第6話 さむい、さむい、さむい

 人を、斬った。


 自分を牢屋に押し込めていた人間だけではない。生まれ育った村の人間全てだ。


 ふと見上げると、雪が降っていた。


 自分の白い髪とよく似た色彩。


 正体不明の病が常に蔓延するこの村では、古より伝わる言葉がある。


 。実にその通りだと、まだ十にも満たない少年は心底からの実感をこめて頷いた。


 病に苦しめられているとはいえど、それでも穏やかで平凡な人々の営みが、地下から這い出て来た少年の手でことごとくが血と肉に還ったというのだから、たかが言い伝えだと笑うことは出来ない。


「……どうして?」


 振り返ると、そこには妹と思われる少女がいた。


 少年とあまり年の頃は変わらないものの、おそらく彼女は妹だったはずだ。そう、記憶している。


「どうして、お父さんとお爺ちゃんとお婆ちゃんを殺したの? 村のみんなを斬ったりしたの? そんなにもお兄ちゃんを閉じ込めたままにしていた私達が憎かった?」


 牢屋越しではあれど、彼女とは多少の交流があった。


 鬼子である少年を殺し切ることが叶わず、地下深くに閉じ込めてそのまま何もせず放置していた他の家族とは異なり、こっそり食糧や毛布を届けてくれることもあった。


 最も、少年は人間であれど人間ではなかったことで、飢えや凍えとは無縁の体質であったのだが――。


「なんでって、いわれてもさ」


 妹よりも格段に幼い口調。無垢で虚ろな微笑みが、少年を満たす。


「ぼくはきりたかったから、きっただけだよ?」


 名も知らぬ妹を、親から名を与えられなかった少年が斬る。


 一瞬の出来事だった。


 一秒未満の僅かな時間で、華奢な少女がただの肉塊と化した。


 妹を斬るのは楽しい。


 家族を斬るのは楽しい。


 村の人間を斬るのは楽しい。


 だからこそ、少年はどこか恍惚とした面持ちで空を仰ぐ。


「さむい」


 雪が降っていた。


 飽きもせず季節が冬というだけで、永遠のように降り積もる。


「さむい、さむい、さむい」


 蕩けるような笑顔を浮かべる少年は、楽しげな表情とは裏腹に、肉体の芯から来る冷たさ蝕まれていた。


「さっきまではぽかぽかしてたのに、なんでかな」


 答えは返って来ない。


 少年の言葉に対して律儀に返事をしてくれる奇特な人間は、今ここで肉の塊になった妹以外、誰もいやしないのだから。


「いもうとをきったら、さむい、さむい、さむい、さむい、さむいんだよぉ」


 ボロを纏った少年は一人、雪の中。


 血に染まった刀を片手に、空を眺め続ける。








「寒い、寒い、寒い……あぁ、クソッタレ!!」


 外の季節は夏。しかし禁域内部は過ごしやすい気候に管理者たるノアの手で常時設定されている。


 ゆえに室温が不快なものになることはまずありえない。


 だが、今日の千里はあまりの寒さに、まだ夜中であるにも関わらず飛び起きてしまった。


 寝ぼけ眼をこすりながら自分の格好を見る。タンクトップと短パンだ。


 続けてアリアの格好はというと――、


「猫耳……尻尾……、まだつけてやがったのか」


 寝起き特有のボソボソとした声でそう言って、千里がため息をつく。


「こんな危険人物の側で、よくも呑気に寝てられんよなぁてめぇは」


 スゥスゥ、と。規則的で健康な寝息をたてるアリアは、人形ではなくまるで人間のようであった。


「チッ、マリアンヌさんの言い分も笑えねぇぜ」


 千里は生まれ育った村の人間を自らの快楽の赴くままに殺戮したことを、罪だと認識していても後悔はしていない。


 現在に至るまで引きずる程、千里の善性は発達していなかった。人間が素体になっているとはいえど、彼はやはりカースなのだから。


 けれど、あの事件に関して何一つたりとも思うところがないのかと問われれば――、


「――知るかよボケ」


 


 たった一欠片の感傷すら、斬ることしか能のない男はひねり潰す。


「つーか何だぁ。マジでありえんくらいの寒さだぞ――」


「――旦那様!!」


 熟睡していたはずのアリアの銀の瞳が突然見開かれた。


 ネグリジェの裾を危うくはためかせ、彼女はベッドの上に立ち上がった。


 両手を掲げ、魔力の炎が灯る。


 その炎は部屋の壁をぶち破りやって来た凶悪なるブリザードの対抗手段となるのだ。


「危ねぇっ!」


 吹雪に呑まれることはアリアの手で阻止された。


 次に二人へと襲いかかるのは、知らぬ間に内側から崩壊しつつある禁域そのもののきしみみなのだ。


 自らの半身とも呼べる刀を構え、一閃。


 千里とアリアに迫る空間の亀裂から身を守るべく、先に斬撃を仕掛けることで相殺してのけた。


「千里お兄様! アリアお姉様! ご無事かしら!」


「お嬢!?」


「……っ、姫君」


 珍しく慌てふためいた様子のカレンが、気配もなく二人の隣に現れた。


 モコモコとしたパジャマに身を包むことから察するに、彼女も千里達と同じく唐突なブリザードによって叩き起こされたのであろう。


「この吹雪はいったい何だってんだ!?」


「ロザンナお姉様よ!」


「あぁんっ!?」


 一番ありえない返答を耳にしたとばかりに、千里が目をむいた。


「禁域を破壊出来る程の火力の持ち主なんて通常時では千里お兄様かロザンナお姉様しかいらっしゃらないでしょう! 属性が斬撃ではなく氷ならロザンナお姉様で確定だわ!」


「ざっけんな! 俺ならともかく姐さんが進んでここをぶっ壊すわきゃねぇだろ!」


 考えられる可能性としては、侵入者の排除に力が入り過ぎたパターンではあるものの、夜の狩人ハンターであれカースであれ、禁域の所有者であるカレンに認められた者以外は、誰一人たりとも禁域に踏み込めないという常識を、今更のように千里は思い出す。


「ロザンナお姉様の赤薔薇商会に対する忠誠心と思い入れはマスターたるこの私が一番よく分かってる! だからこれはきっと、百合芽お姉様とノアお兄様がやらかした結果のはずだわ!」


「わっかんねぇよ! どういうことか馬鹿でも分かるくらい詳しく説明してくれ!」


「もう少し待って頂いてもよろしくて!?」


 ブリザードは収まったが、禁域全体の軋みは継続中。


 背に腹は変えられないと言わんばかりの嫌そうな表情を見せた後、カレンは垂れ耳の兎のぬいぐるみを掲げ持つ。


「止まれ」


 いつもはないはずの懐中時計が、今だけは兎の腹に埋め込まれている。


 カレンの一言で忙しなく時を刻んでいた針が止まり、禁域全体にもその影響は伝播。


 一時的にではあれど、崩壊が止まった。

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