第4話 犬も召し上がらない痴話喧嘩はおやめくださいまし

 羽衣百合芽はあらゆる悪意や敵意を自らへと引き寄せる不幸体質の持ち主。


(だけど、ノアさんはきっと不幸体質に引っかかって、私を消そうとしたわけじゃない……)


 漠然としていながら、信頼にも似た確信が百合芽の側にはあった。


(私と同じように……運命を感じた。敵対者としての運命を……)


 肉体から生やした蔓を鞭のように構え、百合芽はノアへ飛びかかった。


 赤薔薇商会に幹部候補生として加入した彼女は、まだ日が浅いとはいえどロザンナから夜の狩人ハンターとしての戦闘方法を直々に学んでいる。普通の女子高生として生活していた頃とは比較にならない程、戦闘時における技量が向上していた。


 複雑な軌道を描いた蔓が猛毒を含ませ、強烈な力と共にノアを叩こうとする。


「百合芽嬢。あなたは魔女と呼ばれる存在に関してどこまで知っているかな?」


 自らに迫り来る百合芽の姿に何ら怯える様子はなく、繊細な細工が施された装飾銃の引き金をノアが引いた。


 すると魔力が射出。ソレは鎖を形作るのだ。


「興味がありません……」


「まぁまぁ。遠慮なんてしなくてもいいんだよ?」


 百合芽自身の肉体の一部である蔓が、鎖に絡め取られた。


 グイ、と。ノアの側へ引っ張られるよりも前に、容赦なく百合芽はその部位を切り落とす。


 そしてノアの背後に潜ませておいた巨大な人食い花がタイミングを見計らい、大きな口を開けてかぶりつく。


カースと人類の戦い方が劇的に変わったのは千年前。女帝――夜の狩人ハンターの始祖にも等しいカレン・スカーレットローズが現れたことを契機に、瘴気の汚染を敢えて受け入れ、カースと戦い続ける夜の狩人ハンターという道が人類には提示された」


 講義に回す口を止めないまま、装飾銃を掲げるノア。


「それよりも前の時代はロクな対抗策がなくてね」


 背後を振り返りもしないノアの魔力で生み出された杭が口に放り込まれたが最後、植物としての形すら保てず、人食い花はドロドロに溶け消えていくのだ。


カースが汚染した土地や物体、あるいは死体から瘴気を抽出、ひ弱な女でも扱えるよう薄めに薄めた力で何とか僕らは自衛を行使していたに過ぎない」


 だが、ノアがお喋りをやめないのと同じく、百合芽が攻撃を中断することは断じてない。


「瘴気を独自の方法で利用し、カースに抵抗することを目論んだ一族の末裔、ソレがマリアンヌと僕。最も僕が物心ついた時には、姉であるマリアンヌしか残っていない、朽ちかけた血族ではあったけれど」


 耳ではノアの語りを受け入れてはいれど、頭にまで彼の言葉は浸透せず、彼女は戦場と化した食堂内に百合の花を咲かせた。


「カレン・スカーレットローズと出会い、インスピレーションを受けた彼女の代で、ついに一族の悲願足り得る魔力が完成された。瘴気よりも攻撃性が低い代わりに汎用性に優れた力と、その運用に適した器が手始めにざっと二体程度」


「……それで?」


 突如敷き詰められた純白の絨毯は、そのどれもが猛毒を噴射する準備を終えていた。


「この講義に何の意味があるんですか……?」


 百合芽はノアを包囲している。


「意味なら大いにあるとも」


 それでも、ノアの表情から余裕は一切失われていない。


「あなたの集中力を僅かなりとも散らすためだよ」


「――っ……!?」


 無垢な銀の瞳の奥に、底知れない邪悪さを滲ませている。


 正体不明の焦燥に駆られた百合芽が半ば反射的に手を振り下ろす動作に合わせ、白百合が一斉に毒を撒き散らす。


 だがしかし、毒の霧に包まれるよりも尚早く、装飾銃の引き金をノアは引いていた。


「魔女の基本は魔力で物質を錬成すること。ただし通常の夜の狩人ハンターが瘴気で武器や使い魔を作成、はたまた現象を起こしたりするのとは趣が違ってだね」


 百合芽が発生させた紫の毒霧に対抗するかのように、今し方形成された水晶玉がゴロリと床の上を転がった。


「そのおおよそが攻撃にしか向かない瘴気とは異なり、治療行為や催眠といった類に術者の意図を細かに反映させやすくなるのは、明確な利点ではないかな」


 水晶玉から噴出されるのは、光の粒子。


 毒々しい色彩を押し流すかのように、それはキラキラと空間を満たし、輝き続けるのだ。


 癒やしの効果を持つ光の粒子を当意即妙に生み出しことでノアは毒の霧の影響を見事回避。悠々と装飾銃の引き金に指をかけた。


(身体が、動かない……!?)


