ばすわよアンタ」
隣人に説いた。
「おっと。———それで依頼内容は恋のお手伝い、という事でいいのか?」
隣から飛んできた右ストレートを左手一本で受け止める。
「えぇっと、そうではなくて……」
「「……?」」
歯切れの悪い返事に和希と聖は、再度取っ組み合いながら首を傾げる。
何か言いにくい事なのだろうか。
巳輪さんは僅かに考える素振りをすると再び口を開いた。
「
「「あー……」」
そして彼女から返ってきた言葉によって今度は和希達が悩まし気な声を上げた。
(当たらずも遠からず何だよな、
彼女の言葉はギリギリの所で的を得ていなかった。
彼女が口にした【
彼女が言う『百発百中』には程遠い。
というかそもそも【占術】というのは『過程』と『結果』が確立された【術理】とは違うからそもそも和希の守備範囲外であり。
さらに付け加えると彼女の視線は和希に向いていなかった。
和希は彼女の視線を追いかける様に隣に視線を向ける。
「はぁ」
そこには少々気怠そうに溜息を吐く藍色の髪の少女がいた。
「良いよ。『観て』あげる」
「あ、ありがとうございます!」
そう言い残すと聖は、瞼を下ろした。
■■■
『ラプラスの悪魔』という言葉を知っているだろうか。
主に近世、近代の物理化学分野で、因果律に基づいて未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念のことである。
『とある時点において作用している全ての力学的、物理的な情報を完全に把握、解析する能力を持つ故に、未来を含む宇宙の全運動までも確定的に知りえる』という超人間的知性のことを指す言葉である。
つまるところ、この『概念』を生み出した人間が言いたいことを要約すると『現在』の『全て』を知る存在は『未来』すら知りえることができる『可能性』があるという事。
しかしこの仮定が正しいかどうかは結局の所分かるはずが無かった。
理由としては大きく分けて二つ。
一つ、そもそも『全世界』延いては『全宇宙』レベルの全ての情報を知りえる『手段』が無かったから。
二つ、仮にその情報が手に入ったとしてもその『情報』から未来を割り出すほどの演算機器が世界に存在しなかったから。
この二つの事から『ラプラスの悪魔』は実現不可な机上の空論であり、議論を交わしたところで終わりの無い平行線を走り続ける無駄な代物だと和希は考えていた。
この学校に来て、実際に自分の『眼』でそれを確認するまでは。
聖は巳輪さんと俺達の中間にあるテーブルの上———何もない空間の一点を見つめていた。
何も知らない人からすれば呆けて見えるその光景。
しかし巳輪さんはその光景から一瞬たりとも目が離せなかった。
「……綺麗」
吐息と共に漏れ出た言葉。
彼女が視線を注ぐのは、虹色の燐光を放つ聖の『瞳』。
今も彼女の視線の先で聖の『瞳』の色が変わる。
赤から青へ。
青から黄へ。
黄から紫へ。
『色』は混ざり合うように、塗りつぶすように彼女の瞳を染め続ける。
絵具を重ね、厚く塗り固めるように。
瞳というキャンパスに絶え間なく色が浮かぶ。
現在進行形で塗り替えられる『色』の上をくるくると『色』の破片が舞い、すれ違い、ぶつかり、形を変える。
その様は幼い時に見た『万華鏡』のようで。とても美しかった。
「あ、あの」
「ん? どうかした?」
巳輪さんの視線が聖から和希に向けられる。
和希はそれを受け止める様に、向けられた彼女の瞳を真っすぐ覗き込んだ。
(動揺、困惑。……後は畏れ、かな?)
先程までとは違う感情を宿した巳輪さんの眼。
そこには負の感情特有の暗さが見えた。
どうやら彼女には聖の瞳がこの世とは剥離した恐ろしいモノにでも見えたらしい。
だがそれもしょうがないといえるだろう。
当の和希も彼女の瞳を最初に見たときは恐れた。
この世界から外れた禁忌にも見えたし、神が手ずから作り出し磨いた宝石にも見えた。
その点からも彼女の反応はごく自然であり当然である。
真の芸術を前にした人間がとる行動は崇拝か畏怖。
ただ彼女の反応が後者であっただけ。
(そうだ、初見なら誰だって———)
「天堂さんの眼。———大丈夫なんですか?」
「———へ? ……あ、ああ、大丈夫だよ」
いや、違った。
彼女の言葉に和希は驚き、眼を大きく見開く。再度彼女の瞳をよく見るために。
結果、彼女の眼に写っていたのは動揺などではなく憂慮。
畏れなどではなく心配であった。
彼女は聖の『眼』を恐れてなどいなかった。
「は、はは」
「……?」
何故か、和希の口から笑い声が漏れた。
巳輪さんの訝し気な視線が向けられたが、和希は気にせず笑っていた。
(見誤ったか。まだまだだな、俺も……)
「優しいね、巳輪さんは」
思わず口から出た嘘偽りないその言葉。
「え⁉ そ、そんなこと無いですよ」
照れ隠しのつもりか両手を体の前でパタパタと振る彼女の姿に、和希はほっこりとした温かみを感じた。
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