第8話 姐さん、カツ丼が来たぜ
「天麩羅蕎麦二つ、カツ丼二つ、生ビール一杯をお願い致しますわ」
銀髪長身のメイド、ロザンナと共に蕎麦屋へ入った千里。
「千里君はよろしいので?」
「俺、たぶん未成年」
「それでは遠慮なく」
一般人に紛れ込むための手段として瘴気を調整しつつ、髪は黒で染められ、さらには野暮ったい眼鏡をかけることで、今の彼は取るに足らないモブに変じていた。
「美味しいです。この一杯のために生きておりますわね」
ぷはぁ、と。実に美味しそうにビールを飲み干したロザンナの姿も、サマーニットとジーンズというラフな格好に様変わりしていたのだ。
「んで? 話って何なんだ? わざわざ外に出てまでよぉ」
「単刀直入に参りましょう」
空になったジョッキを年代物のテーブルの上へ置いたロザンナが背筋を正す。
「千里君、わたくしはあなたのことを異性として好いております。とはいえど、千里君とアリアちゃんが好き合っている以上、略奪は許されない。ゆえにお願いがありますわ。わたくしは千里君との間に子をなしたい。一夜だけで結構です。お時間を頂けないでしょうか?」
「……」
カチ、カチ、カチ、カチ。壁にかけられた鳩時計の秒針が木霊する。
「姐さん、カツ丼が来たぜ」
秒針の音に耳を傾けていれば、いつの間にか店員がカツ丼を運んで来たので、お礼を端的に述べた後、千里は割り箸を手にとった。
「うふふふふ。ごゆっくりと召し上がれ」
明らかに挙動不審な千里を咎める様子もなく、穏やかな笑顔でロザンナは食事を勧め、自身もそれに続いた。
「旨ぇ」
「良かったですわ。店主は元
「ダシがいい。肉と米によく合う。きっと本命の蕎麦もさぞやいいモンなんだろうな」
「味に関しては絶対の保証を致しますわ。天麩羅もパリパリでございましてよ」
「――はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
ガツガツと一気に半分近くのカツ丼を胃に収めたところで、時間差の驚愕をあらわに千里が椅子から立ち上がった。
「千里君、どうされましたか? もしや持病の発作でも?」
「違ぇよ! 少なくとも今のに関してはなっ!!」
流石に騒ぎ過ぎたと反省したのか、ヨロヨロとよろめきながら、再び千里は椅子に座る。
「今……姐さんはさ」
珍妙生物でも眺めるかのような眼差しで、千里がロザンナを見やった。
「俺のことが好きって、言いやがったのか?」
ともすれば失礼な千里の態度に対して腹を立てた様子は一切みせないロザンナ。彼女はたおやかに微笑んでいるだけだ。
「ちっとも意味が分からん……」
苦しげに呻く千里。しかしカツ丼は気に入ったらしく残りを全てたいらげた。
最も千里より大食いのロザンナは、とっくに食べ終えてしまっていたのだが。
「あらあら、意味が伝わっておりませんでしたか。それでは改めて。わたくしを抱いては頂けませんこと?」
「言い方が直接的に過ぎらぁ! 今何時だと思ってやがる!」
声を荒らげないようにしようと心掛けているにも関わらず、やはりロザンナの口から発せられる言葉の一つ一つに過剰反応してしまうらしい。
「お昼の二時過ぎ、ですわね。幸いにもピーク時を避けたため店内は空いております。あらかじめ店主に話を通しておりますし、多少突っ込んだ話をしたところで問題はないかと」
「みっ、水……」
「どうぞ」
叫んだことで喉がやられたのか、水分をいつもより多く求める千里。ニコニコと目を細めながら、ロザンナはピッチャーから千里のコップへと水を注ぐ。
「……俺のことを好きになってくれる奇特な女なんぞアリアくらいさ」
喉を湿らせ、絞り出した千里の言葉は、到底前向きと呼べる代物ではない。
「斬るしか能のない俺に、男としての魅力なんざあるわきゃねぇ」
「卑屈になり過ぎでは? ノア君は千里君のことを好いておりますでしょう」
「確かに先生は俺に気があるみてぇだが。あの人、一応男だろ?」
「さぁ、わたくしからは何とも言えません」
「とにかく、どこにあるんだよ。俺を異性として好いている理由ってのは」
千里からすればロザンナは魅力的な女性だ。
強く、美しく、面倒見がいい。