 すると百合芽を覆い尽くすかのごとく、複数の魔法陣が宙に展開。


「百合芽嬢を封じることに特化させた結界だ。並大抵のことでは脱出出来ないし、あなたのカースとしての特性も余さず無効化されているはずだよ」


 百合芽を閉じ込める檻と化した魔法陣は、一瞬にして彼女の身動きを封じてみせたのだ。


「あなたは、いったい何者なんだい?」


 瘴気をも内部と外部とで完全に遮断されているとなれば、攻撃手段は失われたも同然。


「……私は普通の女子高生です」


「分かり切った嘘はやめたまえ。弱者のフリをし過ぎて本当に弱者だと錯覚しかけていた強者なんて、そうそういない」


 ゆえに勝負は決まったとばかりに、ノアが尋問を始める。


「振る舞いが過去の女帝とそっくりなんだよ。女帝を恐れないのだって如何にも怪しい。ひょっとして関係者だったりする?」


「違いますけど……」


「どうだか」


 率直な百合芽の否定を、ノアは鼻で笑う。


「女帝と似ているというだけで最大級の警戒対象。さらに百合芽嬢は僕にも似ていると来た。千里様とアリア君に付きまとう重い影は、僕だけで充分だというのに」


 何をどう言おうが、当初より百合芽に対して抱くノアの警戒心が簡単に消え失せるはずもなかった。


「やはりここで、消しておくべきか」


 拘束を受けている百合芽の額に、ゼロ距離で銃口が突きつけられた。


「私を殺せば……アリアちゃんと御影君が悲しむかもしれませんよ。一応……友達。ですから……」


「――二人が悲しむのは悪いことだ」


 迷いなく装飾銃を握っていたノアの手が、百合芽の指摘を受け、僅かに震える。


「だが何事にも優先順位がある。彼らを危機から極力遠ざけた上で生かさねばならないと、かつての僕は誓った。当然の結果として恨まれた末、千里様に斬られ、アリア君に燃やされる未来を僕は受け入れよう」


 けれど、娘たるアリア以上の無表情で、ノアは身動きのとれない百合芽を見下ろすのだ。そうすることで内側にある迷いを打ち消すかのように。


「あなたが私を消したいと思うよりも……きっと」


「む?」


「私の方が、あなたを……消したかったっ……!!」


 百合芽を閉じ込める檻は強固で、未だ彼女を縛めている。向けられた悪意を呪いらしく返すことも、この状態では難しい。


 しかし、たとえ百合芽の力を外部から完全に遮断したところで、彼女とノアには檻ごときでは阻むことの叶わない直接の繋がりがある。


 互いが互いを強く敵視しているからこその、強固な結びつきだ。


 その結びつきを辿り、百合芽はノアに対して瘴気を注ぎ込む。


 相手は瘴気ではなく魔力を操りし魔女。されど魔力が瘴気から派生した力である以上、耐性はあって然るべき。


 だから、そのまま瘴気を送り込んでも意味はない。


 激痛だけを与えることに特化させた毒へと器用に変じさせながら、ノアの体内に己の瘴気をぶち込む。目論んだのはショック死だ。


「やっ……た……?」


 怒り狂った百合芽の視界の先で、黒髪の美女は大きく後ろに傾いでいく。


 勝利の予感は、百合芽を縛っていた檻が弾け飛んだことでより大きくなったものの――、


「あははっ、あはははははははははははははははははははははははははは!!」


 哄笑が響き渡る。グン、と。後ろ向きに倒れたはずのノアが、バランスを崩しながらもギリギリのところで踏みとどまった。


「残念だったね、百合芽嬢。僕は過去の経験から痛みに慣れているのさ」


 気が付けば、目と口から血を流し、肩で息をしていた。肉体が激痛のショックに曝されたこと自体に間違いはない。


「お互い一発ずつ相手に喰らわせたことだし、さて――再戦と行こうじゃあないか」


 それでも【魔女】ノア・ナハトは女の色香に溢れた美貌を己の血で染めながら、気丈に装飾銃を握り締めた。


「望むところです……次はちゃんと、この世界から消してあげますね……?」


 ノアの気概に触発されたとでもいうのか、どこか意気揚々とした態度の【毒婦】羽衣百合芽が肉体から生え伸びる蔓の量を増やしていく。内側に溜まった疲労は高揚感で吹き飛んでいる。


 再度の激突が勃発するかと思われた――その瞬間。


「あらあら、まぁまぁ」


 淑やかな足取りで食堂内に踏み込んで来たのは、【凍竜】ロザンナだ。


「今が何時だとお思いで? 犬も召し上がらない痴話喧嘩はおやめくださいまし」


 至極大雑把な解釈を二人に対して平等に突きつける。


「痴話喧嘩じゃありません……!!」


「痴話喧嘩じゃないけど!?」


 恋敵同士の暗闘が、何故ただの第三者の手で痴話喧嘩に貶められなければならないのか。


 憤慨した百合芽とノアは、銀髪長身のメイドへと口々に否定の言葉を発した。

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