第3話 封印解除

「今日、お嬢によぉ」


「はい」


「高校に通わないかって言われたんだ」


 結局、猫耳美少女と化したアリアを、自らの寝室に千里は引き入れる形となった。


 魔導人形でこそあれど、猫耳や尻尾を生やす機能は流石に備わっていないはず――カレンの戯言を真面目に受け取り、どこかで購入したのだろうと、千里は心の中でひとりでに結論づけた。


「高校……私と百合芽殿が秋から通う予定の、伯母上が理事長を務めておられる学園のことでよろしいですよね?」


 千里がカレンから提案を告げられるよりも早く、【世界最終】にして【世界の理に反逆せし至高の魔女】マリアンヌ・ナハトが理事長を務める学園へ、アリアと百合芽が入学することは決定していたのだ。


「そういうこった。ま、ひとまず断ったがな」


「旦那様は昔から人が多い場所を好いてはいないようですから。仕方がありません」


 アリアは勘違いしているが、人が多い場所が苦手なのではなく、人が多いと否が応でも人を斬りたくなってしまうのが面倒くさいだけである。


 とはいえアリアの前で猫を被っている千里が、勘違いを訂正することはない。


「アリアは嬉しいか?」


「嬉しい、とは。どういった意図の質問でしょうか?」


「もしも俺が、おまえや羽衣と一緒にその学園に通うとしたら、嬉しく思ってくれるのかどうかってことだよ」


 ベッドに寝転がった千里が、アリアの顔を覗き込む。


「それは……」


「本心を言ってくれ」


 揺れる銀の瞳。千里は彼女の迷いを断ち切るように、鋭い言葉を発した。


「――嬉しいです」


 覚悟が決まったアリア。


「百合芽殿と共に改めて高校生活を送れるというだけで私の心はこうも昂ぶっているのです。そこに旦那様が加わってくださるのならば、最早夢のような毎日でしょう」


 千里の求めに応じ、素直な心境を彼女は吐露していく。


「あそこはロクな場所じゃなかったろ? よくもまぁ、そんな幻想を抱けるモンだ」


「確かに様々なことが起こりました。嫌なことも当然覚えています。ですが、あの高校での僅かな経験さえ、私にとっては新鮮で、楽しくありましたので」


 千里にとっては百合芽と出会えたこと以外に得るものがなかったと思っていた高校生活。


「じゃあ、俺も通う」


「旦那様?」


 けれど、傍らの妻にとってはそうではなかったことを理解したところで、自然とその言葉は千里の口からこぼれ出た。


「マリアンヌさんの息がかかった、夜の狩人ハンターかその関係者しかいねぇ学園なら、前の高校みたくクソうざってぇことにはならんだろうし」


「私、今――」


 無表情と淡々とした語りに変わりはない。


「――わがままを、旦那様に申してしまいました。貞淑な妻であらねばならぬというのに」


 それでもアリアは焦っていた。千里が自分の要望を通してくれたことに対して。


「あぁん? こんなことでワガママとか言うんじゃねぇぞ馬鹿が」


 何気ない風を装い、アリアから背を向けるように寝返りを打つ。


 彼の無骨な優しさを受け、ポーカーフェイスを崩さないまま、心が感動で震えるのをアリアは止められなかった。


「旦那様」


「おう」


「ありがとうございます」


「勘違いすんなよ。別におまえのためじゃねぇから」


「部活というものがあるようです。もしよろしければ百合芽殿と一緒に、どこかに入ってみるのは如何でしょう」


「勝手にしろ」


 そうして二人は寄り添い合い、夜はゆっくりと更けていくのだ。







 紅茶を呑もうと思った。それだけである。

  

 常備しているティーパックを使い切ってそのままにしてしまったことに気が付いた百合芽は、以前カレンが自由に使っていいと言った茶葉の保管場所へ足を踏み入れていた。


「何かお困りかな? 百合芽嬢」


 ズラリと並んだ入れ物とそこに詰め込まれた彼女の知識には存在しない茶葉や本格的な器具に困惑しているところで、背後から不意に男の声が。


「紅茶を呑もうと思ったんです……。いつも部屋に置いてあるティーパックを……うっかり切らしちゃって」


「うん」


「……カレンちゃんから自由に使っていいと言われてたのでここに……来ました」


「うんうん」


「だけど、私はこういう本格的な紅茶の淹れ方を全然知らないので……諦めます」


 振り返ると、そこには男か女かの判別が難しい黒髪の美人が、月明かりを背に佇んでいた。


「教えようか? 女帝程詳しくはないにせよ、基礎的な知識はある」


「いえ、結構です……」


「そうかい、残念だ」


 然程残念そうでもない様子で、ノアが肩を竦めた。


「ところで百合芽嬢。初めて二人っきりになれたわけだし、互いに腹を割って話してみるのはどうかな?」


「何の……ことでしょう」


「とぼけるのも大概にしたまえ。既に承知しているとも」


 ノアは無垢でありながらどこか胡散臭い微笑みを、百合芽は困ったような微笑みを、それぞれいつものように浮かべている。


「あなたが僕を敵と認定し、消したがっていることくらいはさ」


「ノアさんも同じ、ですよね……?」


 しかし交わし合う視線に含まれているのは、まごうことなき――殺意。


「私を敵だと認識している……。私を消したがっている……」


「あはははははははははは!!」


 何が楽しいというのか、腹を抱えて大笑いをするノア。


「いやはや、全くもってその通り」


 次の瞬間、ノアの表情から感情らしい感情が消えた。


「――っ!!」


 懐から装飾銃を取り出す。


 彼の動きに反応した百合芽は全身からつるを生やし、瘴気を纏うのだ。



 だが、装飾銃の照準は少女の形をしたカースではなく、ノアの心臓に向けられていた。


「……女?」


 距離をとって警戒を続ける百合芽が思わず目を見開く。


「こちらの姿でお目通りするのは初めてのはずだ。ならば改めて自己紹介と洒落こもう」


 心臓に向けて引き金を引いた後のノア。彼の姿と声が、先程までと異なるのだ。


「僕は冷酷な魔女だ。しかし千里様を愛し、アリア君の幸福を願う者でもある」


 アリアに似た美女がそこにはいた。


 リボンで留められた長く黒い髪、華奢な肩、豊満な胸、くびれた腰、細い手足、妖艶でありながら愛らしい声音。


 ドレスのごとき黒の軍服を纏う淑女が、装飾銃を手の中で優雅に回している。


「あなたと大体同じだよ」


「……そうですね」


 ノア・ナハトは羽衣百合芽の同類――相手が突然女になった衝撃を何とか抑え込み、植物人間へと変じた百合芽は、そのおぞましい現実から目を逸らさなかった。


「私は……アリアちゃんのことが好き。御影君のことが……好き。悪意に彩られた人生の中で、初めて優しさを教えてくれたあの二人を……愛している」


 魔力と瘴気。


 二つの力が、禁域の一角にて暴発を間近に控えていた。


「いらない……」


 怨念じみた否定を、百合芽は笑みを既に取り戻していたノアへ突きつける。


「御影君とアリアちゃんに付きまとう重い影は……この世界に二人も必要ありません」


 カースとしての身体能力を駆使し、百合芽は蔓を鞭のように構えながら飛びかかった。


「正論だ。然らば百合芽嬢。あなたが消えておくれ」


「何言ってるんですか……? 消えるのはノアさんの方ですけど……?」


 仕掛ける【毒婦】、装飾銃を片手に待ち受ける【魔女】。


 千里とアリアを巡った争いが、当事者を置き去りに、夜闇の中密やかに開幕する。

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