姉のように慕っている相手から好意を向けられた千里は戸惑ってこそいるものの、まずは彼女の掲げる理由を知らねば話が進まないのだと覚悟を決めた。
「強いからですわ」
「即答か」
苦笑する千里。とはいえ回りくどいことを良しとしないロザンナらしい返答と言ってしまえば、それまでであったのだが。
「てっきり姐さんは
「はい、わたくしは故郷を滅ぼした
過去を掘り返すような千里の質問。しかしロザンナは快く受け答えをしてみせる。
「熟練の
一旦言葉を区切り、組んでいた足をロザンナが組み替えた。
「正直に申し上げましょう。千里君、あるいは百合芽ちゃんのような生まれながらに
「だろうぜ。羽衣はともかく、俺はあんたが憎んでいる
「ですが、アレと千里君には大きな違いがあることが分かりましたわ」
アレ――識別するための名称を出すのさえ許容し難い程、ロザンナは自らの人生を踏みにじった
「アレはわたくし達弱者を、
「俺はそういった形の、人に災いをもたらすモノだかんな」
「千里君が人……に限らずあらゆる存在を斬ることに快楽を覚え、それを良しとすることは、ある意味で生理現象のようなものだと、わたくしの中で納得がつきましたわ」
されどかつて相見えた人型の
「赤薔薇商会という場を中心に、わたくし達人間と共存しようと、現在進行形で努力してくださっているではありませんか」
「どうだかな。たぶんお嬢が怖ぇだけだぞ」
はんっ、と。どこか皮肉げに千里が笑う。
「【世界最終】となれば、実力差は大幅に縮まるはず」
だが、千里の皮肉にロザンナは惑わされない。
「敢えて力を望まないのは、理想の女の子であるアリアちゃんと寄り添うため。えぇ、ええ、わたくしは千里君のそういうところも好いておりますの」
彼女の眼は、千里の醜さと足掻きを真っ直ぐに見通す。
「ですが、やはり一番は――」
フワリと、軽やかな足取り。
椅子から立ち上がったロザンナが、千里を柔らかく抱擁。
「――わたくしの知る雄の中で、最も強き者だからでございますわ」
囁くように告げられた言の葉が耳をゾクゾクさせる。
顔に容赦なく押し当てられるたわわな膨らみに、思わず潰されそうになる千里。
視界はロザンナの胸で埋まってはおれど、かろうじて聴覚は生き残っており――、
「ここが蕎麦屋というものですか。うどんは食べたことがありますが、蕎麦は初めてですね」
「すっごく美味しいお店なの……、私のおすすめ……アリアちゃんに知って欲しい……」
聞き慣れた少女二人の声と足音が、蕎麦屋に入って来る。
「あらあら、アリアちゃんと百合芽ちゃん。あなた方もこのお店をご存知でしたか」
何ら後ろ暗いことはないと言わんばかりに、ロザンナが千里から身体を離して振り返った。
「おや? 奇遇ですね。もしよろしければ、相席というものをしてみたいのです」
「是非ともそうしましょう。ささ、こちらの席が空いておりますわよ」
「ありがとうございます」
そして何事もなかったかのように、アリアとロザンナは会話を始めたのだ。
アリアの人形のような端正な顔に浮かぶのは、いつも通りの無表情。纏う雰囲気は和やかであり、思い詰めた様子は皆無。
未だ不自然なまでの硬直から抜け出せていないのは千里と百合芽のみ。
「みぃぃぃぃぃぃかげくぅぅぅぅぅぅん? いったいこれはどういう状況なのかきっちり説明してもらえるかなぁぁぁぁぁぁぁ?」
ようやく復活した百合芽は、椅子に座ろうとしていたアリアを強引に背に庇い、ハイライトを消した瞳で千里とロザンナを見回す。
「何で羽衣が怒ってんだよ!? そこは普通アリアだろーが!!」
「旦那様、私は怒ってなどおりませんよ」
「それはそれで大問題だろ! 怒れや!」
「旦那様のご命令といえど、怒りの感情が本当に湧いていない以上、どうしようもありません」
「ロザンナさん! 見損ないました! アリアちゃんになんてものを見せるんですか!?」
「あらあら、まぁまぁ」
事態が面倒くさい方向に突っ走っているのだが、烈火のごとき百合芽の怒りを受けても尚、ロザンナは逃げも隠れもせず、おっとりとした態度で彼女の噴火が鎮まるのを待っていた。
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